脳内の化学変化

活字文化からヴィジュアル文化に飛躍した今日、脳内の創造力の根っこから化学変化で作用する無限大の想像力は、過去の偉大な創造者に比べ飛躍的にイマジネーションを広げたと言えるでしょうか。

 

技術進歩による電子化で活字文化から映画『ハリー・ポッター』の学校に飾られた絵画が動き出したり街・電車内のポスターの平面的な印刷物・パソコン広告・一部の新聞電子版で関連写真が動いたり、音声まで加わり視覚・聴覚の情報が詰め込まれたヴィジュアル(visual)文化時代になりました。

 

新聞・雑誌・出版などの活字文化から、絵・映画・テレビ・ヴィデオなどの映像によるヴィジュアル文化に主流が移り脳内のイマジネーション(想像力、空想)・イメージの広がりが文字文化よりもヴィジュアル文化の方が反比例的に狭まったと感じさせ画一化情報による共通解釈・共通言語化には便利でも何かが…。

 

ヴィジュアル時代に五感から得られるの刺激情報による脳内の化学変化で作用する想像力は、活字文化時代よりも多くの絵・ヴィジュアルをイメージすることができるのでしょうか?『星の王子様』の帽子なのか、蛇が大きな獲物を飲み込んだ絵なのかイマジネーションの広がりを個人差があるにしても活字文化時代より多くの創造力をかきたてることは可能なのか、?マークが脳内いっぱいに飛散しています。

 

本を読んで脳内で絵をイメージできますか

読むべきと分かりながら本を読まない人が増え本屋さんが閉店を余儀なくされています。amazonがネットで本も販売しビッグデータ解析からベストセラーだけを扱う実店舗開店に踏み切り読書回帰の機運が高まっています。もんじゃが子どもに食と共に文字を教えたように文字を記した本の存在価値は捨てたもんじゃないとイメージでき、行間をヨムように文章を読んで想像力で創造力に化学変化させられますか?

食して脳内で絵をイメージできますか

本場のパリで一流パティシエを取材した番組で見た目小粒なリンゴにソックリなフェイクリンゴ・スィーツが紹介されていました。パティシエはリンゴが育った野山やそれを一緒に食べた家族との幸せなひと時を呼び覚ましたかったと説明をしてくれイメージが湧きました。異なる番組で紹介された和菓子の世界が季節や時代を先取りしていたことを憶いださせ食の世界でも想像力は無限大だと分かりました。お氣に入りのスィーツを味わい至福のひと時から絵や情景までをイメージできますか?

香りから脳内で絵をイメージできますか

落語で鰻を焼く匂いにつられ茶碗の白米を口にかきこみ鰻重を食べた氣になる噺、今は焼肉屋かもですが近くを通ったことに氣付くなど、匂い香りから記憶が並みな表現ですが走馬灯のように蘇り想像力に連ならるはずです。人と社会の関係が希薄な現代、街で見かける音楽を聴いているのか学習しているのか定かでないイヤフォンをし周囲への氣配りと注意力を自ら遮断し社会と断絶しているとしか想えない内に閉じこもっているのではと見受けられる人でも香りや匂いだけは薄々感じているのかもしれません。

 

音楽を聴いて脳内で絵をイメージできますか

氣に入った音楽を聴き頭の中に絵や動画、情景、シーンや映像が自然に浮かび上がりますか?JPOPミュージックはリズムに合わせた歌詞を聴く印象が強く、メロディをバランスした心地よいミュージック感とのギャップを感じさせます。脳内に固定化された歌詞とリズムは語りであり歌を忘れたカナリヤのようにカナリヤッカイで想像力に連鎖するのか、未来に記憶されるのか、絵をイメージできるのかです。

何かに触って脳内で絵をイメージできますか?

スキンシップの少ない日本社会でハグはちょっとでも握手位ならと、握手したときの相手の手の感触から感じ取れるものを脳内で化学変化させられますか?瞳を閉じて何かに触れた感触から機械的・科学的な観想ではなく想像力を発揮し情緒的に物語を感じイメージを膨らませた絵をイメージできますか?

 

視覚、味覚、臭覚、聴覚、触覚の五感に勘(かん)を加えた六感を化学変化で絵をイメージできる能力が創造力の根っことして脳に備わっています。創造する側とそれを消費共感する側の想像力とが一体になるのは表現物に宿る、理屈を超えた感動と共鳴を多くの作品・創作物から沸き起こる化学変化と理解できます。

センサーである五感を通した刺激情報が、脳内で感動と共感となって夢中になる化学変化で発想が沸き起こり自分なりの独創性・オリジナリティが生れてきます。脳内の化学変化にヒントやイメージを結び付けるのが世界的に広まっている異なった意味の無意識の偏見でもあります。

想像力をかきたてる無意識の偏見から創造力がほとばしる

先祖代々から遺伝子として受け継がれてきた先天的な無意識の偏見と、生まれてから今に至るまでのその人特有の後天的に培われた無意識の偏見が縦糸と横糸のように織られ、その人だけの絵が完成に向かって表現されさらに織られていく過程で最終的な絵はどんな絵になるのだろうと悩みあるいは楽しむのが人の生き方のようです。真っ白なキャンパスで生まれ歳を重ねるとともに少しづつ色がついた絵がその人がなすべきミッションや天からのギフトとして浮かび上がるか、あるいは自身でオリジナリティ豊かにイメージを膨らませヴィジョンを脳内で五感を刺激する共感へ誘う創作物を排出するのか、いずれにせよそこにはその人特有の先天的・後天的な無意識の偏見から生まれる独創性・オリジナリティが顔をのぞかせるはずです。脳内に絵をイメージすることを楽しみ創造力がほとばしるのを感じてください。

                   明るく・元氣に・波動を合わせる…鈴木淳平

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