まさか、グアム旅行記を書いた次の回で、このような内容のコラムを書くことになるなんて夢にも思っていませんでした。
2011年3月11日、午後2時46分。
三陸沖を震源とするマグニチュード9.0という大地震が起き、続いて大きな津波が太平洋沿岸に押し寄せました。
被害の大きさは、表現しようがありません。お年寄りも大人も子どもも赤ちゃんまでも。たくさんの人が亡くなり、たくさんの人が行方不明になり、たくさんの人が今も不自由な生活をされています。
さらに、地震と津波だけではなく、放射能という目に見えない脅威にもさらされています。

あの日。私は10ヶ月の娘をおんぶし、自転車で出かけていました。私のいた場所は震度5弱でしたが、信号機が今にも折れそうなほど根元からゆさゆさと揺れて、停車中のトラックまでもタイヤが浮き上がらんばかりに揺れていました。すぐに自転車に乗って保育園にいる息子を迎えに行きました。地震直後、交通機関も乱れ電車 も止まっていたので自転車で移動していたのが幸いでした。迎えに行く途中も大きな余震が続きました。保育園に迎えに行くと、子ども達は防災頭巾をかぶって、目を丸くして、身を寄せあっていました。しかし子ども達に笑顔も見られました。きっと先生達が安心させてくれていたのでしょう。

関東近郊でも夜遅くまで電車は動きませんでした。都心にいた夫も家には帰って来られませんでした。
その夜、緊急地震速報は何度も流れました。怖くてテレビを消すこともできません。4歳の息子と10ヶ月の娘と3人で、余震が続く不安な夜を過ごしました。そのときは首都圏でも家が倒壊するほどの強い地震が起きるのではないかと不安に思っていました。私1人で子ども2人を守りきれるか不安で仕方がありません。
いつでも避難ができるようバッグに子どものオムツと着替え、食べ物、水などを詰めて玄関先に置きました。私も子ども達も普段着のまま、息子は自転車用のヘルメットもかぶらせて寝かせました。あまりにも緊急地震速報が何度も流れ、その度に娘を抱っこすることが多いので、抱っこひもで娘を体にくくりつけたまま、大きなク ッションにもたれかかるようにして朝を迎えました。多くの方がそうだったでしょう、もちろんほとんど寝られません。いつもならほとんど目を覚まさない息子も、昼の地震の大きさを体験しているからか、余震の揺れに何度も目を覚ましていました。

自分だけなら、何が起きても次の行動に移れるけれど、小さな子どもがいるとそうはいきません。 (もちろん今回のマグニチュード9.0のような揺れでは、子どもを助けるどころか、自分が立っていることすらままならないと思います。)
揺れがおさまった後、子どもの安全を確保しようとして、あるいはオムツやミルクなど子どものものを持ってから避難しようとして、津波から逃げ遅れた人も多いのではないかと想像すると、胸が痛くなります。
3月11日。ほんの少し前は、ひなまつりのお祝いをして、楽しく過していた家庭も多いことでしょう。地震と津波は人々の幸せを奪っていってしまいました。そして放射能は被災された方だけではなく、被災地から遠く離れた場所にいる人にさえも、不安を与え続けています。

首都圏では「買い占め」という間違ったカタチで防災の意識が現れました。もちろん、全ての人が「買い占め」をしているわけではありません。災害が起きた時、1人あたり3日分の備えが必要とされています。飲料水は一日あたり1人3リットル必要といわれています。この常識の範囲内の備えを一度に多くの人がしようとすれば 、当然、店からモノはなくなります。しかし、非常食ばかりではなく、塩や砂糖、食用油までも姿を消したのは異常といわざるをえません。

時間がたてば落ち着くであろうと思われた頃、東京23区を始め関東や福島の水道水から放射性物質が検出されました。当然のようにミネラルウォーターはなくなります。地震から3週間たった今もミネラルウォーターは朝一番に並ばないと買えません。買えたとしても1人、あるいは一家族あたり1本のみです。
また、原子力発電所の事故によって、関東では計画停電が始まりました。この停電も情報が確定せずに混乱しました。いつ停電が起こるのか本当に停電が起こるのかわからない不安から、懐中電灯や電池、ろうそく、カイロなどの買い占めにも繋がりました。

これほど被災地ではない、本来ならば支援者である地域が混乱した自然災害があったでしょうか。
本来、被災地ではない地域に住む私たちは、被災地への支援に全力を尽くすべきだと思います。しかし、これらの計画停電や、放射能による食物、水への汚染などによって、被災地以外も混乱が起き、本来の支援ができていないのが現状です。
私の住む自治体でも、地震発生から11日たってようやく支援物資の受付が始まりました。そしてたった3日間でその受付は終わってしまいました。計画停電の情報確認や放射性物質の対応などで首都圏の自治体も混乱し、被災地への支援まで人手が行き届いていないことは容易に想像出来ます。私の住む自治体でも計画停電のグル ープ分けは二転三転してから確定しました。被災地への支援物資の情報が発信されたのはその後です。

防災の意味においても、そして被災者ではない私たちが被災地への支援に力を注ぐためにも、一人一人の日頃の備えが必要だと強く感じました。多くの人は阪神淡路大震災や新潟県中越地方の地震を知っているはずですが、これまで災害時の備えをしている家庭は多くはなかったと思います。また、何を備えればいいのか、どれだけ 備えればいいのか分からないから不安のあまり不必要に「買う」という行為に走ってしまうのではないかとも。特に小さな子どもがいる家庭ではよけい不安に感じるのは当然のことだと思います。

東京都福祉保険局のサイトから、小さな子どものいる家庭の備えを紹介します。

【普段からの持ち歩き品】
地震以外にも困った時に使えます。普段から持ち歩いておくと外出時に被災した場合に役立ちます。片手に乗るぐらいの大きさにまとまります。
●母子健康手帳●飲料水(ミルク用)●粉ミルク●プラスチック製哺乳瓶●非常食●保険証のコピー●通帳等貴重品の控え●携帯ラジオ●家族との災害時の取り決めメモ●懐中電灯●ビニール袋●呼び笛●ウェットティッシュ●携帯トイレ

【一次持ち出し品】
被災した時にまず持ち出す品です。実際に荷物を作って持てるか確かめましょう。●は普段からの持ち歩き品です。
※食料等
●非常食○飲料水
※貴重品
●保険証のコピー●通帳等貴重品の控え○現金
※情報収集用品
●携帯ラジオ●家族との被災時の取り決めメモ○携帯電話・非常用充電器○小銭(公衆電話用に10円玉、100円玉)○メモ帳○ボールペン
※便利品
●懐中電灯●ビニール袋●呼び笛○保温シート○使い捨てカイロ○軍手○ライター○給水袋○電池
※清潔・健康のための品
●ウェットティッシュ●携帯トイレ○トイレットペーパー○ティッシュペーパー○下着○着替え○タオル○常備薬○キズ薬
※お母さんのために
●母子健康手帳(母子健康手帳には、お母さんとお子さんの健康状態や予防接種の記録が書かれているので医療機関を受診した際に役立ちます。)○診察券○お薬手帳○生理用品○清浄綿○母乳パット
※こどものために
●飲料水(ミルク用)●粉ミルク●プラスチック製哺乳瓶○離乳食・子供のおやつなど○タオルやガーゼのハンカチ○紙おむつ○おしりふき○肌着・赤ちゃんの服○おんぶひも○子供のおもちゃ○子供用ハブラシ

【二次持ち出し品】
ライフライン等が止まっている時の生活のために準備しておきましょう。
※食料関連
○非常食3日分○飲料水(1人1日3リットル)○食品用ラップ○万能ナイフ○粉ミルク(母乳育児の方も、災害時に万が一母乳が出なくなった場合のために粉ミルクや哺乳瓶を用意しておきましょう。)○カセットコンロ○カセットガス
※清潔・健康のための品
○災害用トイレ○トイレットペーパー○ウェットティッシュ○おしりふき○紙おむつ○生理用品○ビニール袋(オムツ入れ等)○水のいらないシャンプー○常備薬○新聞紙○赤ちゃん用爪切り
※その他
○ビニールシート○使い捨てカイロ○布製テープ○ポリタンク○台車○レインコート

東京都福祉保健局サイト 「地震がくる前に子どものためにできること」から。

地震当日、子連れで外出したときに地震にあった人の様々な体験談を聞きました。多かったのがベビーカーで出かけていて困ったということ。駅のホームなどでは人々がパニックになり、誰も子連れに対して配慮などしてくれません。混雑した場所ではベビーカーが他人にとっても小さな子どもにとっても危険になります。また地震 でエレベーターも止まり、子どもを乗せたベビーカーを抱えて混雑した階段を昇り降りするのが大変だったとの声も。抱っこひもを持って来なかったことを後悔したという話を多く聞きました。
現在、近所の大型スーパーでも、節電や計画停電に配慮してエレベーターが止まったままです。買い物に出掛けるときはベビーカーに必ず抱っこひもを掛けておくようになりました。ベビーカーで出かけ、店についたら抱っこひもで子どもを抱っこしています。抱っこひもは電車での外出はもちろん、近場でも役に立つことが多いと 思います。地震発生の日、子どもを体にくくりつけたまま寝たように、災害時、子どもの安全を守るため抱っこひもは最も役立つ道具です。
また、オムツの替えがなくなって困ったという体験談も。普段から持ち歩く品の中に、オムツの他、生理用ナプキンを入れておくといいようです。オムツにナプキンをしいておけば、一枚のオムツでも長時間過すことができます。ナプキンはオムツに比べてかさばらないのでいいアイデアだと思います。

あの地震のあと、水泳教室に通っている息子が、急にプールに行きたくないと言いだしました。よくよく話を聞いてみると「津波が怖い」と言うのです。あの日から、テレビがついていることが多く、津波の映像は何度も繰り返され、子どもの脳裏に焼きついてしまったようです。情報収集は大切ですが、刺激の強い映像が小さな子 どもに与える影響も考えて、ラジオやインターネットを使い分けることも大切だと感じました。
必要な情報に耳を傾けつつも、極度に過敏にならず、子どもを育てるための普段通りの生活をする。その上で被災地に暮らす人、避難所で生活する人のために何ができるのかを考えていく。この災害の爪痕は大きく、復興するには多くの時間がかかります。支援の手も、今だけではなく長く必要とされるでしょう。
小さな子どもがいると今回のような災害に対してとても不安になります。まずは普段から持ち歩ける最低限の備え。外出時は抱っこひもを。家には3日分の備え。その上で不安になりすぎず、子どもを育てるための普段通りの生活をする。そして被災された人に対してできる範囲のことをする。これから長期間に渡って、子どもを育 てながら心に留めておく大切なことです。

2011年4月3日
増子瑞穂
members3.jcom.home.ne.jp/massyweb/

東京都福祉保健局 「地震がくる前に子どものためにできること」
www.fukushihoken.metro.tokyo.jp/kodomo/shussan/nyuyoji/saitai_pamphlet/index.html

 

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●スーパーのカップ麺売り場は空っぽ。(3月13日)。

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●レトルトカレーも。お高めの商品は残っています。

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●スーパーの水は、乳児に飲ませないでとの告知。(3月26日)

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●子ども達はレッグウォーマーで暖房を消して節電。今、できること。

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