思い立って秋葉原を歩いた。
秋葉原の電気街からアキババレーへの兆し、その進捗状態を見たいと思ったからだが・・・。
改札口を出ると、暫し広がる商店街のビルを見上げる・・・。
そこからまた、雑多なパーツを詰め込んだ小間を連ねた昔ながらのアーケードをキョロキョロと眺めながら中央通りへ出る。
もう、十数年振り?記憶の回路は徐々にかってのコースを思い起こさせていたのだ。
そこを右折、山際電気方面に歩き始める・・・。
相変わらずの人ごみに連休を楽しむ親子連れが結構目に付いた。
その中ほどにアニメ風の少女が二人、行きかう人並みを背に幾つかのカメラに応えて笑顔のV字ポーズをとっていた。
ゲームソフト店の店員なのだろうか?そんな華やいで怪しげなイラストがべたべたと張られた店がバーチャルリアリテイ空間を演出しているのだろう。
これも現在のアキババレーを特徴付けるもの・・・。
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ところで、私がこの電気街に来るようになったのはデザインを学び始めたころ・・・。
実習課題の資料を集めるためだった。
勿論、ITなどはまだまだかけらほども感じさせない頃のはなしだ。
上野のアメ横やこの街には戦後の闇市を連想させる雰囲気があり、何だかワクワクさせるものもあった。
ラジオキットやその電気部品、分からないが細々とした品物類を棚一杯に詰め込んだ店がならび、ラジオやテレビのダンボールが山積みになっていた。
そんな街もやがて我が国の電化ブームに乗って成長発展していくことになる。
近代化され、電化された欧米の家庭が人々の夢を触発し、未来を示唆するものであった。
煩雑な家事の合理化、そのための電化は目標となり、何よりも我が国が生きる工業化の途を目指すために・・・。
冷蔵庫や掃除機、洗濯機という3種の神器が50年代以降の我が国の電化ブームに火をつけ消費を拡大させていった。
庶民の夢は白黒テレビを居間に置き、洗濯機で家族の衣類を、そして、冷蔵庫で冷やしたビールを飲むことだった。
神武景気の中で欲望は爆発し様々な電気製品が生産され世界へ向けて輸出されていった。「安いだけの粗悪品」の扱いは不満だが造れば売れてしまった。
欧米の製品に習い模倣すること、変形することがデザインでもあった。
製品意匠(デザイン)が何であるのか、考えねばならない時代だった。
発展途上国日本がまさに、まさぐるように工業化の途を走り始めた。
我が国の家電産業の盛衰、軌を一つしたこの街には製品生産に取り組む技術者や営業マンがしばしば訪れるところでもあった。
様々なキットやパーツを選び、他社製品や輸入製品と見比べながら製品のアイデアをより安く、そしてよりよい物を造ることを考えていた。
当然、この頃のデザイン実習にも「家電製品」や「照明器具」などのテーマが多く、この秋葉原はその調査や資料を集める拠点にもなっていた。
他には車、食器、家庭雑貨も興味の対照だったろうか・・・。
やがて山際電気や山田照明には本来の製品に加えて洗練されたヨーロッパの什器、小物のコーナーが出来ていた。
デザイン先進国、特にイギリス、ドイツ、そして北欧諸国の洗練された造形、精度の高い加工技術には強く惹かれた。
デザイン学生にとってはそれらを手本に、触れ、感じて目に焼き付けたものだった。

勿論、モデル試作の材料、つまみなどのパーツ類は兎も角、自分が使う家電小物などを買うのは、そこここに在るめぼしい安売りの店を歩き回った。
1つを買うにも結構、見比べ、選んだことが結果としてはよい勉強にもなったのではと思っている。
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小売業の盛衰は激しい・・・。やがて、地の利がよい場所にヨドバシカメラやビッグカメラ等の大型店舗が出現、見る見るうちに店舗を増やしていった。
1店舗での圧倒的な数量、カメラも電気製品も・・・。
私自身の秋葉原詣でも終わることになった。
長引く不況期の中、時代はマルチメデイアからIT時代へと変容し、シリコンバレーのニュースが流れる中で秋葉原バレー計画の話を聞いたような気がする。
もう数年も前の話だ・・・。
アメリカのシリコンバレーに倣って渋谷、札幌、などとその拠点づくりが意識されていたのだ。
青果市場跡地の再開発が進み、高層ITビルが建設されていた。
山手線を挟んだ位置に筑波研究都市と結ぶ新線がその建屋を見せている。
開通は真近だとか。
IT先進国としての目論みはすでに計画完成年次を向かえたと言われる。
このアキババレー計画が順調であることが、我が国の経済復興の兆しとなるものでもあろうと期待している。

(May 31/2005 記)

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追伸:ITの社会への浸透はこれまでに在った人間関係を縦横に分断し、親密さやいわゆる人として極めて重要な感性を喪失させている。そう思える出来事が余りにも多いようにも思う・・・。
これまでの考えからはとても理解出来ない犯罪、人間社会の運用の異常が生み出されてもいる。これまで心に受けるダメージはあっても共有出来るものだった。
しかし、今はとても理解し難い・・・。
ITの中で倒錯した感性、大脳を構成する神経細胞をも溶解させていると見える症状なのだ!生の感性を喪失しバーチャル世界に浸る生き方にIT社会の大きな陰を見る事にならねばよいが・・・。
不思議な生き物・人間のITとの関わりの究明もまた急がれねばならないだろう・・・。

(May 29/2005 記)

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