いまから ここから
          みつお
体験して 初めて身につくんだなー
                みつお

日常の中にある、何気ないことば・・・。
そして、素朴な文字。
なぜか、ひとは共感し心癒されてもいる・・・。

日曜日の夕刻、「相田みつお美術館」は案の定大勢の人出だった。
覗き込み、列を成してなかなか動かない人垣・・・。
見学者の後ろから時間に追われ、慌しく眺め通りすぎる、私・・・。
しかし、それでも「なにか」を読み、感じ取ることが出来る、そんな「文字」が並ぶ空間だった。
たまたま昨夜は、その「相田みつお」を主人公とするドラマのテレビ放映があった。
偶然だが予定の講演会と合わせて「この日」と、もうかなり前から決めていた前日のことだ。休日とも重なる。
「多分、混むだろうなァ・・・、如何にもタイミングが悪い!」
しかし、その人となりをドラマ仕立てながら知ることが出来た。グットタイミングと言うべきなのだ、そう思い直して足を伸ばした。

伝統に習い文字を書く、書道・・・。
その繰り返しに飽き足らず自らの文字を、ひたすら追い求め苦悩する若い日の相田みつお・・・。
貧しさの中にも己を信じ求める姿は、私の知る多くの芸術家に共通するもの・・・。
周辺にうず高く積み重ねられた紙片は書き損じたものだろうか?何か修行僧のようにも見える相田みつおの写真だった。
額に収められた白い紙面には子供の落書きを思わせるようなかすれた我流・創作文字が踊るように・・・。
不安に揺れる心の軌跡が「ことば」を生み、「文字のかたち」を生み出した。
その短い「ことば」はあたかも禅問答か?
親しみと素朴さ・・・。
「そう、そうなんだ・・・」と、微かにうなづく見学者の顔があった。

わたしが、その文字を見たのはどこかの店、トイレの小さなカレンダーだった。
もう随分と昔のこと、どこだったのかも忘れた。
踊る文字、「ううん!」と頷かせることばが妙に印象的だった。
トイレ、好奇心?
かすかに小学校の落書きを見るような、懐かしさだったのかも知れない。
心あらわれ、清清しい気持ちになったものだ。

相田みつおの世界観から生まれた「ことば」には、独創的な文字造形、その余白があって生かされている。
人々の素直な共感はそこにもある・・・。

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師走、休日、人ごみ・・・。
有楽町駅から大型液晶画面が並ぶビックカメラ店内を抜けて会場へ向かった。
話が前後してしまったが、この日、まず訪れたのは大前研一氏、堺屋太一氏による講演会・東京国際フオーラムC会場だった。
大前氏の「激変する時代をいかに生きるか」を午前11時から、そして堺屋太一氏の「知価革命 世界と日本の次なる社会」を午後2時半から、と分けて聞く予定だったのだ。
世界の動向を捉えて発信、わが国を左右するこれまでの提言にも聞くべきものがあった著名人でもある。
顔を見、声に触れる・・・。そのグローバルな知見、語り口に触れたいと考えていたからだ。
内容は勿論、人々に向けた顔、その目配りや手の所作の一つ一つにも興味があった。
話術の巧みさ、ユウモアに生(なま)の人間性を見ることも楽しいことだったのだ。
情報が錯綜する時代でも「直接自分の目で確認することが重要なんです・・・」と海外に飛び出すフットワークの軽さ・・・。
「アメリカに600回、アジア圏には数百回・・・も出掛けました」と語った大前氏。世界規模のマッキンゼー研究所に勤務、日本支社長。その後には欧米の数大学の教授を歴任し、現在はUCLA教授、経営コンサルタントとして活躍中でもある。
そう言えば、かって盛田ソニー会長、岡本太郎(画家)らと中年の「元気印」として世のお父さんに新しい時代の「生き方」の範を示した姿も記憶にあった。
その話しは数字を挙げ、事例を挙げて我が国将来の厳しさを指摘するものだった。

また経済官僚から作家に転進した堺屋氏は元経企庁長官らしく日本経済の行方、特に2007年、2025年問題にも話が及ぶが、決して悲観的ではないことを述べられていた。
これまでの氏の著書からは「団塊の世代」、「油断」、「知価革命」などの言葉がキーワードとして時代をリードし注目されたものだった。
我が国に示唆を与えたものも多く、私自身も多くを学んだ。
私には満足。充実した講演会だった。
夕刻、4時半過ぎ・・・。
急ぎ足で東京駅よりの地階、「相田みつお美術館」へと向かった。

(12.23/2004 記)

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追記:年末雑感
あなたを待てば雨が降る、
濡れて来ぬかと気にかかる、あぁ~ビルの谷間のティールーム・・・。
(中略)
あなたと私の合言葉・・・。
有楽町で逢いましょう~

わたしの学生時代にもそんな歌が街に流れていた。
有楽町、ほろ苦い青春・・・。
貧しいが、しかし、ちょっぴりと「夢」を持つた時代でもあった。

時は移り、豊かさは日本人の凡てを変えてしまった、のだろうか?
先日までの「冬ソナ」騒動は今もあるのだろうか?
日韓の空港を行き来する日本人。黄色い嬌声、若い?女性軍団の姿がニュース画面に・・・。
己を求め、満たされることのなかった青春の想いを、いま求めているものだろう。
その純な心はいつの時代も、幾つ?と言われようと変わることのないもの・・・。
夫婦は寄り添うもの、「人」と言う字は2人寄り添ってなると結婚式のスピーチで何度か聞いたことがある。
しかし、年を重ね相手を知り、恋愛時代には決して見せることもなかった自分の全てを知られてしまった弱み?お互いさまの幻滅?
恋も夢も、もはや現実ではもてないと言うことだろう。

それらも報道!マスメデアによるニュース情報の効果によるものが大きい。
チヤンネルを替え、時間を変えてもその報道はある。
1つのニュースは視点を変え、繰り返されて増幅されていくバーチャル時代でもある。
人々の生き方、共感、共鳴もそこに生まれる。
天災、人災・・・。騒然とし、殺伐とした世相にも拍車がかかる・・・。
プロ野球騒動に打って出たライブドアーや楽天、ソフトバンクなどIT企業、勝ち組のニュースには、人々の中流意識を吹っ飛ばす効果があった。
年収300万では夢を追う女性の結婚の条件にもならないのかも・・・。

来年こそ、いい年になるように祈ろう!
足元から「青い鳥」が逃げ出さないように・・・。

 百円玉一つぽんと投げて手を合わす おねがいごとの多いこと
                               みつお
しあわせはいつも 自分のこころがきめる
みつお

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