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■清水教授のデザインコラム/連載 - 58(03/31/2007)

エコ・デザインは21世紀のキーワード・・・・・・

深海にすむ鮫や魚が海面に浮き上がり、本能的に予感し冬眠したはずの熊が暖冬に苛立ち、眠れずに悶々とするようすを映像でみた。
寝ぼけた表情はユモラスに見える。がしかし、笑い事ではない。
東京は数十年ぶり?とうとう積雪のない冬になってしまったようだ。

3月の半ばには、秋田へと向かった。
新幹線が盛岡を過ぎる頃にはさすがに一面の雪景色、横殴りの雪が吹きつけてきた。
しかし、街路の雪は翌日には消えてしまっていた。
「この時期、去年はこんなに雪があったのに・・・」と地元の老人・・・。
いくつかのスキー場では雪がないために閉鎖したというニュースまでが流れていた。
その翌々日には帰京していたが、画面一杯の雪景色、吹雪いてもいる!

そのニュースでは「何とか頑張って、閉鎖しなくて良かったァ・・・」と満面の笑みを見せるスキー場の関係者・・・。
「エ!これ、いつのニュース・・・、録画?」と思わず呟いたほど・・・。
「たった一日の違い、こんなドカ雪が・・・」まさに運、不運は紙一重。
読みきれない異常気象に悲喜こもごもではある。
その後、さきに閉鎖していたスキー場も再開したのだとか。他人事ながら安心したものだった。
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地球の温暖化・異常気象が言われてから、もうかなりの年月が経つ。
その温暖化を防ぐために'97年の京都会議において二酸化炭素など、ガス排出量削減の数値目標を取り決めていた。
その「京都議定書」にブッシュ大統領は批准を拒否した。
「地球温暖化に言われているような事実は米国にはない」というのが理由だった。

「不都合な真実」はゴア副大統領が各地での講演でキリマンジェロの解ける雪や各地に起きるハリケーンや台風被害、氷の消滅で溺死した北極グマなど・・・。その事実を映像をもって示そうというもの。
先日の読売(夕刊)には、2日からブリュッセルで始まる会合で採択予定の「気候変動に関する政府間パネル」に温暖化によるアジアへの影響の報告は、石油など化石燃料を多用した場合、2050年台にはアジア各地で穀物の収穫量が3割も減少、食物価格が高騰し、1億3200万人が新たに飢餓状態におちいる可能性があるとの記事を掲載。
また、温暖化による気温の上昇、洪水、熱波、旱魃、天候の頻発など、様々な現象の可能性も・・・。ことは深刻だ!

その数十年も前には公害問題、人口爆発、軍事的な脅威などの人類的危機に対し、可能な解決策を追求するために世界の科学者・研究者などの民間組織「ローマクラブ」を設立、人類の<成長の限界>を探る会合をローマ('68)で開催していた。
また、東京大会('82)では、人口、エネルギー、食料のほか、途上国の森林破壊、軍縮、教育問題などについて討議がされている。
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73、'79年のオイルパニックは、庶民生活の全てに石油が関わっていることを意識させ、狂乱物価と便乗値上げの中、トイレットペーパーや日用品を買い溜める大パニックを引き起こした。
そのことが教訓となり警鐘ともなった。
ただ、温暖化の意識よりも「省エネ」、資源の浪費や経済性が潜行した低コスト化に対して真剣に取り組むものだった。

石油依存の高い国としては、低コスト化の「創意工夫」が標榜され、あらゆる場面で取り組まれていた。

世界的な省エネブーム。小型車を主力とする我が国にとっては追い風になった。
'7〜80年台はまさに右肩上がり景気が上向いていった。
GNPは世界1に・・・。
「21世紀は日本の世紀」といったハーマンカーンの言葉にも勇気付けられてもいたが、
半信半疑ながら、しかし、徐々に自信をもち始めてもいた時代だった。
生きるための、ひたむきなモノづくり・・・。
やがて、世界の工場・生産基地とも言われる最先端の工業国になって生活の「豊かさ」を獲得していた。
高揚した気分は日本中を覆いはじめ、「大量生産、大量消費」が美徳とされていた。
「不確実性の時代」といわれ、「嫌煙権」や「強くなったのは靴下と女」とも・・・。
ソニーから「ウオークマン」が発売され、「共通1次試験」が始まったのもこの頃だった。

また、今日に連なる様々な社会現象や「負」の連鎖を生み出した「起点」ともなった時代でもある。
第1回目になる軽井沢セミナーを開催したのもこの頃('76)、だった。
テーマは当時、目新しい「デジタル時計」。
機械的に板がめくれ数字を表示するものだった。
勿論、地球温暖化の今日まで継続されるなど、夢にも考えなかった頃の話だ!
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71年の美濃部東京都知事による「東京ゴミ戦争」宣言・・・。
当時は「生産的な活動」の全てに負荷が発生する、と企業に矛先を向ける文化人や主婦グループ・・・。

私自身も「デザインはこれらの問題と無関係ではない」と産官学で組織された団体に属し環境・リサイクル問題に関わる研究活動をしていた。
地域を決めて空き缶の散乱状態を調査、缶拾いをして回ったり、缶回収の方法を考え提案もした。

また、コカコーラの空き缶を集め、そのメーカーの玄関前にピラミッド状に積み上げるというパフオーマンスもあった。
鮮やかな色彩のコカコーラ缶のデザイン。そこここに投棄された空き缶の中でも、そのパッケージが余りにも目に付いたのだ。
優れたデザインが格好のターゲットになってしまったと言う訳だ。
「デザインはゴミづくりをしている?」と皮肉られ考えさせられたことも。

もちろん、その頃は、今日の地球温暖化、環境危機を予感するほどのものではなく、プラスチックの廃棄、残ジュース類による土壌汚染が問題となっていた。
しかし、時間は確実にその危機をあらわにし、実感させるものになって、デザインは生産と還元を一対のキーワードとして考えるべきだと気付かせてくれるものにもなっていた。
つねに<ヒト・モノ・環境>に関心を持ち,より良い在り方を探る。そのことがデザインでもある・・・。

●温暖化防止・循環型社会:サステナビリティの実現!
●リデュウス Reduce :不要なものは造らない意志を!
●リユウス Reuse :使用を繰り返す可能性を考える!
●リサイクル Recycle:再資源化、適切な還元の方法を考える!  

                          (March 30/2007 記)