運命の出会い――友人に紹介されジョブズがスティーブ・ウォズニアックに初めて出会ったのは1970年頃、運命的な出会いだったと言えるのだろう。よく、「人生の豊かさとは何か?」について語り合っていたのだともいう。ウォズニアックはコンピュータを熟知しており、タッチトーンを再現し無料で国際電話を掛けたり、ジョブズと大学寮で売り捌いてもいた。もちろん違法!運よく捕まることは無かったというのだが・・・。その、スティーブ・ウォズニアックの技術力をもって初期のホームコンピュータ「Apple I」を作り上げた。ジョブズの自宅ガレージがアップル社のスタートになり、2人の共同創業だった。その後、「Apple II」を製造・販売して大成功を収めると、瞬く間にシリコンバレーを代表する企業になっていた。1980年の株式公開時には2億ドルもの巨額を手にし、25歳で経済誌、『フォーブス』の長者番付に載り、27歳にして世界初のニュース雑誌、『タイム誌』の表紙を飾ってもいた。さらに、1984年に発売した「Macintosh」搭載のグラフィカルユーザインターフェースは、当時のあらゆるパソコンを凌駕すると、洗練された新たなコンピュータ像を創りだしたのだとも。
しかし、社内での傲慢な立ちい振舞いが社員との不協和を醸すと、役職を解任させられると言う前代未聞の処罰、自らのアップル社を辞めた。それでもやがて、業績不振に陥ったアップル社に請われて復帰すると、生涯のライバルとも見ていたビル・ゲイツのマイクロソフト社からの支援を得ることに成功した。当時、ビジネスの効率化を図るためのパソコンはウィンドウズの独断場だったのだが・・・。そのライバルを打ち破るために考えたことが女性や子供、家族が自宅で使うことをコンセプトとしたimac、1998年に発売した。これまでの情報処理機器としてのイメージを一新し、新たなニーズに向けたカタチや色彩など、わくわくするようなデザインは大ヒット! 新たなユーザーを得て会社は息を吹き返したのだ。
「身近な道具、親しめるものを創りたい」と考えていた創業時のは、復帰後直ちに叶えたことになる。その後も、iPod、iPhone、iPadといった一連のアップルのデジタル機器、メディア配信事業は急拡大させていた・・・。
ステーブ・ジョブスとビル・ゲイツ、1955年という、同年生まれの2人の天才がIT化を進め、IT社会化の連鎖反応をも引き起こすことに・・・。人々のライフスタイルを変え、未来世界を大きく変へたネット社会を出現させることにもなったのだ!
しかし、動画、写真などを通して自分や周辺の事物を写し、拡散することの満足感も、過剰にすぎると社会的な反動にも合う。十分に意識せねばならないことだろう。
IT社会に散乱する情報の中で、いかに自分に必要な情報を取り込むか、と言うことが問題だろう。何より本人の自覚! 自律性が求められると言うことだ。
・自己の哲学的分析→「問題意識」を常に明確にしておく→そのためには「感性」が重要→その「感性」は、自分の知恵と経験によって得られた洞察力から生まれる→その「洞察力」は、物事を深く鋭く見抜く力、見通す力。観察しただけでは見えないものを、直観的に見抜いて判断する能力でもある。
デザインを学ぶ基礎力として「観察」が重要であるとも言った。観察を通して「モノ」や「コト」を深く鋭く見抜く、「洞察力」を併せ持つことでもあるとも・・・。自分を知り、自分の考えをもつ!なにより新しい「令和」の時代―新しい変化にも動じない「デザイン脳力」を持つことが大切なことだろう。このことはデザイン・ワークのみに限った話しではないし、楽しく豊かな人生を生きると言うことでもある。                      (2019/4・8 記)
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メモ:
次代へ――元号を選定する条件として、国民の理想として相応しいようなよい意味をもつ・漢字2字・書きやすい・読みやすい・これまでに元号や追号で用いられていない・俗用されていないなどを満たすことだと言う。
新元号は、「れ・い・わ」・・・と。『令和』と額装された2文字が提示された。見慣れない漢字の組み合わせには、皆戸惑っているようにも見える。云うまでもない!「和」はともかく、「令」は余り使ったことがないし、意味もよく分かっていない。そんな漢字の組み合わせだ。見慣れた文字の組み合わせであれば、まず、候補から徐外される。つまり、見慣れない漢字の組み合わせを選ばざるを得ない矛盾!が、新奇性があり、良い意味もいろいろと説明されると納得する。今後の何十年かを使用することになるだけに徐々に慣れ、馴染むものだ。既に、6~70パーセント以上が、素晴らしい『年号』だと・・・。
・令和の日本を取り巻く――アジア諸国の発展も、また新たな局面になるのだろう。先進国に習い、背中を追うだけの時代は過ぎ、ときに革新の先頭に立つ場面も。世界人口の半数を占める潜在力をもって加速度的に成長する新たな試練をも克服しながら、古いアジアのイメージを一新するIT化社会の変革は、その可能性を秘めて未来像を見せる事に。

・新商品の開発・発想力――日本を代表する某繊維メーカー、総合研究所が新素材を開発し、新たな用途、「何を作るか」が、次の課題だった! エンド ユーザーに向けての商品開発は初めての試みで、数ヶ月で「カタチ」にして見たいと・・・。
早速、素材の特性を生かしたアイデアを社内公募!日頃は商品開発とは無関係だろう事務職や研究職などの数十名が応募、6名単位の数グループによって検討・アイデア出し、そして、プレゼンされた。「スポーツ用サポター」、「犬用の防寒服」、「ビジネスリュツク」、「デスクワークに使える抱きクッショ」・・・などなど。社長、役員などの評価、判断・・・社挙げての商品の可能性を評価・検討する企画会議があり最終決定がなされることに。クラウド・フアンデングを試みることで商品化をはかるのだと。(「ヒット商品の新・方程式!」ガイヤの夜明けより)

・いまは、「デザイン思考」の拡散・浸透があり、あらゆる企業の多様な部署でもそれらしきアプローチの多くを見ることになった。つまり、誰でもがデザイナーになる!ということだ。それでも、「デザイナーである!」と主張し、「そうだね!」と納得してもらえるのは、その、アプローチ時における「デザイン脳力」であり、観察(洞察)、思考、発想、具現化のスケッチ・モデリングなど、美的印象を持った「成果の質」を見せ続けることが出来るかということ。そのためには日常的に生活観察が大切であり、また、スケッチやメモもまた、デザイナーである為にも重要であると言うことだ。
・1986年12月~1991年2月までの4年3ヵ月間のバブル崩壊後の最不況期になる、当時経営危機に瀕していた日産がルノーと資本提携を結び、同時に送り込まれたのが最高経営責任者の肩書を持つことになるカルロス・ゴーン氏だった。日産リバイバルプランは、激しいリストラを伴うなど幾つかの工場閉鎖、多くの従業員を解雇するというもの。さらに、車両部品の調達でも系列下請け業者を打ち切り半減させるという。当時の我が国においては、企業経営者は終身雇用を保証し、家族的な経営こそ「美」とした経営哲学があった。合理化のための非情な処置、閉鎖、売却、人材、資産の整理なども極めて難しいのではと噂され、倒産すら予測されていた。その時のカルロス・ゴーン氏だったのだ。しかし、同時に、多国籍企業になった日産の経営風土をグローバル化するのには、大いに役立ったのだとも言われている。その戸惑いの中で権力の集中と、独裁的な手法になるのだろうが、奢りを産み腐敗を与えることにもなった。日本の家族的な経営体質は会社の為より、ゴーン氏自身の体制化と蓄財に意識を働かせてしまったのだ。企業再建の合理化は独断的に進められるが、ゴーン氏による長期政権は驕りになり、日産が生み出したものは自分の経営力によるものとの思いは取り巻き人脈によって、勘違いを助長させる共犯関係に陥ることになって、歯止めの利かない公私混同が・・・。さすがに見かねた内部告発!その経緯は日々のニュースに見ることになるが残念なことでもある。かつて目撃していた颯爽としたゴーン氏ではないのだ!

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平成から令和へ、新年号へ移る間の慌ただしさを感じています。また新入生を迎えての諸行事、授業が始まる初日、私には長年、務めさせて頂いた大学院をおえる日になりました。学部・大学院と長い年月も振り返れば、僅かに数年でしかないとも思えます。(その前の年月の大部分は、ボケて記憶が薄れている所為でしょうが・・・!)
このコラムも190回を重ねられたのも編集長・肥田教授の、研究所・土田教授の叱咤激励のお陰、有難う 感謝です。お付き合い下さった先生、学生、OBの皆さん、ご健康とご健闘を祈ります。またお会いしましょう!(「彩の会4人展」は、まだ継続するつもり、時間が許せばお立ち寄りください。毎年の11月第2週ころ)

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