あの騒動の渦中におかれることになった小保方晴子さんが、これまでの沈黙を破り初めてその胸中を告白した手記、『あの日』(講談社)が出版された。
あの日からはもう2年がたった。その間にも様々な関連本が数十冊も出版されていた。それらの本にはまた、好意的、肯定的な、あるいは、批判的で否定的な厳しいカスタマレビューもあって関心の強さと、多岐にわたる論点にも興味深いものがあった。

――「あの日に戻れるよ、と神様に言われたら、私はこれまでの人生のどの日を選ぶだろうか。一体、いつからやり直せば、この一連の騒動を起こすことがなかったのかと考えると、自分が生まれた日さえも、呪われた日のように思えます。STAP細胞に関する論文発表後、世間を大きくお騒がせしたことを心よりお詫び申し上げます。このようなお詫びを申し上げる手段を見出すことができず、これまで心からの反省や謝罪を社会に向けて行えてこなかったことを、本当に情けなく申し訳なく思っております。
重い責任が自分にあるにもかかわらず、自分でその責任を取りきることさえできず、このような自分が生きてしまっていることに苦しみながら日々を過ごしてきました。
あの日に戻れたら、と後悔は尽きません。でも、もう一度、最初から人生をやり直すことができたとしても、私はやはり研究者の道を選ぶだろうと思います。」
冒頭の1ページ、そんなはじまりからだった。
「初めて顕微鏡下で観察した生きた細胞は本当に美しく、顕微鏡を覗くたびにいつも何か新しいことを教えてくれ、ドキドキしたりワクワクしたりする素直な気持ちを何度でも呼び覚ましてくれました。それは、等身大の自分にも何かできることがあるかもしれないと努力する力と、未来への希望を与えてくれるものでした。」
アメリカの留学先では「可能性の夢」をバカンティ教授と語り合ううちに、「動物細胞を外部刺激で初期化ができるのでは?」という漠然とした「ひらめき」を。さらに、ips細胞についてのノーベル賞受賞者山中伸弥教授の講演会では、「ひらめき」は確信と言えるものになっていた。方針が決まれば情報が集まりイメージはいやがうえにも膨らむものだ。
紹介された理研に採用されユニットリーダーに抜擢されたことが、その後の様々な問題につながることになった。
生命科学に取り組む若き女性研究者!その存在感を示すための「ユニットリーダー」ではなかったのか?わずか数年の研究者がそんな理研の描くシナリオの主役に仕立てられ、それらしくピペットを握り研究者を演じさせられていたのでは・・・。政府の重点項目に則り、予算獲得のために仕立てられた社会や政府機関へのアピールだ。数名の関係者がそのシナリオの一端を担ってサポート、STAP細胞の発見を誘導する。
なによりも、ノーベル賞学者を輩出した京都大学の研究機関への対抗心であり、理研のプライド、その組織存続に対する危機感が根底にあったのだろうとも思われる。 とにかく、世紀の大発見だったのである。理研の世界的な研究者の眼を盗んで小保方さん一人が不正を働き、捏造(ねつぞう)、改竄(かいざん)して騙しおおせるのだとすれば、それは余りにも不自然なことだろう。その世界の科学者、研究者、企業などの巨額の金銭問題も絡み、羨望と嫉妬の眼は鋭く厳しいものでもあるはずだからだ。
STAP細胞の論文、その発表を機に様々な肯定否定、誹謗中傷が浴びせられることになった。特に論文の根幹にかかわる画像の流用を見過ごし、全体的な確認がなされなかったことは取り返しのつかない大失態だった。たしかに、考えれば、余りに性急に過ぎるし順調にもみえる実験。経験不足をベテラン研究者がサポートするシナリオに彼らが心から協力しようと、そう思っていたかは疑わしいことでもある。生命現象の神秘性の中で生まれたSTAP細胞は想像以上に大きな反響となってしまった。捏造、改竄だとされる我流ゆえの未熟さが次々に露見することにも。一転、その密かな企みは誹謗中傷にさらされ疑惑を持たれて破綻した。組織はシナリオを独り小保方さんの犯行にして終息を図ろうとしたものだろう・・・。そう考えるとその後のメンバーの対応が理解出来るような気がする。
笹井教授の遺書にある、「こんな形になって本当に残念。小保方さんのせいではない・・・・・絶対にSTAP細胞を再現して下さい」とも。
生命現象の神秘・・・。しかし、その不可解は生きる証ともいえる、複雑な人の間の意志であり感情でもあるのだろう!
(2016/2・29記)
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メモ:
・真白な装丁、『あの日』と、灰色の細い文字が白を際立たせている。
装丁は著者の意を汲んだ潔白の主張?あるいは、デザイナーの独断!出販社の戦略かも・・・。無限にある可能性の一つのカタチ。読者の心を捉え、手にとってもらえるように・・・。そんな色合いをもって読む人がいる。文字という記号も読み手の実に様々な感情によって、良くも悪くも解釈される色合いがあることにも驚いている。限りなく善意の白に、また、限りなく黒に近いものまで・・・。著者は人のためになる仕事をと細胞研究に取り組んでまだ数年の経験、そんな人が周辺の研究者の眼を盗み早々にSTAP細胞といえる発見をなし得るのだろうか? 数十年もの年月をひたすら研究に没頭している研究者、莫大な研究開発の投資をしている大企業の向こうを張って「やってやろう!」と、考えるのだろうか。

・科学者にはこうあって欲しいという、いわば理想像がある。
あえてその最低限の要素を挙げるとしたら、「あくなき好奇心と探究心」、「実験や観測のデータに対する謙虚さ」、そして「誠実さと科学者としての良心」――だろうか。(『捏造の科学者』須田桃子 文芸春秋)
・すべてが場当たり的なのである。理研の対応。関わった科学者たちの言動。第マスコミの報道も『群盲、象を撫でる』状態にならざるを得ない。科学の世界に起きたとは思えない非合理性が、事件を覆う。
・背景は思いのほか大きく深い。科学者たちは全体のスキームの中では1個の駒に過ぎなかったのは確かである。小保方はすでに役割を終え泡沫のように消え行くのみだろう。
・論文は、おそらくバカンティ教授が英文だけは校正を加えたものでしょうが、とにかく、引用文献のリストもなく、論理的な展開もみられず、中高生の実験記録?のような、あのひどい文章を読んだうえで、小保方をユニットリーダーに採用した理研が『単なる過失』としたことはおかしい。(『STAP細胞に群がった悪いヤツら』小畑峰太郎 新潮社)

・この分野では、能力に乏しい研究者が潤沢な研究費があたえられ、結果を性急に求められれば、論文捏造に走りがち。捏造の種をまいた政府の科学行政が問題だろう。(『論文捏造はなぜ起きたのか』杉晴夫 光文社新書)

・CDB―理研発生再生科学総合研究センターの上司が態度を豹変させた(経済人類学研究者・評論家 栗本慎一郎)

・ろくな指導も受けず、放置された挙句、誤った自己流で研究者の道を失った小保方氏が報われない、と言う同情的な声も。(『嘘と絶望の生命科学』榎木英介 文芸春秋)

・自ら学び体験すべきこと。リーダーと言う立場に、今更、その事を指導することははばかられることとされた研究者としての基本的なルールは、自己流でやらざるを得なかったのだろう。研究テーマの決め方――研究計画――研究の方法――論文の書き方――実験器具の扱い方-―データの管理の方法――実験記録の取り方など。
・これまでに「STAP細胞」をテ-マにしたコラム
コラム:133(2014/2・5)「こんなドラマチックなことが・・・・ある」
コラム:134(2014/3・2)「功を求める焦り・・・・か!」
コラム;135(2014/4・2)「論文の捏造(ねつぞう)、そして改竄(かいざん)問題」

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