<日芸>は80余年、戦前戦後の歴史を通じてユニークな人材を世に送り出しており我が国の芸術文化の一端を担って社会に高い評価を頂いています。
デザイン学科も又、現代生活の強い要請の下に一貫したデザイン創造の教育を行ってまいりました。
「想像から創造」へ、より独創的に可能性を探求する強い意志を持ってテーマにも挑戦しています。「生の生活」を自らの体で実感し「自らの手を持って考える」ことをもモットーにしています。
人は常に「より良い生活」を求めています。
その生活の変化にまた新たな人間が生まれ新たな問題が生みだされます。
人間は、その「要求と変化のプロセス」を繰り返します。私共はその「要求と変化のプロセス」の中で自在な形をとり、ざまざまな分野との連携をもってしなやかに機能しています。
私共の知財センターNUBICを通した特許出願にも意欲的です。
勿論、まだまだ未熟!しかし、その若い意欲、可能性を見て頂ければと思います。
どうぞご批評頂けれ幸いです。

先日、東京ビックサイトで行われた「2004 Design Initiative」の本学の出展概要です。
戦前戦後を通じた我が国の極めて大きな変化、変貌ぶり・・・。デザイン教育が図案、意匠と言われていた時代からの紆余曲折。
しかし、記憶を辿れば私自身が学び、そこに触れてきた時間の長さにも又、感慨深いものが有りました。
ところで、その展示モチーフとして使われていた学部のシンボル=「目玉のマーク」は、その意味がよく理解されたものではなかったようです。
勿論、私自身もそのことをよく知っていると言うことではなく記載されている「学部50年史」から読取るだけであるのですが・・・。
「昭和14年、芸術科(芸術学部の前進)がこの地、江古田に新設され校舎の竣工と共に大いに内容に、外観に面目を新たにする意味で芸術科の紋章を制定した」と記述されています。
その創作者は本学の講師であった海老原喜之助氏。

私にとっては「あの海老原?・・・」
後年、我が国を代表する洋画家として、又、熊本で「エビケン」という画塾を主宰し後継の指導をされており、当時、中学生だった私も「通いたい!」と強く憧れもした画家でもあったのです。
その事は学生時代には知る由もなかったことですが・・・。

「外周の楕円は宇宙の運行を表しており、芸術の時間面を、また、その楕円に内接する円は位置を表わし芸術の空間面を象徴したもので天体面からのヒントである」と記述されています。また、「その紋章の印象を日本大学の『日』にも、さらにその形を『目』にも連想すると言うことで『目玉のマーク』として親しまれている。
「もとより目は人体の中心にあり『英知』のシンボルとも解釈される」と言う創作者の意図もあったようです。
「最近、日本帝国の飛躍的な進展は物質文明の異常な発達に起因するが・・・」「芸術など必要ないのでは・・・」等と言われるなか「すなわち、物質文明の基調をなし、次に物質文明に優越するものは精神文化の顕現である。— 芸術に相俟って豊穣なる精神力を養い、弾力性と、飛躍性を有せずんば、断じて新時代が処すべき国家発展の機能は全きを期し難いのである。— あらゆる芸術的分野を余すところなく網羅し、各科の連携統合を計り、— 興亜文運の進展に資せんとするものである」と「芸術科」設立の趣旨に述べている。(昭和15年4月)
果敢にもその必要を唱えた時代の気概を、その先見性を窺がい知ることが出来るものだろう。
今日ほどの論理性、科学性はなかった?のかも知れないがしかし、紛れもなく今日言う<UI計画>の先駆けと言えるものなのです。
大学の内外に「強い意志」をもって表したその「シンボル」に深く見るべき意味があるのです。
いま、考えると・・・。その錯綜する時代を読み取り行動した先輩の先見性にも強く敬服してもいます。

「科学者、或いは自然を愛する人に最も感動を覚えさせ、意義の深い言葉は二つ、1つは宇宙であり、もう1つは生命です」とノーベル賞学者江崎玲於奈氏は述べています。
「宇宙」と言う言葉は、実は紀元前2世紀、中国前漢の学者、劉安が著した淮南子(えなんじ)という書物にはじめて出てきます。
「宇」は天地四方。四方の果て、心の大きさを、「宙」は無限の時間。往古来今、虚空などを意味しますので「宇宙」とは空間的かつ時間的な無限の広がりを意味します。
ところで、この宇宙は膨張し続けていることが観測から分っており、過去にさかのぼること150億年前の大爆発(ビックバン)によりこの宇宙が創生されたことになっています」と・・・。
読売新聞、「全体を俯瞰する知識」という論考’99に見た記事です。
思うに、20世紀の初めに宇宙論の枠組みを与えたのがアルバート・アインシュタインでした。「空間」と「時間」を統一的に取り扱う「相対性理論」であり、これにより物理的な世界観が革命的な飛躍を遂げたといわれる時代でも有ったのです。
それらの強い刺激が芸術の先端を走るものに強く影響し、壮大な宇宙の「時間・空間」を捉えたイメージが結実したもの、シンボルとしの「カタチ」を意味しているものでしょう。

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世界を一つにし、国家を背に競い合ったオリンピックが終わりました。
世界の国旗の中でも、ひときわ鮮やかに映る日の丸 — 日章旗を様々な感慨を持って見上げる選手たち・・・。
一人ひとりの「輝く瞳」が今も私の目に焼きついています。
多くの感動!を与えられました。
夏季休暇、研究、調査、雑務・・・。そして昼夜の観戦!
私の生体リズムはまだ狂ったままですが・・・。
(31・8/2004 記)

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