目を合わせることもない4人・・・。
記者会見を終えると、そそくさと席を立とうとする。
「すいませーん、握手をお願いしまーす」と、カメラマン・・・。
声を掛けられ求められて応じた握手、決して心を許しあったもののそれではない事がぎこちない所作に現れていた。
それぞれの立場を主張し、反目しあったここ数週間のバトル・・・。
ニュースの主役たち、カメラ目線の和解だった。
何かと物議を醸(かも)したニッポン放送の買収劇は一応のフィナーレを迎えた。
このノンフィクションのドラマにも、あの球団買収劇に見られる登場人物の心理に似たものがあり、必死の攻防があった。
ご本人たちには申し訳ないことだが、大変興味深いもの、まさにドラマを見ているようでもあったのだ。
映像はそれぞれの人物を捉え、微妙な心情を押し隠した表情や一挙手一投足が強烈なライトに浮かびあがって見せる。
そのドラマのはじめは複雑な人間社会の柵(しがらみ)、その常識のヒエラルヒーを突き崩す勢いで乗り込んだライブドアー堀江貴文氏にフオーカスされた。
受けて立つのは日枝フジテレビ会長。築き上げた出城を守る武将に似た意地を見せ、意識をみせていたのだ。
その抵抗には若い堀江氏には読み取ることが出来ないことも多くあったのだろう、と想像される。
その戸惑い、狼狽もあったのだろうが・・・。
何しろ強気だ!数千億という我々には想像し難い、金額をかけ命をかけたという勝負が掛かっているのだから・・・。
球団買収は楽天に掠め取られた感もあるが、その表情には淡々としたものがあるようにみえる。
人柄?その風貌故でもあるのだろうが・・・。
多分、それも想定内・・・?
小学生の頃、試験を5分で終え、100点を取ったという神童には人並み外れた記憶力と破天荒な生き方を身に付けたものだろう。
東大在学中にアルバイト先でインターネットに出会ったのだという。
若い感性、彼の<直感>はその未来を確信したのだという。
友人に600万円を借り、中古のパソコンを揃えたオフイスは6帖間・・・。 「ホームページ」を作成する会社を立ち上げたのだ。
その決断!じつに素早い行動だった。
そこが常人とは違うのだ・・・。
ITという人類史上に前例を見ない技術に、今までの常識、方法では通じないもの
ある事をを身をもって示していた。
起業から僅かに10年余には数千億を動かし、千数百人のスタッフを従えるCOE(経営最高責任者)になっていた。
1500人に一人?といわれるIT勝ち組に名を連ねる青年実業家である。
彼には尊敬し目指した郷土の先輩がいた。孫正義氏、ソフトバンク社長である。
我が国、IT起業家の草分けとも言える。
日本経済界の常識に挑戦し、変える道筋をつけた人物でもある。
日本ではなく・・・。アメリカに学び、大学を選んだのも計算されたものであった。アメリカ流の経営哲学を学ぶことを選んだのだ。
時代の寵児でもあった孫正義氏について当時、その先進の経営に私も注視していたことがあった。
我が国、経済界の異端者と批判されていることも知っていた。
やがて、その資産はビル・ゲイツを超えたのだという。
「確か、3日程でしたがネ・・・」と孫正義氏は謙遜してみせた。
多分、彼の目標もシリコンバレーにはじまる若きIT起業家たちだったはずだ。
パソコン1台で何かを「創り」、急激に拡大していく企業組織体でもある。
僅かに1畳ほどの空間があれば起業出来るのだから・・・。
その可能性は年齢や男女を選ばず混沌として無限大でもあるとも言える・・・。

しかし、ITの進展、生活への浸透は人間関係を分断し、何か不思議な現象を引き起こしているのではないか?そう思える出来事が余りにも多いように思う。
これまでの考えからはとても理解出来ない犯罪、人間社会の運用の異常が生み出されてもいると見えるからだ・・・。

JR尼崎線、脱線事故の大惨事にも、「90秒」に凝縮されたIT社会の危うさ、危機の連鎖を感じている・・・。
(April 28/2005 記)

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追伸:
刻一刻と事故の惨状が報告される・・・。百余名の人生、しかし、尊い命が絶たれ肉親の悲劇を生んだ・・・。
専門家が登場し、様々な事故原因をコメントしている。
「70キロを上限とするカーブを108キロで進入すると4倍強の遠心力が働く・・・」「カーブのきしみ音を緩和する油の塗布による滑りやすさ・・・」「カーブでの急制動による輪重バランスが崩れ・・・」「新車両の軽量・合理化構造の設計・・・」更に、「重量の異なる新、旧車両の連結バランスの崩れ・・・」等など。様々な原因、しかし、何よりもそれらの全てをバランスする職人(全ての要?となる)が居ないのが大きいという意見も聞かれる。
事故はそれらの微妙な重なり、連鎖で起きたものだろう・・・。
とは言え事実は適性と経験に乏しい青年によって引き起こされたことでもある。
これまでの数十年に渡って事故は無かったのだから・・・。
「秒」を競う厳しい運行、ミスを起こした者に対する日勤教育が問題であるともいう。
しかし、数百人の命を預かるという責務、緊張感を持続させねばならないのがその職務でもある。
それが欠如し、その困難を言うだけで自覚をすら失うことがあっては・・・。
運転のミスを咎められ、日勤教育で犯罪者扱いもされかねない屈辱である、と言うのは当たらないだろう。

人は誰でもが失敗する。
人類はまさに失敗に学びながら発展してきた歴史でもある。
失敗を真摯に反省し学ぶ、自己の適正を再確認することも肝心なのである。
失敗を恐れ、ひたすら押し隠そうとすることが取り返しの付かない致命傷にも繋がるからだ!
強い責任感なくして数百人の命を預かる立場をとるべきではない。
高いプロ意識を持って学び、自己を厳しく律することであって欲しい。
高度IT社会にある危うさは、この悲惨な事故に学ぶべきことは多い・・・。

(April 29/2005 記)

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