私には、いまも心に残っている言葉がある。
正確に言えば新書の中の1節なのだが・・・。時々は、思い出すことにもしている。
その本は、もう2,30年も前に読んだものだ。
当時、著名な社会学者であった会田雄次さんが書下ろしたものだった。
大学か、自宅の書棚のどこかにはあるはずだが、いまは、その書名の方は忘れてしまった。
「20代は 愛、30代は 努力、40代は 忍耐、50代は あきらめ、そして60代は 感謝!」と言うもの。
戦前の日本人の夫婦観で京都大学の先輩教授が折に触れて話されたものだとか・・・。
関西人らしいユーモア、機知に富んだ文章も楽しいものだった。
その軽妙な意味付けも忘れ難い・・・。
「20代は愛!」だと言う。 この事は今も変わらない事だろう。
異性を知り、恋をする。と、相手の全てが微笑ましく好ましく見えるもの・・・。
一挙手一投足、相手の全てを許せる、そんな純真な年代でもある。

「30代は努力!」 そんな二人は当然のように結婚して暮らし始める。
そして、呟く・・・。「もう少し優しくて頼もしい人だと思ったのに・・・」、
「あんなに素直で可愛かったのに・・・」と。
「そう云えば、顔付きも気に入らないし・・・」、「あの歩き方も気になる」
冷静になって日夜相手を見るようになると、今まで好ましいと思っていたこと、些細な事までもが気になり始めるのだ。
しかし、もう結婚した事だし・・・。お互いに、なんとかしようと「努力」はするのだが・・・。

「40代は忍耐!」 お互いに、なにかと努力してみた、が思うようにはならない。
いうまでも無いが家庭は安らぎの場、夫々が本音で生活を始めていた。
お互いが気を使い過ぎても疲れる・・・。思えば相手が生まれ育った環境も違う、価値観も大分違うことがはっきりして来た。
平穏な家庭生活は、お互いが我慢すること、「忍耐」あるのみだと思う様になる・・・。

「50代はあきらめ!」 それでも、どうにもならない・・・。性格も違いすぎると分る・・・。
子供を味方につけ風格の出てきた女房、「従わせるなど思いもよらない」と・・・。
ほどほどだった亭主の実力、尻を引っぱたいて働かせるだけだ、とも。
亭主に失望したら、期待するのは息子・・・。卓上に並ぶおかずの質や量が違うのだ!
「諦める」こと、「相手に多くを期待しない事なのだ!」と、悟る・・・。
「体力的にも自信を失い、そう悟る年代でもあるのだ!」

「60代は感謝!」 「よう~、こんな偏屈な奴に我慢してついて来てくれたよナ・・・」
感謝、感謝!だと言うのだ。
「悟り」はまた、自らの可能性をも見てしまう年代でもある。
自分の非をも認め、相手に感謝の気持ちになるのだとも言う。

いま、私自身もそんな年代になり、その全てを体験したことにもなる。
そして、その一つ一つが、「まさにその通り、そのとうりだった」と、痛感もしている・・・。
特に、「忍耐」とか、「あきらめ」の年代には強く共感をしたものだった。
この事は、またデザインや仕事の場面に置き換えることもした。
それらの時間を短縮してみる、「そうだ、今はそう言う時期なんだ!」と自分を慰め、納得させることも出来るからだ。

人生、80年と言われる時代。しかし、人も価値観も、生活環境の総てが大きく変わってしまった。
2分に足りない時間で1組が離婚しているのだとか・・・。
いまはこの言葉、死語になってしまったのだろうか?
(2003/10・2 記)

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