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清水教授のデザインコラム/連載 - 89(11/28/2009)

自動車産業の100年、大変革の時代を考える・・・・

ビッグ3・凋落の兆し・・・・
 中東戦争を機にアラブ諸国による原油の減産と値上げがおこなわれ、当時 1バーレル3ドルだったものが、一挙に12ドルに暴騰した1974年の第一次オイル・ショック。
ついで、1979年のイラン革命を契機とする第二次オイル・ショック・・・。
このことを契機として世界的なエネルギーの節約と代替えエネルギー開発を促すものになっていった。
我が国にとっても原油の99.6パセントは輸入にたより、その全てをアラブ諸国に依存している訳だから、狂乱物価といわれる中での便乗値上げやインフレ、貿易収支までもが悪化し、失業問題などと極めて深刻な打撃をうけ対応を迫られるものになった。
なによりも直接的に影響を受ける自動車産業各社は、省エネ、走行効率を考える工夫と改善を競い、その試練にたえる確かな技術力を持つことになった。
しかし、GMなどビック3の凋落が言われ始めたのは、その翌年の1980年頃だった。
低価格、燃費効率の極めて高い日本車が怒涛のように乱入してきたからだ。
GMは事実上初めての赤字に転落した。
そして、アメリカ自動車業界・ビッグ3の過ちは、政府に圧力をかけ輸入を制限させ自粛させてよしとしたことだった。
環境の変化を読み取り自らを返りみること、体質の改善をはかることを怠たったということになるからだ。
自動車のメッカ・デトロイトではにっくき日本車をハンマーで叩き壊すデモンストレーシヨンが行われ、ジヤパン・バッシングが繰り返し報道されていた。

考えてみれば丁度その頃、私はアメリカ・デトロイトの「フオード博物館」や「クランブルック美術館大学院大学」などを訪問していた。
GM本社のブロンズに輝く円柱、高層ビルの威容を眩しく見上げていた。
「あれは自動車王国復活のシンボルなんです。そんな意味をこめてルネサス・センターと呼んでいるんです・・・」と、誰かが説明してくれた。
世界に君臨するGM! その時はまさか、その未来に?破綻"があるなどとは毛頭考えられることではなかった。
自動車王国アメリカの、その80年近くもトップの座に君臨し、年間の売り上げ高は 16兆円、数年前までには販売台数も930万台を突破していた。
デトロイトを中心に、周辺都市には大小2千余の系列部品会社が広がっていた。

虚飾の連鎖・販売のカラクリ・・・・
巨大企業・GMの売り上げを支えてきたのは、SUV(多目的スポーツ車)300〜800万円と言う高級・大型車であり、GMはウオール街と手を組み売り続けていたのだという。
GMの金融子会社(GMAS)が次々に生み出した自動車ローンは「名前」「住所」「生年月日」「社会保障番号」「職業」の5項目のみを埋めさせるもの・・・。
客を逃がさないために、肝心の「収入」や「支払い能力」に関する項目は一切求めなかったのだと言う。
それらは金融商品化され、証券化されて'AAA’という最も高い安全性を保障する挌付けを得ていた、と言うのだから驚く・・・。
そのカラクリによって本来は手の届かないひと、その日暮しの人々にまでも売りつけていたのだ・・・。
一昨年、そのカラクリは破綻し世界の金融機関の崩壊の連鎖を引き起こしたという訳だ。
さらに、その延長上にあった住宅、サブプライムローンがあって事態は最悪のシナリオを描くもの、100年に1度と言われる世界的な大不況を引き起こすことになってしまったのだ!
そのGMACの経営幹部は「やり過ぎだった」と反省し、いまは、やり過ぎた「修正」のため期間なのだとローン破綻者の相談電話が鳴りひびく<NPO>で働いている。
「人生とは、そういうものですよねぇ〜」と、アメリカ人らしい屈託のなさだ。
大型車重視の贅を尽くすビジネスモデル、社員に対する手厚い福利厚生、GMは破綻し国有化された。
変化を読み取れず、ただ執着するだけの慢心、放漫経営の責任が問われることになる。
取引のある日本企業は114社、これまでの保障はあるにしても経済的に大きなダメージはこの後に残ることになる。

「驕れる平家は久しからず・・・」の心せねばならない格言がある。
20世紀は自動車メーカーを頂点として築き挙げられた産業構造が、いま激震に見舞われている。
自動車産業においても低コスト製品についての対応がなければ、生き残りは厳しい。
まだまだ車の恩恵にあずからない多くの人々、その巨大マーケットが次のターゲットになっていくからだ。

苦渋の決別 ホンダF−1撤退 
「F−1活動も重要だが、これだけの経済環境で企業環境が悪化した中で、何を選ぶかと言う決断を迫られた昨年の秋・・・。その中で環境問題をまず第一に絞ろうと考えた。
これがないと企業の存続が厳しいのだと判断しました」という福井威夫本田技研工業社長。
また、HVで後れを取った日産自動車は、本社を横浜に移し、地域行政を巻き込んでEVで巻き返しをはかりたいという戦略だ。
「排ガスを全く出さない『ゼロ・エミッシヨン』が開発の至上命題、競合他社の一部はその路線はダメだと思っているが、それこそが競争・・・。夫々のメーカーがある技術に賭けて開発をする、そして消費者に選んでもらうのです」とカルロス・ゴーン日産自動車CEO。
日産のEV「リーフ」はNECと共同新開発の小型リチウム電池を搭載していた。
若者にとってより魅力あるものとし、フアミリー市場に向けて大量生産する最初のメーカとしてブルー・オーシヤン戦略に賭ける・・・。
年間5万台の生産、CO2排出0、エンジン音がなく走行性能や安全性はガソリン車に遜色はない・・・。
そのマスマーッケットをアメリカ、中国におき社運を賭けることになるのだという。
約8時間のフル充電で課題の走行距離を160キロ以上に延ばしている。
しかし、「上海モターショー」では新興メーカBYOが航続距離300キロの電気自動車を出展しており、開発スタッフを慌てさせる・・・。
そのデーターの取り方に違いがなければ日産の2倍? リチウム電池の開発は目が離せないものに・・・。
一方、エコ車の先鞭をつけた「プリウス」も、そのプラグイン型の試作車を今年度の「東京モーターショー」に出展しており、充電すればEV、それが切れてもHVとして走行が可能なのだという。
更に、「若者の車ばなれというが、離れていたのはメーカーだった」と、購入しやすいスポーツカー 300万円を切る価格車を!と豊田章男トヨタ社長。
「走り」を楽しむ新型スポーツカーを発表、若者の車離れに歯止めをかける狙いだ。

クルマは電化製品になり、二極化する・・・・
クルマの基本的な構造は大きく変ることのない、これまでの100年・・・。
ところがEVでは、エンジンはモーターに、トランスミッションは電気を制御するインバーター、ガソリンは電池にと、それぞれがおき換わることになる。
これらのEVを構成する部品は自動車メーカー系列ではない電機などの製品なのだ。
エンジンやトランスミッションに比べ、モーターやインバーターなどは製品の完成度が高くEVは5,000〜10,000点の部品でよいのだとか。
このため基幹部品を購入し組み立てれば、既存車メーカーでなくてもEVを造ることができてしまう。
ただ、電池はまだまだ高価であり開発途上、軽量・小型化などの技術的課題が山積するのだと・・・。
トヨターパナソニック、日産ーNEC、ホンダージーエス・ユアサコーポレーションなど、新たな系列化、世界・地域への布石とグループの再編が加速している。
勿論、安全性の確保や快適な走行性などは自動車業界が技術とノウハウを持っており、新たな参入組みには優位を保つ。
しかし、近い将来はパソコンなどと同化した電化製品となり、EVとしても二極化していくことになろう。
日本、先進国などのユーザーは高品質のEVを求めるが、中国やインド、新興諸国などでは車の魅力に目覚めた人々が安くて気軽に乗れるEVを、まずは求めることになる

スモール・ハンドレットの参入・・・・
例えば異業種の参入も多い。既存メーカーが極めて慎重であるにたいしてフットワークは軽い。
ITのメッカ・シリコンバレーではEVのベンチャー企業が次々に参入している。
それらスモール・ハンドレットの主流は高級車の生産・・・。
テスラ・ロードスター、スポーツタイプのEVは1,000万円。ポルシエを凌ぐ加速力を売りに既に800台を販売しており、これまでの車の概念を打ち破ることで新たなユザーを獲得しているのだと。
アプテラモターズはIT技術者に加え、ロボットやロケットの技術者が多く、自動車産業とは無縁の人たちなのだと言う。
空気抵抗を減らすために鳥や魚を徹底的に調べ、また、タイヤと路面の抵抗を減らすために3輪車を採用したと言うデザインはまるでウーパールパー? 一見してユニークな形状を売りにしていた。
「100年もの間、鉄板で四角い箱を造り続けた既存のメーカーには造れないものだ」と胸を張る。
軽量化のためのプラスチック・ボデイは、しかし、鉄板の3倍の強度なのだとか。
発売前だが既に4,000台を受注している。これまでIT企業に投資してきた数百億円を動かす投資家がスポンサーなのだ。
ゼロ・スポーツ社(岐阜県各務原市)社員50名。2002年に初めてEVを造り、2004年に日本では17番目だという自動車会社に認定されている。
7年間 販売を続けており、今年郵便配達車として大きな受注を獲得した。
年間1,000台、更に10,000台の生産をも考えているのだとか。

農業からの参入−中国
「最初は難しかったけど、いまは難しくないよ!」
わずか20名の従業員、農業から転身した社長は見よう見真似で月産100台までに成長させている。
構造が単純、ガソリン車のエンジンがない分、部品が10分の1。「電池とモーター、そこに車輪を付ければ取り敢えず車は動くはずだ」と・・・。
ボデーは安いプラスチック、エンジン周りが高温にならないので鉄である必要はないし、冷やす部品も必要がないからだ。
「製造のためのロボット?は給料次第で機嫌よく幾らでも働くよ」と笑う・・・。
国としてはまだ、正式に車として認めてはいないが注文は多く、中国全土に展開するのだと鼻息も荒い。
もちろん、世界にも目を向け世界中の貧しい人々がターゲットだというから、すごい!
また他のメーカはボデーは専門メーカーから調達し、日本から優れた技術者を招き、工員の指導に当たらせている。
車体の軽量化をはかり、精度の高いプラスチックボデイの生産を心掛けている。
数百軒もが部品類を連ねる地域、安く、なんでも手に入るのだとか。
「自分も小さいながらも会社を興してみようかという気持ちになる」のだとか・・・。
若い工員たちの熱気が見える・・・。かっての日本の姿が重なるのだとも・・・。
数枚のスケッチレンダを手にヨーロッパ進出の夢を語る社長は電動二輪車のメーカーの出身。
「高速道路は走らない街乗りの車として認可を申請、性能や安全基準では合格した」との書類が手元にはあった。いよいよ試作車の製造が始まるのだと・・・。
広大な中国市場だけではない、ヨーロッパ市場を目指すところにその意気込みを感じる。
「私達には確固たる技術の裏ずけがある」と張社長。
やり遂げるだけの「実力」「能力」「自信」もあるのだと胸を張っていた。
いまや、トヨタや日産、ホンダが争う中国の巨大市場。
今年、販売台数は1,200万台を突破すると。さらに、その下に広がる7億人の農村部などのマーケットがスモールハンドレットのターゲットなのだ。
それらの中から切磋琢磨し淘汰され、やがて既存メーカーを脅かす存在として躍り出てくることになる。日産やホンダ、スズキなどのように・・・・。

アメリカのルネサンス・新たな時代へ・・・・
産業革命のような大革命が起きているのだという。
大油田が次々に発掘される中で、1908年、ヘンリー・フォードが世界初の大衆車T型フオードの大量生産をはじめて、「自動車の世紀」が幕を開けた・・・。
以来、100年にわたり様々な技術革新が生まれ自動車産業は世界経済を牽引し、アメリカが生み出した産業のカタチとライフスタイルは世界に広まっていった。
ヨーロッパの諸国が、日本がまた、その便利さと豊かさを追い求めていた。
しかし、オイルショックに始まる「石油時代」の行きずまり、いまは100年に1度の経済危機が重なる・・・。
自動車産業の時代は100年を経て、いま、その根幹から変わろうとしている。
アメリカは国を挙げて電気自動車を組み込んだ新たな産業のシステムと生活環境を創る計画だ。
その中心的な役割を担うのがシリコンバレーにある巨大IT企業 グーグル。
政府が主導し自動車とITを組み合わせた新たな産業−プラグでつながった自動車は家庭で最も大きな家電、そのEVによって各家庭への送電システム・スマート・グリッドだ。
その国家的戦略には、革新的な技術をもった企業GE,マイクロソフト、シスコシステム、IBMなどを取り込んでいるのだとか・・・。
自動車の世紀を創ったアメリカが再び世界に覇権を示す国家的なプロジェクトなのだ。
アメリカ・モデルを創り、他国はそれに追従せざるを得ないものになるのだという・・・。

日本の未来を考える・・・・
世界規模の大変革の時代は、まさに群雄割拠の戦国時代でもある。
その変革を捉えたとき、自らが変わらなければならないときでもある。
いま我が国は成熟社会であり、賃金、コストは高い・・・。
これまでの有り余るノウハウによる高付加価値化、信頼性、高品質性などの産業への転換が重要だろう。
「知恵」と「デザイン」の時代・・・。
そのことをカタチとして表現し得る確かなデザイン力が要求される時でもある。
                          (11・28 /2009 記)

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メモ:
「海外メーカーの出展はわずか3社にとどまる、上海自動車ショーでは155社が出展しているのに・・・」との報道は予めそここのニュースで知っていた。
それでも私の脳裏には、混雑する広い会場を半日も歩き回るとヘトヘトになった数年前のイメージがあった。
クルマの走りは余り注目されなく、低燃費ももはや「売り」ではない時代である。
'09年 東京モーターショー(於:幕張メッセ)は「お祭り」の魅力は薄れ、展示スペースは縮小、車両も少なくなっていた。
しかしいま、話題の電気自動車(EV)やプラグイン型ハイブリッド車(HV)など最先端の環境技術を競い合う、新しい「自動車の世紀」の胎動を感じさせるものでもあった。
シヨー開催の幕張は、それでも若者を呼び込むには地の利が悪いこともある・・・。
主催者には申し訳ないことだが、訪れたものにとっては大変見易く、心地よい空間なのではと思えるものだった。
かっては、カタログを選び持ち帰ることに苦労したものだったが・・・。
先日の「2009国際ロボット展」(於:東京ビッグサイト)でも同様にかなり、ペーパーレスで合理化がはかられていた。
折々のニュースで、またスペシャルとしてNHKの「自動車大革命 1部〜3部?」「アメリカ発世界自動車危機」などにエネルギー、自動車産業問題、EV開発問題などを見ていた。時代は確実に変化し続け、時に激変する。
日産がとる「ブルー・オーシャン」戦略−多くの企業が参戦し競い合う「レッド・オーシャン」戦略に対して、新たな市場で競争のない市場をさす。
リチュウムイオン電池の開発は1985年日本の旭化成グループフエロー、吉野彰氏世界に先駆けて基本技術を確立した。もともとはポリアセチレンの材料研究を行う中で発見されたもので、電池の開発などさらさら考えていなかったのだという。ポリアセチレンは白川英樹(ノーベル化学賞)視が発見した電気を通すプラスチック。そのポリアセチレンを研究する過程で電気を充電することが出来る電池の電極の可能性を思いついたのだとか。
ただ実用特性を研究していくと商品化が難しく、ポリアセチレンからカーボンにシフトした。これが現在のリチユウム電池。その特徴は、軽くて小さい。パワーが大きい。充電が出来る。
電気を貯めるものだけに改良し安全性をどのレベルまで改良できるかが一番苦労したのだとか。
金属リチュウムは化学反応性が高く、充電や放電を繰り返すと反応が高くなり、商品化が難しいものだった。5年後初めて商品化に成功。最初のマーケットは8ミリビデオカメラ・・・。他の電池では大きく、重く商品化は無理だったのだ。
1994年ころから急激に生産が拡大していき、電子機器を持ち運ぶモバイル社会のきっかけを与えたのだと言われる。その生産量は現在世界の6割弱(05年調べ)、その電気化学的開発は5割、開発競争は熾烈を極めるものに・・・。将来は充電のコードレス化、使用しながら充電が可能になるものに、などのニッケル水素電池の大幅増産
日本カー・オブ・ザ・イヤーの授賞式が行われ、トヨタ自動車のHV「プリウス」が受賞した。同社の関係者は「ホンダの『インサイト』に持って行かれるのではと最後までヒヤヒヤだったが・・・」とほっとした表情。4年半にわたる3代目プリウスの開発には、2000人ものスタッフを投じて社運を懸けていたただけに今回の受賞は感無量だろう。
BYD 14年前 山東省・農業からリチュウムイオン電池メーカーに変身従業員130,000人スモールハンドレットの出世頭だという。6年前国営の自動車メーカを買収し、自動車製造にも乗り出した。
安価な自社製品バッテリーを組み込んだ自動車で存在感をましている。13の都市を指定、電気自動車普及のために環境インフラに力を入れるのだと言う。
オイル資源の恩恵を最も受けており、まるで未来都市?と思える国造りをしていたアラブ首長国連邦。そのドバイが資金繰り不安を表面化させている。
その中で消去法で安全な資産とみなされ「円」高が進んでいるという。