ボーっとした眼

「ボーっと生きてんじゃねーよ!」って言われたらどうします?怒りますか、心が傷つきますか!

「ボーっと生きてんじゃねーよ!」って街で耳にしたら振り向いてその後を見守りますか!

「ボーっと生きてんじゃねーよ!」って自分に言えます?自ら反省し起爆剤として自分に言えますか!

 

「ボーっと生きてんじゃねーよ!」は、NHK総合で2018年春から放送中のクイズバラエティ番組。総務省が後援するAMD(一般社団法人デジタルメディア協会)主催のデジタル・コンテンツ・オブ・ジ・イヤーで「大賞:総務大臣賞」と「年間コンテツ賞(優秀賞)」を2018年度、第24回 AMD アワードで受賞した『チコちゃんに叱られる!』の番組内の決め台詞であり過激な名台詞が印象的で刺さります。

 

「ボーっと生きてんじゃねーよ!」、この乱暴な台詞が公共放送のNHKと国家の総務省がお墨付きを与えたことで多くの子どもを含め誰でもが日常会話で発して何ら問題無く、問題が起きないのだろうか…。

もはや美しい日本語どころではなく世相を反映した、オーバーに言えば平気で人を傷つける言葉の暴力が巷に横行すると神経を尖らせ目くじらを立てた批判も噴き出ていそうです。ポジティブに受け止めればこの言葉に反応しピンとくる人もいそうで目を覚まされ想わぬ発想が脳内を駆け巡り抱えていた問題解決の道が拓ける人も居そうです。ただテレビを観ない若者が増えている現状、若者に刺さればいいなぁと想います。

 

ボーっと生きてんじゃねーよ!」。着ぐるみに顔の表情をデジタル化したチコちゃんが起源やイワレをクイズ形式で出演者に問い、答えが間違っていれば「ボーっと生きてんじゃねーよ!」と叱り出演者はハッと大喜び。回答はナレーションで「今こそすべてのニッポン国民に問います…ってなに?」と大袈裟に聴こえる表現を深読み解釈すれば本氣で日本の現状を憂い改革を喚起させたい制作者の意図と受け取り、すべてのニッポン国民は「ボーっと生きてんじゃねーよ!」と言われていると感じます。中には良い意味での叱咤激励を感じ結果、勇氣づけられ発想と創造力が豊かになる人も現れていそうです。

 

ボーっと生きてんじゃねーよ!」、とチコちゃんに叱られ身体センサーである五感(視覚・聴覚・臭覚・触覚・味覚)がボーっとしていたOFF常態からスイッチONになり湧き出る創造力に変換できれば良しです。

五感がOFF常態では、色々様々なことに興味をもったり観察力から感動と発見する喜びを味わい創造力を高め、問題意識・問題発見能力を作動できず困難です。発想が枯渇したり行き詰った時に「ボーっと生きてんじゃねーよ!」の一言で、光が射しヒラメキ、道が拓けるポジティブ・シンキングにスイッチONです。

 

「ボーっと生きてんじゃねーよ!」の一言は、湖面に一石を投じた波紋のごとく、五感をON状態に切り替え時代の移り変わりや新たな発見、感動に導き個人・独り、異才能の集団活動を敏感化させ『創造力の根っこ』と五感刺激から脳内の化学変化で起こる第六感を含めた『想像力の根っこ』から本人にも周りの人にもインフルエンス・連鎖させるトリガー・引き金に感じます。個人でも異才能集団でも創造する本質・根源・資質、要素などの根本は、個人の脳や心、魂にあり、根元・根っこは五感を通した脳内の情報の化学変化から生まれ噴き出すホトバシリが発意・発奮・創造力のエネルギーです。

 

ボーっと生きてんじゃねーよ!」と言われなくするには!

「温故知新」古きをたずね新しきを知る教えは「芸術は模倣から」をも包括します。温故知新は、過去にこだわり過ぎず未来に活かし、未来に向かいポジティブにブレイク・スルーする重要な教えです。

 

「過去にこだわる者は未来を失う」、過去にこだわるあまり現実・現場に眼を向けず現在の地位や立場にしがみつきチャレンジ精神を忘れ過去の延長線上に未来があって欲しいでは、未来を失います。

 

「非常識を常識にする」は、創造的で進歩的な格言です。経営の発想、クリエーターの思いは似ていて未来を現実にする職業で、現場の現実を知らずして未来は描けず、ヴィジョン無きは未来を失います。

 

「みんなで渡れば恐くない赤信号」厳禁、善くも正しくもない集団意識を常識化した会社だけの価値観、社会の体制、時代によって変わる常識で無意識の偏見にも連なり上司の命令に和み順応する世間の常識を分かりやすくしたフレーズです。

 

普遍的常識は、通常使われる常識に対し区別する意識で必要・必須で、法律の上にある法則、ルール、人の道として規範となる人間の尊厳に基づく尊い価値観を意味します。

 

気と氣の違いは、X(バツ)を内在する気では無く*の粒を内在する氣であるべきです。やる気のない常態を意味する気に対し、前向氣(まえむき)が救いの言葉、行為で、すべては氣からです。

 

情報とは行動するための知識であるの教えが染み入ります。行動に必要な情報が知識です。目的をもって動き出すには知識が情報として必要です。志せば必要な情報は引き寄せられ目的にあった必要な情報は奇跡のように向こうから寄って来ます。

 

スマホで何でも情報入手の時代、身になっているのか?必要な時に必要なだけ情報を取り出せばその分、脳と時間を有効に使えると合理的に想う多くの若者。情報化社会で情報過多の現在、情報で頭の中がいっぱい、と言っても脳の稼働率はセイゼイ13%程度だと言われています。情報入手で知識が備わったと誤解したり満足しないで知識太りにならず効率よく情報を記憶蓄積し活かすべきです。創造の根源である創造力の根っこから価値を見出せれば過去よりも今、今よりも未来が良くなり、良き世の中の実現が達成出来ると感じられるはずです。くれぐれも世間の常識では無く人間の尊厳に正しい目的と手段をはっきりさせた創造力の根っこから生まれる志が目的で普遍的常識に基づく社会に問う情報が手段です。 

 

普遍的常識を識り、自分自身を見つめ何が自分を動かす原動力・エネルギーなのか目的と手段をハッキリさせ、創造力の根っこから噴き出し湧き出るヴィジョン・志・創造力・が最も重要だと氣づけば、「ボーっと生きてんじゃねーよ!」とチコちゃんに言われる前に、自ら問いスイッチON常態を維持できるでしょう。

                           明るく・元氣に・波動を合わせる…鈴木淳平

 

 

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