昨年9月、アルゼンチンの首都 ブェノス‐アイレス、IOC総会の五輪招致アンバサダーとして滝川クリステルさんがフランス語によるスピーチの中で身振りよろしく「オ・モ・テ・ナ・シ」が紹介され、大きなインパクトを与えて2020年のオリンピック招致を成功にみちびいた。「オモテナシ」は流行語大賞にも選ばれ、ことさらに話題はふくらみ改めて意識されるものにもなっていた。

日本人の「こころ・・・」。「謙虚さ」や「謙譲心」は、私たち日本人が美徳としてきたもの。「己の善を語らず」と、いう故事も極めて日本人的で幼い頃の私の脳裏にも確りと記憶されている。その信念、誇り高く真っ直ぐに生きる心であり、その生き方が日本人のルーツとなった日本人の美意識でもあるのだろう。
私の小中学生時代の経験でも、あえて卑下することはあっても、他人前で身内や子供などを褒めるなどということはなかった。それは相手の気持ちをおもんばかってのこと、ごく普通のことだったのだ。
いまは、私たちの日常生活にある他人を思いやる優しい心、誠実さは、「おもてなしの心」でもあり、デザインの心でもあるといえそうだ。
とくに商業的なサービスとして、経営課題としても様々な分野で“おもてなし”が注目され競ってもいる。
ところで、「日本人は相手の気持ちや周囲の状況にものすごく敏感で、時には過剰なほど相手が何を考えているのか気にする。世界中どこを探しても、こんなに周囲のことに敏感な人種は他にない。そのことが仕事で好成績を収める原動力になったと思う。」と、日本を飛び出して世界で活躍された工業デザイナー奥山清之氏は、その著書の中で体験を述べておられた。(『百年の価値をデザインする』 奥山清之 PHPビジネス新書)
さらに、付け加えるならば、「日本語を使った表現と思考能力だ。日本語は情報を伝える機能よりも、自分の今の感情、ポジションなどを表現機能に優れている。つまり、フアジーな全体の中での自分のポジションやフィーリング、感情を伝える機能が高いのだ」とも言う。
大変に興味深いことだと思う。まさに、日本人デザイナーが持つ繊細な感性であり、人々が「モノ」に何を求め期待しているのか、どんな不満を抱えているのかということも感じ取りながら、その先を誠実に求めている。
デザイナーにとっての「モノづくり」は楽しく心地よいこと、自分がそうしたい、そうしてもらいたいと思う心、「おもてなしの心」を世界に向けた「カタチ」にすることでもある。デザインは、人々の満足を得て、感動を与えることをイメージしてもいるのだ。
(2014/8・31 記)
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メモ:
・お―もてなし
・確認する――「精神」―清新―誠心―聖心―清真―清心―精進・・・・
・「こんなものでも食べて死ぬわけではないし・・・」、しかし、自分や家族は決して食べようとは思わないものだろう腐った肉片、臭いすら発しているものも。
働く人の格差は不満になり罪悪感を失わせ、悪意すらも生み出すもの。モラルの欠如・・・一流食品メーカーだという中国の食品工場の事件だ。
そういえばわが国でもあった待遇不満からの農薬混入事件。それまで5台だったという作業現場に、監視モニターが127台にも・・・。
監視され、見られているという意識は犯罪の抑止効果、いま、わが国にあるマスメデアと同じ効果なのか?イメージを失墜したくないという動機は、「おもてなしの心」と表裏をなすもの・・・。

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