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清水教授のデザインコラム/連載 - 80(01/30/2008)

「マークシート方式のアプローチ・・・・」

 その年を表すという一文字は「変」、だった。
師走に恒例となった清水寺 管主によって墨汁鮮やかに書き納められたが・・・。
しかし、今年もまた 厳しい年明けになった。
昨年、サブプライムローン問題に端を発した世界的な景気は、IMF(国際通貨基金)の予想では第二次世界大戦後最悪の2・2%に。
企業は急速に整理、縮小化を図り、組織の余剰労働者を生み社会問題として急浮上している。
「世界が変わったのだから、我々も世界と共に変わらなければならない」オバマ米大統領は、就任演説でこう強調した。
その歴史的な変革に国民は期待しているというのだが・・・。

共通一次世代の問題・・・・
「雪の中を、寒さに震えて受験会場に向かった記憶だけが残っている。
1979年1月13日。初めて共通1次試験が実施された日のことだ。明日でちょうど30年になる。あの時代にたまたま大学受験期を迎えたがために、何年にもわたり、世間からあしざまに言われるーー自分達にそんな将来が待っているなんて当時は考えもしなかった。
『共通一次世代』。我々に付いたレッテルには次のような評価が込められていた。
論理的な思考力に欠ける。創造性がない。何をするにも自らが答えを探し出そうとせず、模範解答が与えられることを待っている・・・・。
共通一次で導入された択一式のマークシート試験の弊害といわれた。
『企業もあきれる!? 共通一次生』という見出しが読売新聞に載ったのは、共通一次1期生が最初に就職活動期を迎えた'82年。翌年に作家の福田紀一さんが本誌に寄せたエッセーには『こういう世代が20年後どうなっていくかを思うと空恐ろしい気になる』とある。レッテルを張ってくる上の世代に、それこそ思考停止じやないか、などと反発したものだが、やがて共通一次はセンター試験に変わり、共通一次世代という言い方も廃れた。ただし、マークシートを使う方式は変わらない。
知人に頼まれ、記者志望という大学生2人の相談に乗ったことがある。
『面接で志望動機を聞かれたら?』。そう聞かれ、「記者になりたいと思った明確なきっかけがあるなら、それを具体的に話すのが一番いいよね」などと答えたところ、じれったそうに2人はいうのだった。『そんな話が聞きたいんじやないんです。何と言えばいいかを教えて欲しいのです』
昨年、ノーベル物理学賞を受賞した益川敏英さんがマークシート試験を批判した。
考えない人間を作っている、と。
昔と違って素直に頷いたのはこうした経験を繰りかえしてきたせいだろうか。
我々も似たり寄ったりだったのだろうと、今にして思う。
その元祖マークシート世代が現在、『未曾有』と形容される難局を社会の中堅として迎えている。この世代にとって初めての模範解答なき試験なのかもしれない。
20年後が空恐ろしい、と書いた福田さんは、こんな時代にも以外や『心配することはない』と楽観的だ。『昔は見落としていましたが、共通一次世代はグローバルですからね。仕事でも私用でもどんどん海外へ出掛けていく。世界中の様々な価値観に揉まれているから、簡単にはつぶれないと思いますよ』
30年の『経験値』を信じて答えを探し始めてみようか。片言の外国語すら喋ることの出来ない身ながら、福田さんの話にそう思った」(読売新聞'09/1・12)

社会部次長 棚瀬 篤氏の「問い語り」の一文には共通一次世代、当事者としての話が大変興味深いものとして描かれていた。
もちろん原因はそれだけではない。
幼児が成長の過程で出会う様々なモノーーテレビやテレビ・ゲーム、ビデオ、携帯など・・・も。比較的安易に手に入ることもある。
そのモノの魅力は、好奇心1杯の世代の感性を捉えて離さないものになってしまうのだ。その意味でも生まれ成長した時代の感性に与える影響は大きい。
モノとの関わり方で能力差、価値観の差が感性の広がりを阻むことにもなる。

「失われた10年」の世代も・・・・
20歳代の学生はモノの環境に恵まれたことで、ニート的な生き方に共感を持ち
未来を、描けない「失われた10年」を過ごした世代だともいわれている。
「物欲」がないこと、関心が薄いことでテーマにも意欲を持てないことが特徴でもあるらしい。
面倒くさいことを長々と考えるより手っ取り早く答えを知りたいというのだ。
新しい環境は彼らをそのように育てた。
数年を単位とした一人ひとりの成長過程での影響をうけた環境、迷走する戦後日本の社会、教育・・・。
毎日がほぼ同じ繰り返し、日々何かしらの「モノ」を使って生活するが、当然のことながら余り意識することもない。
つまり、 人間形成の中身や夢、感動、美、魅力、共感、ゆとり、自分を律し夢を持って生き方を考えた世代、知らない世代・・・。その世代間のギヤップは大きいように見えるのも我が国の特徴なのだろう。

P・F・ドラッカーの指摘も・・・・
「学校はもはや新しい世界への窓ではない。唯一の教育の場でもない。古びた代用品に過ぎない。なぜなら幼児でさえ、テレビなどを通して生々しく外の世界を見ている。
今日の電波、通信、メデアはその方法と形態においてコミニケーシヨンの達人であるから・・・。子供達は、なぜ学校が退屈きわまりないのか、息が詰まるだけのところになっているのかを知らない。しかしテレビの水準に慣れ親しんだ彼らは、今日の教え方では受け付けない。許された唯一の反応が勉強をしないことである」(P・F・ドラッカー『断絶の時代』週間ダイヤモンド・2009総予測)との指摘にも重なる問題だ。
  ・・・・
世の中を生きるためには「自分」を変えていくことが必要なのだ。 
自分を変えることで世界を見る眼が変わり関わりも変わっていくことにもなるからだ。
自らを自覚し、対象となるものの微細な変化をも読み取る感性をもつことも・・・。
                          (2009/1・30 記)
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追記:
目標とした欧米諸国を追って大衆消費社会へ到達したのはわずかに30年・・・。
特筆される早さではあったのだが当然ながら自らが考え、構想してつくるという過程をを持たない極めて短絡的なもの我多かったように思う。
モノづくりの「心」をおき去りにした社会の成長発展、教育の試行錯誤にも世代間の様々な問題点にも、共通一次世代だけではない問題を含んでいることなのだ。
ただ、マークシート方式の問題は、そこに「答え」が用意されているということだろう。