私たちに強烈な印象を与えた“太陽の塔”は、1970年にアジア圏は言うまもなく、我が国が初めて行なった『日本万国博覧会のシンボル』として作られたもの。抽象芸術を代表する岡本太郎の作だ。南青山にある『岡本太郎記念館』は、1954年から84歳で亡くなる1996年までの50年間を過したアトリエ兼住居跡。万博などの巨大なモニュメントや壁画などの構想、絵を描き、原稿を口述し、彫刻を創り、人と会うなど、一人の人間の枠を超えて多彩な作品を構想・制作した空間でもある。岡本太郎の作品すべてがここで構想されたのだという。膨大なアイデアのエスキースや彫刻、また戦後文化のうねりを伝える資料など、彼の生きざま、そのエネルギーはいまも満ち満ちているのだと。
デジタル化、錯綜としたグローバル社会の進展に先が見えず、誰しもが不安と苛立ちを募らせているようにも見える。いまも、多くの若者たちが訪れては、目を輝かせて帰っていくのだと。「エネルギーをもらいました」、「一歩前に踏み出せそうな気がします」、「壁にぶつかったら、また来ます」と。
おかれているスケッチブックには、彼らが残した言葉が並んでいる。

岡本太郎は強烈な作品、過激な言葉で世間を挑発し、また、そのまま己をも鼓舞し“岡本太郎”を貫き通した。「いま、その生き方や美意識が注目され、『存在』そのものに共感する人が多いのは言葉に嘘や計算がないからだ」という。岡本太郎をつくったのは1930年代のパリ。18歳からの10年余、様々な芸術、文化人が集うエキサイティングなパリで多感な青年時代を過ごした。「何のために絵を描くのか!」と自らに問いかけ、フランス語を学び、画学校でアカデミックな絵画技法も習った。
さらに、「芸術は全人間的に生きること。私はただ絵を描くだけの職人にはなりたくない」と、哲学や社会学、民俗学などをパリ大学で学び、様々な芸術運動にも積極的に飛び込んでいた。広大な宮殿でもあったルーブル博物館では、燦然と並ぶ名画に感動し圧倒されてもいた。特別な展示だったのだろう、目が覚めるような豊麗な3枚の絵はセザンヌ・・・。「光のように私を射て、日本で見ていたあの複製画の絵とはまるで違う」と感動。
しかし、下宿でキャンバスに向かうと一筆一筆に迷い、疑惑と自己嫌悪にも。「絵が思うように描けない!」と、あがき苦しんだ2年半が過ぎようとしていた。ある日、たまたま立ち寄った画廊でピカソの作品を見て強い衝撃を受けたのだ。思わず両拳を握りしめると、「これだ―と、全身が叫んだ!」と。
画面の、その奥から逞しい画家の精神が伝わってくる!高ぶる感情を抑えきれず眼には涙が・・・。帰路のバスの窓からはセーヌ河畔や街路樹の梢がにじんでみえた。「あれこそ私がつきとめるべき道だ!」と、繰り返し心に叫んでいた」のだ。探し求めていたものが眼の前にあった・・・。
「ピカソの絵の前で泣くほど感激するのに2年半もの迷いの生活と、前進し飛躍する過程が必要だったのだ」とも思った。
独り芸術の渦に飛び込んで肌で触れたムーブメントではカンディンスキー、モンドリアンらのアブストラクシオン・クレアなど。また、シュールレアレズムとの交流では、エルンストやジャコメッティ、アルプ、カルダー、マン・レイ、ブラッサイなど、後に20世紀美術の巨匠となる多くの芸術家などとの親交があった。ジョルジュ・バタイユ(フランスの哲学者・思想家・作家)が組織する秘密結社にも参加した。やがて岡本は独自の芸術思想「対極主義」に思い至ることになる。既成のイデオロギーや様式に安住せず、あらゆる対極的な概念を矛盾のままにぶつける。
前に進むためには、その矛盾から生まれる絶望と緊張を拠り所にするしかない。具象と抽象が矛盾のままに対置され、観る者を独特の緊張へと導くという新たな境地だ。  (2018/5・6記)                             
《メモ》
●岡本は漫画家一平とかの子の長男。奔放で破天荒な家庭で育てられ、規制概念に囚われない生き方と挑戦する心をエネルギーとして様々なモノにも挑んでいたように見える。東京美術学校に入学したが父母の渡欧に同行し、1930年(昭和5)からほぼ10年間滞在することになるパリへ。
岡本は、この時の感動を著書『青春ピカソ』(新潮文庫1953年)に「私は抽象画から絵の道を求めた。この様式こそ伝統や民族、国境の障壁を突破できる真に世界的な二十世紀の芸術様式だったのだ」と述べている。
●著書、『今日の芸術』のなかで、「芸術はうまくあってはならない。きれいであってはならない。ここちよくあってはならない」と宣言。つまり、手先の巧さ、美しさ、心地よさは、芸術の本質とは全く関係がなく、むしろ、いやらしさや不快感を感ずる。見る者を激しく引きつけ圧倒することこそが真の芸術なのだと説いている。「職業は人間」「芸術は爆発だ!」「芸術は呪術だ!」「座れない椅子!」「グラスの底に顔があっても良いじゃないか!」などの発言には少なからず驚かされもしたが、改めて眼を見開かされたとも思ったことだ。
●美術、歴史、民族学など広範な知識を駆使し、創作の実体験だけに岡本の芸術に対する深い信念が言葉に勢いを与え魅了もするものに。「今日の芸術は、うまくあってはならない、きれいであってはならない、ここちよくあってはならない」を芸術の根本条件として宣言し、芸術の本質とは常に過去を否定し乗り越えることである。そして現代社会で失われた人間性を取り戻すため「すべての人が絵を描かなければならない」と主張し、人々を芸術行為へと誘う。
●太陽の塔は、塔頂部に「黄金の顔」、正面中央部に「太陽の顔」、背面には「黒い太陽」と3つの顔を持ち「輝く未来」と「現在」「過去」を表している。さらに4つ目の顔「太古の太陽」は地下空間に、閉幕後に行方不明に。
塔内部は生命の進化を表す展示――「生命の樹」にアメーバーなどの原生生物、爬虫類、恐竜、哺乳類、そして人類と292体もの生物模型群が下から上へと“原生類時代”“両生類時代”“哺乳類時代”などの進化の過程を。
●下手な絵描きたち ・貴族から市民の芸術へ・ヘッポコ絵描きセザンヌ
・素人画家ゴッホ、ゴーギャン、アンリ・ルソー・まずく描くピカソ
・名人芸のいらない時代 ・生産様式と芸術様式・四君子とモンドリアン・「ピカソなんか、おれだって……」・だれでも描けるし、描かねばならない ・絵を描くのは余技ではない・うまい絵を描こうとするまちがい・デタラメがなぜ描けないか・とにかく描く (岡本太郎著書、『今日の芸術』より)

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