ひとつの<カタチ>を求めるために、もっとも具体的なドローイングと言う作業、一体、何度描くのか、何枚描くのか。その物理的な量が飛躍の高さを支える・・・。
ある著名な建築家は、ひとつのカタチを決めるために1,000枚のスケッチをするのだという。様々な条件を捉えて頭に浮かぶカタチを描く・・・。
条件を満たしてはいるのだが、まだまだ、納得がいかない。
単純な作業を延々と続けていく・・・。
そのうちに、ある段階で構想の飛躍、ヒラメキが生まれる。
それが「1,000枚目になるのか、1,001枚目になるのかどうか、は予測つかない」という。
宗教で言われる<行>にも似た過酷な作業である。
あの、大発明家エジソンにしても然り!
偶然に、あの「フィラメント」を発明したわけではない。
そこに至るまで来る日も来る日も、世界から集められた1,000種類に余る素材の実験を繰り返した。
研究室の大テーブルは、いつしか彼のベッドにもなっていた。
が、しかし、ついに満足行く結果は得られなかった。
茫然自失の彼の目に映つたランプの炎・・・。彼は、その瞬間にヒラメイタのだ!
まさに、「99パーセントの汗、1パーセントのインスピレーシヨン」、余りにも有名なエピソードではある。
1,000回にも及ぶ実験、その後に来るヒラメキ・・・。
その間にあるものについては、その瞬間を体感した人だけが知る感動であろう。
前出の建築家は更に語っている。「ヒラメイタ、その1枚にディテイールもプランニングも克明に描ける」のだと・・・。
「そこから、アイデアはとめどもなく生まれてくる・・・。」とも。
が、「それ以前の1,000枚の中には、その片鱗さえない」とも云う・・・。
非常に興味深い話しである。ある瞬間に崩壊と誕生がある。
そこに費やされる時間と労力。なんと膨大な事か!しかし、それは決して無駄ではないのだ・・・。

ものを創る苦しみ・・・
 デザイン界に限らず、あらゆる分野において<創造>と言う言葉が氾濫している。
創造は単なる言葉の表現にのみおわってはいないのだろうか?
<もの>を創る。その創造する行為を、その本質を捉えて表現するならば、まさに、「見えないものを見」、「見えないものをカタチにする」、ということだろう・・・。
人が生き続ける社会、また、それを取り巻く環境はいよいよ混沌として捉え難い。
そういう時代にあっても、あるべき方向を見失わず、本質への触れ合いを大切にしたいものだ。
ひとつの「カタチ」や「テーマ」に対する飽くなき追求と謙虚な姿勢こそ、まさに、エジソンの言う99パーセントの汗に通じるものではないだろうか。
また、デザインは様々な規制、時代や人々の要請に応じるものである。
限られた枠組みの中にあってなお、自由な発想と行動する勇気を持ちたい。
ものを創る<苦しみ>なしに、人を感動させ、また、自ら創るという喜びを味わう事は出来ない。

まだまだ、デザインの世界は拓かれ、また、未知なるものである。
それ故に理想とする未来の世界は自分の手で創れる。そう信じる・・・。
いま、まさに飛躍の瞬間を迎えている・・・。
・本稿は’93年、「学部広報誌―Opinion」に記載したもの、10年の時間を経て再び読み返している。
 ここ数回の連載を見て、その内容に重なるものが多いことに気ずく。(Jan,28 ’03 記)

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