加藤 様

寄稿「製造業の未来とデザイン活動」興味深く拝見しました。
全く同感です。
拙文「次世代へのデザイン問題」デザイン学会 デザイン学研究特集号’97 No4に掲載した内容もほぼ同意のものでした。拝見する中で重複する感想を、私の知りうる戦後史、或いは体験的デザイン史を思い返しています。繰り返される歴史の教訓、確かに人の歴史は直接、間接に繰り返され時間を繋いで営々と継続しているのです。
前回のコメントに加えて追考したものです。

戦後教育の問題点

敗戦後の瓦礫の中から、「生きる」ために、ただ、ひたすらに働く、働くこと、働ける事が生きる事であり喜びででもあったのです。「日本人は実に勤勉だ!」と言われているのは、実はこの喜びを知っているこの世代であるからだと私は思っています。占領軍の豊かな物資、体格も目の色も違う外人を見た驚き、ささやかながら覗き見る米欧の風物に大きなカルチャーショツクを受けた時代でもあつたのです。
地理的、或いは言語的にも極東の島国である日本はその情報量が極めて少なかったことです。しかも、当然ながら伝える者の主観が強く働いた加工された情報であり、比較することも出来なかったと言う事も容易に想像できる事でしょう。
その当時は軍事裁判により指導的立場にあった者は第一線を退かされ、或いは、戦犯として処刑されたりという混乱する中で、教育の指針に数十年後、少なくとも50年、100年後の日本を見据えた教育がなされることは不可能であり、考えられる事ではなかったでしょう。
「一億総懺悔」が言われ反戦的、反動的思想が大勢を占め、占領軍が占領政策に都合のよい様に規制したものが「錦の御旗」となり戦後教育の主流を占めたものとなっているのです。
「一億総玉砕」を云々した戦時中の教育が「国家の為に」であった反動で「国家の為に」ではなく、「他人の為に」でもない、自己中心的、個人主義の教育が今日の日本の本質をつくるものとなっているのです。
多様な生き方は共通する価値観を喪失させ家族の意味すら失しなわせて「個族化」を進行させています。
占領国から学んだはずの「自由主義」が我が国のあり方、良くも悪くも今日の日本を造ったと言えるのです。

戦後経済の発展
 戦後経済の右肩上がりの成長は世界の脅威と言われるものでした。
戦後10年はがむしゃらに働いた時代とも言えるのでしょうか「朝鮮動乱の特需」が有り、レイモンドローイに依頼したたばこ「ピース」のデザイン料が150万円と言われて度肝を抜かれた事も。
’56年の「経済白書」には「もはや戦後は終わった」と報告され「冷蔵庫」「洗濯機」「掃除機」から’57年には「白黒TV」「洗濯機」「冷蔵庫」が三種の神器に取って代わり、翌年には「電気がま」がブームをおこした「消費革命」と言われる時代でした。勤勉な人々によるモノずくり、生産はまさに順調、高度成長への始動でもありました。’69年にはGNP世界2位に。
そして自動車生産もドイツを抜きアメリカに次いで世界2位に飛躍した年であり、我が国のモーターリゼイシヨンの始まりでした。
’74年にはあの巨人アメリカを抜いてGNP世界一になった年でした。俄かには信じられないこと、その意味すら分からない事でも有ったのです。
常に学び、倣うべき先進国、強烈な印象であった欧米のかかとをのみ見て走り続けるひたすら働く日本人の集団でしかなかったのですから・・・。
確かに我が国の現実は今日ですら貧しいものです、多くの庶民にとっては夢見た豊かさを実感し、現実として捉えている者など居なかったのです。
当然と言えば当然のことでしょう。
’73年、次いで’79年と二度にわたる石油ショック。生活が石油の恩恵を受けて存在することを知り、俄かに狂乱物価がおこり、省資源が叫ばれるように・・・。
デザイン条件に「省資源」が大きな位置をしめることにも。
ひたすらに働く労働者、デザイナーは勿論、モーレツ社員と言われた世代があって経済大国への地歩を固める一層の経営合理化が図られ乗り越えたものでした。
この時代、目標に向う全社一丸の協力体制、寝食を忘れ、家庭を忘れた人々の日夜のモーレツな頑張りがあったのです。
この危機に対することで企業体質を抵抗力のあるものにしたとも言われています。
しかし、シンクタンクとして世界的なハドソン研究所所長、未来学者ハーマン・カーンによる「21世紀は日本の世紀」と言わしめた時でも、まだまだ殆んどの人々にとっては半信半疑、豊かさを、夢を実現したのだと言う実感を比較する余裕すらなかった、と言う時代でもあったのです。
憧れをもって見つめた欧米の生活の豊かさ、その格差は大きく巨大なイメージにもなっていたからとも言えます。
「夢」、それは遥かなるもの、既に手に入れた等とは夢夢思えなかった貧しい生活、住環境と言う我が国の特殊性もあったのだとも言えましょう。「狭い日本そんなに急いで何処へ行く」と言う交通標語が言い得て妙ですね・・・。
しかし、さすがに「追いつき追い越せ」の意識は徐々に、そして強く人々に浸透したもので、簡単に拭い去る事の出来ないこの世代精神として「根性」にも為ったものでしょう。
バブルの崩壊、大倒産時代、リストラ、道徳観、長幼の序の喪失・・・。
忘れ去られているが、しかし、我が国が世界の第一線にある経済大国と言われる今日があるのも、この時代の人々、今日の高齢社会を構成している方々全ての尋常ならざる努力あってのこと、私は深く感謝せねばならない事だと思っています。

日本のデザイン活動
 戦後、日本経済界の先進諸国に習う洋行は、アメリカやヨーロッパであり経営者を含めて多くの人々がよく視察に出掛けたものでした。
’49年、アメリカの産業界を視察した松下幸之助にはデザインされた製品が一際新鮮に映つたようです。大阪商人であり、後に経営の神様とまで言われる松下は「これからはデザインやでー」と、早速自社内に意匠課を設置したもので、我が国に経営戦略上のインハウスデザイナーが主流となるきっかけともなった様です。
’19年に始まるバウハウスが研究者、教育者、出身者などによって我が国に紹介され、大学教育の基本的な指針となりカリキュラムに反映されています。
実践的なもの、営利的目的からは本質的に遊離したものとして解釈されたものでした。
しかし、企業の経済戦略として導入されたデザインはそんな時代の活動に極めて大きな貢献をしたのです。
しかし、モノを造れば売れる時代でもあり、デザインをする事はバウハウス、デザイン教育、思想とは異なる営利目的行為として解釈機能したものでした。

デザインの模倣成長期
 戦後、経済活動が手探りする中で思想哲学を持たずに育ったデザイン活動は「モノや生活の質」を創造的、本質的に求めるよりも、一刻も早い結果をのみ求める短絡な企業の営利的要求に、より応えるものになります。
勿論、当時は今日的デザインとしての解釈、意味あいのものではなく「意匠」と言い、製品の形を美しくする事を目的の第一義としたものでした。
欧米製品を安く造り売る、事から始まったともいえる我が国の産業界。
–米欧にあって我が国に無いもの、生きる為→より快適に生きる為の実現は生きる為の手段でもあるのだが「欲しいもの」「売れるもの」を探し求める時代でもあったのです。
当時、ニューヨーク、ロンドン、フランクフルト・・・見本市会場や街の店頭等、製品がある所には「メガネをかけカメラを手にした日本人が走り回っている」と皮肉られ、露骨に追い払われる姿も。ウインドウを覗き込む事すら断られる事もあった時代でした・・・。
盗み見る?と言う卑屈な感情、「模倣」が言われる中、「学ぶ事」「習う事」の意味を考え込んだこともありました。
市場調査はよく売れているもの評判がよいものを分析し、参考にするもの。
企業、経営者にとってはそのまま真似たら楽で早い、投資しないで利潤を得る事が出来る訳で、何よりも失敗が無いことを最優先にしたものでした。
市場競争の戦場では模倣する事に抵抗は無かったのです。
この頃の日本、発展途上国の生きる為の一途な姿も国際社会では鼻摘まみでもあったようです。日本はまだまだ卑屈な時代でした。
純粋な学校教育、意匠教育、そこから純粋に育った良心的?デザイナーにとつては苦痛を伴うこと、精神的葛藤を生み出すものでもありました。
しかし、市場経済の戦場は、それらの効果があってその後の日本経済の爆発的な成長と軌を一つに発展する事に貢献したのです。
そして高度経済の極ともなるバブルの芽を大きく育てる事にも・・・。
’92年にはバブルと言われた経済活動が崩壊し、戦後、戦場デザインのパラダイムも破綻したことになります。
この過程は我が国に於ける歴史的必然でもあり評価されるべき事ですが、その渦中にあったデザイナーは自問し、自らを責め自嘲する方が多いのは残念な事です。
デザインのプロセスは時間経過、社会的要求変化の中で適切に修正していくしなやかな過程であり、それがデザインの本質でもあると考えているからです。

バブル経済後のデザイン
 しかし、経済破綻のツケは実に大きく、未だにその修復の混迷を続ける中で21世紀を迎えたことになりす。
戦後経済を支え、我が国の近代デザインの創始期に参画した世代のデザイナーは、その役目を終える中で高齢化社会を構成する年代に・・・。
良識派を自認するデザイナー、自らのデザイン行為に対しての葛藤と失望、そして反省と否定。
地球規模の変革期にありがちの深刻な混迷はデザインだけの問題ではないのです。
「成熟と衰退、目標の喪失、高齢少子化、産業の空洞化・・・。
競争力を失い国際社会から日本が消える」とまで言われて深刻な状況を突きつけられてもいます。
しかし、バブルと言う異常体験は、その落差を必要以上に大きく感じさせたようです。日本は底知れない不況感に自信喪失状態になり、奈落の底に居ると錯覚もしている様です。

21世紀のデザインパラダイム
 我が国の戦後教育のなかでは為される事が無かったのは創造性教育だと言われています。
小、中、高校教育の中で、或いは教育される事で失われていくとまで言われた発想能力、その貧困さが今日、我が国の大きな問題となっています。先にも述べましたが好戦的?とならないための平等平均値主義?は多様に解釈され、基本にプログラムされた教育はわが国の官僚、政治家の発想の貧困を生み、国内的な権威、価値観をのみ良しとした風土を作り上げているようです。
そして、当然のことながら「想像,創造する力」こそが人として何よりも重要な事、生きる力でもあるでしょう。勿論、「人々の営み」、その「より良い在り方」を創造する力はデザイナー資質の大きな部分を占めて重要である事は今更に申し上げるまでも無いでしょう。
今、一部の識者の提言があり、文部省の教育目標の反省と変換が言われていますが、その実効があるのは2,30年も後になるのではと私は考えています。
「国際社会から日本が消える」のでは、という危惧は昨今の我が国、国際社会の動向の中で信憑性が強いようです。我々自身が思っています。
世界的な不況感が我が国に呪縛を与え、身動きの取れないものにしているのです。
その事を私は極めて深刻に考えています。
2、30年後を待つというのものでは間に合いませんが、それでも既にもはやその呪縛の中で十数年が経過しているとも言える深刻さを見ているのです。

いま、新しい時間を得てデザインの意味が問われています。
フリー、企業デザイナーを問わず個人としての真価が問われ、資質が問われています。勿論、国際的なレベル、諸外国の低コストデザイナーとの能力と比較されるという事もあります。
私も教育の場に居るものとして十数年来、その事について大変心配しています。
しかし、日大を巣立ったOB諸君の潜在する能力を信じています。鋭く研ぎ澄まされた眼をもって観察する能力を持っており、その危機に、多様な問題に立ち向かっている人を見ています。
待つまでも無く自らを研ぎ澄ます努力、その創造の意識をもって頑張つている人が居ました。
OB諸君が他大学に比べても、その高い専門性、能力故に期待され多忙であるとも聞き及んでいます。そのことは、ややもすると高い視点、変化する外の動きを読み取る事に鈍感になり目先の事、或いは独り善がりになりがちです。
当たり前のことですが「独創し」「評価する能力」、「説得する論理性」も要求され、何よりも強い意志と「決断する力」を持つことは必須の条件であろうと思います。
それにしてもホームページ上に見る諸企業の、世界諸地域に活動の場を求めたOB諸君のレポートを嬉しく拝見し情報交流、相互触発の場にと提唱されたが意味大きい事を思い、喜んでいます。
併せて、HPを担当・発信している肥田助教授にも頭が下がります。演習教育、学務、雑務、公私にわたる幾つかの研究に・・・と、実に多忙な中でのご苦労に、感謝です。有難う! 私も大いに触発もされています。
加藤 均君の一層のご健闘を祈ります・・・・。

日本大学 清水敏成

E-mail:tshimizu@art.nihon-u.ac.jp

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