「はやい、はやい・・」。「すご~い!」「鳥みたい・・・」。子供たちの歓声が日本に初めてお目見えしたHondaJetを出迎える。
映像がとらえた機体がみるみる大きくなってくる。その視点が変わると、あの人懐こいイルカ? 首をせいいっぱい伸ばし水面をけたてて飛び立つカモメのようにも見える。
しかし、開発者藤野道格氏はあれこれデザインを迷っているときに、「フェラガモのハイヒールを見てインスピレーションを得たのだ」と言う。
あの「ハイヒールの尖ったつま先からかかとにかけての鋭く流れるラインが、HondaJetの尖鋭的なデザインになった」のだと!
なるほど、スケッチブックには試行錯誤を繰り返したであろうメモやそれらしきスケッチが・・・。寝ようとベッドに入った時に「ひらめいた!」のだと、主翼の上にエンジンを付けるアイデア、そのスケッチはカレンダーの裏に描かれていた。常識をくつがえすアイデア、発想を確信するものだろう大切にフアイルされている。他社の競合するジエット機とは異なる「ホンダらしさ!」を求め続けた結果の一枚だったのだ。
デザイナーは様々なものを見て「カタチ」や「アイデア」のヒラメキを得る。知的で純粋に数理的でもあるとみられるジェット戦闘機のメタリックな造形にも感動し、触発されることも多い・・・。あるいは、テーマとは全く関係ないのではと思えるものにすらカタチやアイデアなどのインスピレーションを得ることがある。
もちろん、私たちは、全くの「無」=「0」から「1」を、さらに、「2・3・4・・・」を生み出すことは出来ないからだが・・・。
そのために、常日頃から、あらゆるものに目を留め、カタチやアイデアを探し求めることを心がけ、自分のアタマにいっぱい詰め込んでおくことだ!
しかし、「モノ」のオリジナリテイを求めよう、「0」から考えてみようとする時、藤野氏のように、ジエット機(航空機)として認知されている「カタチ」のすべてを否定してみることも。
この「カタチ」しかないと思い込んでしまう呪縛、その解放には、「疑ってみる」こと、「否定してみる」ことが大切なことだからだ。「なぜ、このカタチなんだ?」と疑うこともなく、前例に準ずるだけでは、新奇性を求められるカタチや納得させるだけのデザインを生み出すことは出来ないからだ。
初めは可能性を持った漠然としたイメージ・・・。
そのコンセプトのための必要条件、機能、構造などからつくり上げられる可能性は、無限にある。だから迷い混乱もするし心もとないものでもある。そのためには確信を持つまでの熟考を繰り返すことになる。考える広さ、探る深さ、思い続ける時間と集中力がある瞬間(とき)にヒラメキを生み出すことになる。もちろん、結果が、既成のものと同じになるということもある。
だが、全てが同じではないこと、その中に必ず差異を見出すことも出来るようにもなる。
HondaJetは藤野道格氏によるアプローチであり「モノづくりから、その販売まで」を意図しており、「ホンダらしさ、独自性」を求めた中で生みだされたものといえる。デザインの理想とするアプローチでもある。
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2012年、藤野道格氏は日本人では初めて米国航空宇宙学会の航空機設計賞を受賞した。また、米国の学術団体「SAEインターナショナル」が主催する「ケリー・ジョンソン賞」をも受賞することになった。「HondaJetの高速飛行時に発生する空気抵抗を低減する、独創的な主翼上面エンジン配置形態や、高速自然層流翼などの革新技術を開発し、クラス最高水準の巡航速度、燃費、客室・荷室の広さを実現したことや、これらの先進技術の研究・開発により、航空宇宙工学における学門的知見の発展に貢献したことがあげられ、日本人で初めての受賞となった。授賞式は、2015年9月22日~24日にシアトルで開催される「SAE 2015 AeroTech Congress&Exposition」で行われるのだ。
(2015/4・30記)
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メモ:
・ホンダが米国で開発・製造してきた小型ビジネスジェット機「ホンダジェット」が23日、日本の空を初飛行し、羽田空港に着陸した。創業者の故・本田宗一郎氏が航空機への参入を宣言した1962年から半世紀余、伊東孝紳社長は会見の席で、創業者の夢が「ようやく実現できた!」と語り、「非常に大きなステップ。ようやく空に夢が広がったという意味では象徴的な日である」と。「ホンダジェットは性能、快適性で新しいスタンダードを切り開く自信作」であり、ホンダらしく、「パーソナルモビリティーの可能性を広げた」とも。
同社は1986年より航空機の研究に。ジェットは1997年から開発開始。今月25日から5月4日にかけて仙台、神戸、熊本、岡山、成田の国内5カ所で一般向けにお披露目。5月19日からスイス・ジュネーブで開催の欧州最大のビジネス航空ショーに出展。各国で営業活動を展開する。価格は450万ドル(約5億4000万円)。[ロイター通信]

・創業者・本田宗一郎氏には1964年頃?落合のご自宅のホームパーテイにお招き頂いたことがある。各地、各国を飛び回るビジネスジェット機のオーナーを予感させることだったのでは・・・。ご多忙な社長も、全国にある工場施設をご自分で飛行機を操縦して飛び回っているんだと・・・。「遠く、離れたところでも空を飛べば簡単だよ・・・」と。ただ、ある時、不具合が生じて「浜松の自衛隊に不時着し一命をとりとめたんだ!」と、腕をまくり上げて傷あとを見せて頂いたことも・・・。「雷おやじ!」と恐れられ、しかし、親しまれてもいた「おやじさん」との話・・・。優しい眼差しを思い出してもいる。もう50年余も前の話になるが・・・2輪、4輪、そして航空機へという熱い思いは、いま藤野道格氏に引き継がれ、現実のものになった!

・ジエット機を造り上げている部品は大型旅客機で300万個、小型機で70万個なのだという。ちなみに車は3~4万個、日本の品質をつくる中小企業の可能性の夢も膨らむものに・・・。(「ホンダ…空への挑戦!」ガイアの夜明け ―テレビ東京 2015/4・28)

・自動車ビジネス(2011年08月19日金 18時45分)『ホンダジェット藤野社長…エンジンが翼の上に落ち着くまで』ホンダジェットインタビュー
特別編集=ケニー中嶋

ケニー中嶋(米国・翼の上に配置されたエンジンが開発の転機だった。
ホンダ入社の経緯など・・・。
ネット上にある「デザイン・開発者 藤野道格社長へのインタビュー」が大変興味深い。ぜひ!皆さんにも読んでもらいたい!

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