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清水教授のデザインコラム/連載 - 50(7/31/2006)

「教養って、人生ってなに?」・爆笑問題×東大のシンポジューム

お笑いブームなのだという。
もう数年も前に聞いたような気もする。
はっきりと見えぬ景況感、なにかと鬱積する不満!いらだちを忘れるためなのだろうか?日々、伝えられるニュースにも殺伐とし、空しさを覚える内容が多い。
憂さを忘れて笑うしかないということなのかも知れない。

政治を語り、学問を語るお笑い界のキヤスター、コメンテーター、俳優などと活躍が目に付く。親しみと分かりやすさを謳う必要からなのだろうか・・・。
**
帰宅すると、直ぐにスイッチを入れた。
黒板を背に爆笑問題が立ち、小林康夫教授が司会なのだろうか?
映像には笑顔の学生席、その一角を占める参加教授の紹介がされているところだった。
東京大学の教養学部が新入生のために主催したシンポジュームには異色とも見える爆笑問題が招待されていたのだ。
その主旨、ゲストの紹介はその始めにそれらしき説明とやりとりがあったものだろう。

10分ほどが過ぎており、そのやり取りを見ることは出来なかったのだが・・・。

笑い爆笑するなか、ひととうりの紹介が終わると、「教養について我々にも厳しいご意見を頂きたい」と小林教授。
「じゃー、ビシビシと言いますから・・・」と太田光。
「うん、受け止めてみたいと思います・・・」というやり取り、なごやかな雰囲気の中でシンポジュームは進められた。
**
「大学はいま、大きく変わりつつあります。いや、大学だけが大きく変わりつつあるのではなく、誰にも感じられるように、世界中で、また、さまざまな分野で、これまで長い間、機能してきた制度的な仕組みや、それを導いてきた理念が行きずまりを見せはじめています。そして、人々は、旧来のものに替わる決定的に新しいものがなんだかはっきりとは分からないまま、日々、試行錯誤しながらそれを模索しています。知の制度の変革も、こうした世界史的な規模での変化の流れの一環である??というより、実は、高度にテクノロジー化された知の在りか方そのものが、こうした大きな変動の最大の要因なのかもしれないのですが、その意味で大学という場の原理について考えることは、とりもなおさず、人間の文化の過去・現在・未来について考えることにもつながってくるのです。」
「知の技法」小林康夫/船曳建夫編 東京大学教養学部「基礎演習」テキスト1994年の冒頭の文章から引用するまでもなく10年余のいま、その事は一層鮮明に私たちの前にあり閉塞状態にある。
これまでの理念の延長上に答えを求めようとする方法論に限界を感じ、新しい切り口に活路を求められねばならないという事なのだろう。

爆笑問題と東大教養課程のコラボレーシヨンはそんな時代を映した試みなのだろう。
選考委員久世氏の強い推薦を受けて「芸術選奨文部科学大臣賞」を受賞したとはいえ太田光、田中裕二の爆笑問題を招待してのシンポジュームには新しい時代を象徴する試みがみえるものだった。
象牙の塔で語られ、つくりあげられた権威・・・。肩肘張らずに笑いのなかで考え、問い直そうということ、開かれた大学を示すものでもある。

「教養論」、「教養って」、「人生って何・・・?」
その手掛かりをえるために「教養人」とは、「平成日本の教養人」というアンケートから始められた。
(1)北野武(2)小泉純一郎(3)天皇(4)筑紫哲也(5)石原慎太郎、皇后陛下、養老孟司(8)桜井よしこ(9)タモリ(10)石坂浩二(11)久米宏・・・(27)立花隆、中曽根康弘、池田大作・・・(32)みのもんた五木寛之、田中康夫、長嶋茂雄・・・(41)荒俣宏、所ジョージ、小柴昌俊、竹中平蔵、ラサール石井・・・(58)さんま、王貞治、太田光、枡添要一、竹村健一、武田鉄矢、梅原猛、テリー伊藤、堺屋太一、宮崎峻、菅直人・・・。
(1000人のアンケート読売新聞調査研究本部)
表から読み取れる代表的な人物を書き出してみた。
教養とは、教養人とは何かを考えさせられる多士済々の顔ぶれ、しかし、分かりにくいランキングではある・・・。
本家、東大教養学部の出身者から選ばれた人が少ないということに首を傾げる小林康夫教授。
同じ質問アンケートがあらかじめ参加学生に課せられ爆笑問題が小林康夫、小泉純一郎、小宮山宏東大総長、北野武らを抜いて教養人1位に選ばれていたのはご愛嬌だろう。

教養学部新入学生に配られるDVD、小宮山宏総長の挨拶には東京大学2008年までのアクションプランの初めに教育を据え世界最高の人材育成の場を提供し、21世紀の地球人に相応しい教養を身につけた世界的リーダーの育成を目指すという目標が述べられている。
「本質を捉える知」「他者を感じる力」「先頭に立つ勇気」をもち最高学府としての世界的視野を持った市民的エリートをを育成し・・・。
「市民エリート?」「地球人?」「世界のリーダー?」・・・・?!
「宇宙人?とんでもない話だ!よけいなこと、誰もあんたたちに頼んでいないよ! 」とチャチをはさむ・・・。
その最高学府としての自意識。きわめて真面目な当事者たちの苦笑を誘うが、笑い飛ばせる相手なのだ!
***
西欧社会において教養cultureとは、耕す=cultivateを語源とし幅広い知識によって頭の中が良く耕され豊かで柔軟な思考を可能にすることと解釈されている。
わが国へは明治時代に輸入され「教育」と同じ意味で使われ、大正時代になって知的エリートの間で西洋哲学を中心に教養主義が流行した。
学生は日々哲学書を読み、デカルトやカント、ショペンハウエルなどを口角泡を飛ばして議論し、夜を徹して教養を高めたといわれる。
ロンドン帰りの夏目漱石などは西欧古典に通じる代表的な教養人と呼ばれていた。

時代の移る中で死語に・・・。情報化社会のいまは教養主義そのものが揺れているといわれている。

・楽しくなければ教養じやない!
・学問は陶芸家のように自己満足をしているのでは・・・。
・教養とは引き戻す力が重要・・・。
・教養はクリテカル・シンキング、批判精神、反抗心が必要。
・教養は時代と向き合って生きるということ!
・教養は神秘を感じること・・・。
・レオナルド・ダ・ビンチの13、000枚のデッサン・世界を知る。
・教養とは生きていくための道具。
・我々はどこへ向かうのか?
・感動は学びの核となるもの・・・。
・教養は考える動機ずけを与える・・・。
・人間はイモリ以下なのでは?
(議論の中から見出された幾つかのキーワード)
**
「東京大学の教養学部では『科学』と『芸術』を学ぶとうたわれており、さらに芸術について学ぶ必要がある」という学生。「日芸に学ばれた爆笑問題にお教えて頂きたい。どのように芸術性を学び、表現性を身につけるのか?」
「それが分かれば苦労はしない、ひとに受けたいということしかない」(田中裕二)
「表現は難しい、言葉の無駄を省いて・・・。伝えようとする意志が重要で相手に働きかけることが効果は大きいのでは・・・」(太田光)
「科学の神秘と芸術の神秘があり、教えたくても教えられるものではない。学生自らが科学や芸術に触れ感動して貰いたい!」(小林康夫)

教養とは・・・
・引き戻す力
・生きるための道具
・居場所を知ること
・一生の格闘
・疑うこと
・そして、問い続けること・・・

「ものすごく真剣だったネー、テンション高かった!二つの世界が違うんですね。その間には火花が散っていて、しかし、上から見ていると同じものが見えてくるんですよ!全然違う世界のものが・・・。しかしね、生き方において、真剣さにおいては、最後にどこかで同じになるんですね。それが分かったことが最大の収穫だった!」(小林康夫)

「学問の世界にいない爆笑問題などにガッンと言われると考えちゃいますね!将来のことを・・・」(学生)
「今まで両方の世界を知ってはいたのですが、その両方を並べて対比することが無かったので・・・。」(女子学生)
「やはり社会に分かりやすく伝えなければいけないとか・・・」(学生)
**
日芸を中退し、目指す漫才の世界に飛び込んだ大田と田中。
「俺は習うことを信用しない」という太田。
学校教育に疑問を呈する太田光の体験的、独特の持論、口角泡を飛ばす勢いの発言には受け手も押され気味なのだが・・・。このことは、東大を中退しライブドアーを起業したホリエモンに通じるものだろう。独学者の信念、独りよがりにおちいり易いものだが・・・。
「俺は習うということを信用しない。必要に応じて、特に芸の世界で生きていくために学んだ!」という博学多識な人物である太田光の個性と生き方が際立つものであったように思う。
人々が生きる現場にいるという強み、独学ながら体験論的な発言には説得力があった。
時に駄々っ子のように挑み、否定する太田にもてあまし気味にもみえるのだが・・・。
東京大学の、小林康夫教授の「ウツワ」の大きさを感じたという田中・・・。
激変した人間社会、明日の大学教育がまさぐられるきっかけに、意義はあったのではと思う。
                       (july 31/2006 記)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・
追伸:
ちなみに、広辞苑による教養とは・・・。
「教え育てること(cultureイギリス・フランス・Bildungドイツ)単なる学殖・多識とは異なり、一定の文化理想を体得し、それによって個人が身につけた創造的な理解力や知識。その内容は時代や民族の文化理念の変遷に応じて異なる」とある。
・・・・・・
彫刻家・画家A・ジヤコメッテイと哲学者伊原との交流を描いた著書に刺激を受けてフランス留学をした小林康夫教授。太田光に共通する感性を感じた。自分という壁を外すことが必要なのだとも言う。
テレビ感覚で授業を受けている彼らの興味を引き付ける講義が出来るのだろうか?
面白くない授業は受けない チヤンネルを即!変えるように・・・。
・・・・・・・・
コラムもどうやら節目の50回目を迎えた。毎月の終わりに追い込まれるように書綴ったものだけに読み返すと日汗が出てくる・・・。
脈絡が無い、思い違いもあるのだろう。
もっと早く書き始めなければという反省!しかし、追い込まれれば何とかなるという居直りのほうが強くなった。これも反省!






清水教授のデザインコラム/連載 - 49(6/30/2006)

「軽井沢・31回目のセミナーを終える・・・・」

 雲間に見え隠れする妙義山を左右に見ながらトンネルを抜けて碓氷軽井沢インターを降りる・・・。
研修所へ右折するいつもの林道口が工事中ということで大きく迂回するハプニングもあってようようにして到着した。
緑に覆われた研修所。軽井沢の香り、風はひんやりとして爽やかだった。
しかし、この避暑地も学生には全く無縁・・・。
「地獄のセミナー」と学生は呼んでいるのだとか、父母会でそう聞いた。

2階セミナー室の机をグループ単位に並べ替えると早々にデザイン作業が始まった。
集合時に配られていたプリントにはテーマと条件あり、バス移動時にはアイデアを思い巡らせる時間になっていたのだ。
それらのアイデアを忘れないように素早く描き移す作業。多分、そこからノルマとされるA2版、40枚のパッド紙面を埋めることになる。
**
セミナーも提出時間が迫ると全身の思考回路がダイレクトにつながり、頭と手、足が夫々の意志によって機能し始めるようだ。

緊迫した空間の中では思考力、集中力が増し4枚のパッドにまとめ上げるプレゼンの作業は手際よく実に早いものになる。

最終日の朝、7時の締め切りまで1時間・・・。
毎年見慣れている徹夜作業とは言え、今年は案外淡々として進んでいる。
壁面にグループとしての作業手順、スケジュールが張り出されている。
その所為なのだろう・・・。

疲労感の中で床一面に並べられた作品に見入る学生たち・・・。自分の作品の出来栄え、他との比較に不安げな顔も・・・。
しかし、やり終えたと言う安堵感に満足げだった。全員が配布された40枚をクリアーしていた。
床面の広さからレンダリングとその説明となる二枚を広げる。38枚余のスケッチ類はその下に重ねて置くことに。
取り敢えずは、その二枚が勝負なのだ!
通り過ぎようとする審査員の足を止めるものでなければならない・・・。
・新しい提案であるのか?
・目的用途にふさわしく、魅力的な造形であるのか?
・使い易さが考えられ、そのカタチを見せているのか?
・生産的であるのか?など・・・。

今回も駆けつけて頂いた佐々木、中林氏に加へ栄久庵、肥田、土田、林、佐藤、そして私が審査に当る事に・・・。
各自が20ポイントをもって作品にマークする仕組みは30年来のもの・・・。
審査の基本、夫々の<視点>からの判断が尊重されるために記名式になっている。

まずは、全作品を俯瞰してみる。さらに、作品の列の間を思い思いに見て回り、良いと思われるものを手元の紙にメモを取る。
その数回の繰り返しで全体のレベルや個別のレベルを把握することになる。
気になる作品については座り込んでその提案の内容や発想のプロセスをスケッチパッドで確認する。勿論デザイン条件を考慮してのことだ。が例年以上にポイントが入らない・・・。みな似たり寄ったりの・・・。

それでも今回は、5ポイント以上の作品が集められ、その内容、質が比較される。
過不足ない、一定の水準は満遍なくポイントを集める・・・。
しかし、必ずしも他よりもレベルが高いと言うことにはならない。その矛盾点の調整でもある。
この序列化の適正を得ることはいつも難航する。一長一短。レベルが拮抗していることもある。作品の順位が入れ替わる。一対比較による慎重な差し替え。
夫々に、「もう一歩の造形力、表現力が欲しい・・・」と思う作品が多く、審査には苦労した。
今年度、1席、2席、3席、そして努力賞・・・。難航した序列化も一応の結果を得たが最優秀賞に相当するものがなく残念だった。

「受賞者諸君!頑張ったね、おめでとう!」

「意識」すれば、学ぶ効果は数倍になる・・・

「デザイナーになる」、その志し・・・。しかし、その能力は一朝一夕に身に付くというものではない。
常日頃の生活、その中に何かを求める心、好奇心と観察する目を持つことが重要なのだ。それが「デザイン力」、デザイナーとしての資質となるものだろう。
デザインは自らの生活の中で、<目的意識>を持って、<皮膚感覚>を持って学ぶことでもある。
その意味では今回、これまでにない自覚、心構えを見せてくれたセミナーでもあったと思っている。
また、自分の制作に追われながらも後輩の相談に乗り、手助けを惜しまない上級生の姿を見掛ける・・・。その心を忘れないで欲しいとも思う。

<40枚>を目標とする中で、意識するとしないとに関わらず、実に多くのことを学んでいるのだ。
今回、ここ数年の傾向を廃してスケッチ力、造形力のデザインスキルの訓練を意識させるテーマを選んだ。
適切なカタチを求める造形力が余り意識されず、能力の退化を感じるようになったからだ。プレゼンテイション時の「レンダリング」「カタチ」の意味も見失われ、混乱してもいる・・・。
*   
ある意味で、<A2版、40枚>の紙面を集中し、思考しつつ埋めていく作業は大変な数量でもある。
各自が独り、挑戦してみたらいい。そのことを直ぐに実感する筈だ・・・。
独りではとても出来ないことも仲間となら出来る・・・。
発想に行き結った時、他人の<ヒント>で、次に繋がる事も分かる。

このセミナーでの訓練に学ぶものは多いはずだ。
勿論、失敗も大きな学習、飛躍へのステップでもある。
ともあれ、作品の結果、入賞の有無に関わらず参加した人の全てが大きく成長している。その自分を<実感>し<自負>して欲しい・・・。
今年31回目、軽井沢セミナーが終わった。
('06/6・29 記)




清水教授のデザインコラム/連載 - 48(5/31/2006)

「自覚し、強く意識すること・・・・」

「なぜ働かないんですか?」とレポーターが問いかける・・・。
「ひとと話すことが苦手ですから・・・。めんどうくさいし、おもしろくないから仕事やめたんです・・・」
「おやが働いてて、いえもあるし・・・。生活に困ることはないし・・・」
「親に働かせて?居なくなったらどうするのですか・・・」とさらにマイクを向ける・・・。
「親が死に収入がなくなったら、働らきますよ!その時は・・・」
目を伏せ感情もなく答えるニートと呼ばれる若者・・・。
彼らは大なり小なりわが国の若者のいまの姿であるように見える。

先日の読売新聞には『教育に関わる全国調査』(面接方式)でそのフリーター・ニートのネット調査なる報告が記載されていた。
「能力が無いわけではなく、家庭環境や学力にも問題がない」のだとか・・・。
「社会に対する消極的傾向は、学校時代の課外活動や外出範囲だけでなく外出頻度、友人関係でも見られた。こうした傾向は1度も働いていないものに顕著で、未就労状態が続くことにより社会と接する機会がさらに失われ、社会性の欠如に拍車がかかってますます就職から遠ざかるといった悪循環の構図が見えそうだ」という。

冒頭のインタビューに見るように「生きること」や「学び」「働く」意味を喪失した若者の無力感は、いまここにいる自覚をすら失っているように見えるものであった。
テレビやテレビゲーム、豊かさの中に錯綜する刺激的な情報波動は彼ら幼少年期のこころに大きな影響をあたえていることは間違いないことだろう。
その生活、環境の劇的な変化は過去のそれとは比較にならないほどのものであろう・・・。
個人として受容する情報の量や質も違いすぎる。変容に対応し得る家庭教育や学校教育がないことが歪をおし広げることにもなった。社会的責任を育む家庭の崩壊、人間関係の変化が人間として生きることの目標を喪失させたということなのだ。
最近、ひとは母親の胎内に生命を得たときからその精神状態、喜びや怒り、そして哀しさ、楽しさの感情をわがこととして共鳴する。
つまり、母親の胎内に居るときから人格が形成されていると考えると良好な家庭環境、そのバランスが問題なのだとも考えている。

ところで、渡部昇一上智大学名誉教授は社会的な悪平等によって我が国の「モチベーシヨン」が失われたことが大問題なのだという。
「戦後の日本は『平等』を正義と同一視する傾向があり、小学校の運動会ではお手手をつないでみんな一緒にゴールに入るということも行われている。そういう光景を美しいと感ずるような社会の雰囲気がつくられた。しかし、人は永久に小学校にいるわけではない。そのうち否応なしに世の中に競争があることを知らされる。その現実に耐性が出来ていないと『ひきこもり』となり、ニートとなる」という。
壊れやすいガラスのこころ世代、アキバ系やニートを生みだしたということも無関係ではないだろう・・・。
専門家すら読み取れない若者のこころのひずみ、自覚すらない行動が犯罪の連鎖をも引き起こしてもいるからだ。

当然ながらその延長上にある大学も例外ではないことになる。
その兆しがある。
「自己実現」社会における目標の多様性、その可能性は個人としての確信、その意識を希薄なものにしているのだ。
茫洋?として見えぬ目標。多様な選択肢から選び出した「1つの生き方」に確信を持てないのだ。学ぶ心がそこに無いというのはそのためなのだ。
もともと最適を1つにすることなど凡そ考えられないこと、それが現実なのだが・・・。

4月、新学期の「デザイン論」のはじめに意識して欲しいこと、として「意識すること」を白板に書いた。
「意識するとは、なんなんだろう・・・」そう、授業のはじめに問いかけたのだ。
まず自覚を促し、デザインをここで学ぶ!と言うことを強く意識させるためだ。
一瞬一瞬を意識あるものにしたいとも考えたからでもある。
また、「もの造り」と言うリアリテイーを持つことで人間性から遊離しがちな感性を取り戻す意識の覚醒を心がけさせたともいえる。
生の発想の確かさ、そして美意識がなにより必要なことなのだ。
その「こころ」を涵養し、そんなデザイナーが増えて欲しいとも考えている。

・いまここにいることを自覚し、強く意識すること・・・。
・挑戦すべき「夢」「欲望」はなに・・・。

・その為に自分を知り、過去から現在、そして未来の自分を考えること・・・。
・学ぶことの厳しさを理解し、楽しさも知ること・・・。

努力無くして、自己実現、自分の思いが叶うことなどおおよそ考えられない。
挑戦してこそ何かを感じていくもの、厳しさ苦しさに比例して喜びもまた大きい。

(May 31/'06 記)




清水教授のデザインコラム/連載 - 47(4/29/2006)

「駅・エスカレターのバリアフリー?・・・・」

扉が開くと人々が押し出される。
その人波に身を任せ押されるように階段に向かう。
その端にはエスかレターに並ぶ列が連なる・・・。
ステップに立つ人は左に寄って立ち、急ぐ人を妨げないというルールがいつの間にか出来ているのだ。
話し込んでいる人も、お年寄りの手を引いていた人もそこでは前後になって昇降することになる。
人混みに紛れて列を押し出されると、嫌でもそのステップを1歩1歩あがらざるを得ないことになる。
この利用の仕方は一見合理的とみえるが極めて危険なことでもある。
特に、高齢者などは辛うじて立っている様子。注意して見ると両の手に荷物を持っている。腕に2、3個の買い物袋をまとめて腕に下げ辛うじて手すりにつかまっている母親、その横には幼児がいた。
ある調査によると高齢者の55パーセントが歩行を危険と感じ、まして駆け上がる若者の勢いに恐怖感を抱いてもいるという。
駆け上がる若者の肩に食い込むほどの大きなショルダーバッグやカバンなど。
その荷がまともに当らないまでも、風圧にすら危険を感じているとも言うのだ。

この立つ位置は大阪では右が一般的だというから旅行者は戸惑う。
そう思って注意深くみていると、東京と大阪の中間にある名古屋では右も左もいるという按配で特にルールは無いようにみえた。
私が左に立ち、それとなく後ろを振り返ってみると結構その列は左に立っていた。片側を空けるというのは結構皆の意識にはある。
人も少ない昼下がりのデパート、まして、都市部のエスかレターだから、東京や関西の旅行者が利用していることを考えれば必ずしも客観的な話ではないのだが・・・。

しかし、このルールが当然のこととして見過ごされることになると問題は大きい。
特に、それらによる高齢者事故の報告は多いからだ。
エスカレターに適応できなくなった生体のリズム、高齢者の増加は重大な事故に繋がりかねない問題なのだ!
ときおり、当然のこととして前に立つ人を押し退けて歩くものがいる。
移動する階段の不安定さの中でますます事故が増加するであろうことが予感される・・・。

わたしがエスカレターの片側をあけて立つという、こんな利用の仕方を体験したのは凡そ40年ほど前、ヨーロッパへ向かう途中で立ち寄ったモスクワの地下鉄だった。
「大理石造りの構内は素晴らしいからぜひ一度利用してみたらどうですか・・・」、と言うロシア人ガイドの勧めがあったからだ。
周りの利用者に習って切符を買う。
改札を通ると同じようにエスカレターの左側に立ち右側を駆け下りていく人のために空けていた事を記憶している。
一直線に地底深く運ばれているという恐怖感・・・。
かなり、速いと感じたスピードに手摺を確りと握っていた。
ホームまでは結構な深さだったように思う。

地下深いところはロンドンの地下鉄のよう、有事には核シエルターになるの?と聞かなかったが・・・。

その地底は重厚できらびやか。大理石で覆われた構内はまるで宮殿のような雰囲気があった。

当時、私は27歳。日本経済の発展期でもあり「昭和元禄」と云い、「いざなぎ景気」に沸く慌しい時代だった。心せわしく働き、皆が足早に移動していた。急いでいるのだから、特別に急ぐ数人のために譲ることは無いのだとも考えていた。
片側を空けて乗るというよりも皆がステップを埋めて昇降するのが自然なことだった。
そんな人々、企業のため、家族のためにがむしゃらに働いた人々もいまは高齢者と呼ばれる世代になっていたのだ。

わが国では安全性と満足できる速度として毎分約30メートルを標準として設定している。
そのスピードを利用する大部分の人は「丁度良い」と感じている。

しかし、高齢者にとっては乗るタイミングや降りるタイミングを外してつまずき転倒する事故が起こり、横をすり抜けていく歩行者に危険を感じる。
体や、荷物の接触でバランスを崩すことになるからだ。

バリアフリーとして設置された駅のエスカレターも、案外若者の階段代わりになり、単なるスピードを満足させるものとして使われかねない現状・・・。
設計の再考、利用の再考が早急になされねばならないだろう。
大惨事になって初めて再考を誓う当事者・・・。
頭を下げる場面が余りにも多すぎるように見える。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

(29 April/2005 記)

人々の生活圏が広がる中で様々な交通機関が発達した。
都市空間の構造は複雑に重なり下に、そして上に拡大し、上下に移動する交通機関が発達した。人々を入れた箱が昇降し、階段の機械化がステップに立つ人々を上に引き上げる。

エスカレターの普及は1900年パリ万博のアメリカ館にオーチス社により出展されて以降、急激に普及したと云われている。





清水教授のデザインコラム/連載 - 46(3/31/2006)

チームワークの中で「デザイン力」と「社会人基礎力」を学ぶ・・・・

惜しいところで4位入賞だというニュース。
予選ですら通過できない者も・・・。
「また次に頑張りまーす!」というコメントは悔しさを滲ませながらも意外に明るい・・・。
彼らが人1倍の努力をし、日々激しい練習をしたであろうことは想像に難くない。
しかし、世界の壁は予想を超えて高かったのだ!
今回の冬季トリノ五輪はメダル無しの結果だろうと悲観的になっていた・・・。
これもわが国のいまを示す退潮のしるしか・・・。

かって、わが国が発展途上であった時代には、「国威発揚」が第一義とされ、「選手は国を代表する!」「国の名誉のために!」という励ましにガチガチに緊張し実力が発揮出来なかった、と言われていた。
そのプレッシャーは確かに我々の想像をはるかに超えるものであったのだろう。
しかし、いまは「楽しんで来い!」

「気楽にやったら・・・」と言う声援に変わった。
時代はオリンピックのプレッシャーを与えないようにという配慮から、そんな励ましに変わっていた。
わが国の豊かさは、「厳しさ」を「優しさ」に代えたのだとも言える。
確かに彼らは自信を持ち、溌剌として見えた・・・。
しかし、メダルが確実視され、騒がれていた選手も空しく敗退している・・・。
マスコミによるキャッチコピー、期待を込めた記事の氾濫に実力以上の期待が膨らんだこともある。
選手は実力以上の評価に錯覚し楽観的な気分になったのだともいえないことも無い。
特に、若い選手にはそうした心理が働いたのではないだろうか・・・。
生来、日本人の生真面目さはプレッシャーに弱いもの、しかし、世界と戦うためには、ここ一番の緊張に耐え得る不退転の「精神力」が必要なのではないか。
プレッシャーに打ち勝つ精神力こそが実力以上の力を生み出すものなのだ!
そんな時の荒川静香の金メダル・・・。
プレッシャーに耐えた表情、笑顔が美しい。殊更に輝いて見えたのはやり終えた安堵感、あるいは照明のせいなのだろうか・・・。

メダルには届かなかったのだがマスコミに騒がれなかった分、期待以上の成績で見る人々を捉えていた。
日頃は余りなじみの無いゲームだが、4人のチームメイトが氷上のゴールを狙ってストーンを滑らせるゲームだ。同時に、2人がモップ状の道具でその筋道を擦る・・・。
その様子がなんともユーモラス、自分も出来そうと思わせる楽しさがあった。
なんとはない魅力があった。目標を見据える真剣な眼差しにも魅かれた。
さらに、WBCにおける王ジャパーンの優勝はまさにチームプレーの結果だろう。
中国、台湾、韓国戦・・・。
日の丸を胸に、楽観的な予選スタートの筈だった、が韓国戦に2敗を喫するという厳しい結果に・・・。潜在するメジャーコンプレックスはアメリカ戦を落とすものにもなった。
不甲斐ない敗戦、その「屈辱感」に焼け酒を煽ったというイチロー・・・。
しかし、偶然の強運は選手の心を確実に変えていた。
3度目の韓国戦にはさすがに気合をいれ、チームが1つになって戦うことになった。
同一チームが3度ものチャンスを持つ?余り例の無い話だが、もう負けられないというプレッシャー、負けても失うものがないという居直り・・・。チームを本気にさせる時間があって予想以上の力が発揮されたものだ。

キューバとの決勝戦もそうそれまでの試合とは明らかに目付きが違っていた。
一人ひとりがチームプレーに徹していた。捨て身の戦い、まさにチームワーク、チームプレーに徹したものであったのだ。

精神力で戦った典型とも言えるもの・・・。
ベースボールのルールを100パーセント使い切ってチーム日本の野球が勝利したのだ!
勿論、王監督の人柄、チームリーダーとしてのイチローの存在が実に大きいものだったようにも思う。
WBC、その戦いのプロセスは描かれた感動のドラマであり、人々を狂喜乱舞させるに十分なストーリであった。
興奮と感動の余韻、その波動はいまも私の体内に鮮明に刻み込まれている。
目標を明確にした仲間への相互信頼、個々人の意志が1つになることの強さ、スポーツに学ぶことは多い・・・。
・・・・・・・・・・
チームワークの中で「デザイン力」と「社会人基礎力」を学ぶ・・・・

人との触れ合いの中で生活をするためにはコミュニケーション力などを含む、「社会人基礎力」が必要であるといわれる。
このことは前回のコラムでも、あるいは講義の端々にも触れていること。
「デザイン力」と併せて余りにも重要なことだからでもある。

「孤族化」、「孤立化」がますます進む現代社会、国や地域、家族すらも・・・。
生活の多くが個人の単位に分断されて失われていく・・・。
それらは人々の中で倣い学んでいくものだからである。
他人との交流することで判る自分を見つめることが出来る。姿かたちが違うこと、考え、価値観、個性の差違を知り、考えることが出来る。自分の強さや弱さを見極めることも・・・。

チームワークの中で協調し、意見を戦わせる十分な時間が必要なのだ!

「産学協同研究」や「軽井沢セミナー」はその事を前提にチーム編成を考えている。
「デザイナーになる」という志しを同じくする仲間との信頼と相互触発・・・。
苦しいときも、つらい時も、仲間がいれば超えられるもの・・・。

また乗り越える感動を共有して貰いたいとも考えている・・・。
この時期、学ぶべき自らの4年間を充実したものにしてもらいたい。
それをやりとげる不退転の意志、「精神力」が必要になる・・・。

                            (31 March/ 2006 記)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
追記:チームアプローチによる学習効果を・・・・  
目標:新しい「モノ」の可能性をデザインをする?そのための情報・資料の収集分 
 析による意見の交換、デザイン・アイデア展開の交感など。
役割分担:各自の責任、役割分担と相互信頼による補い合う関係の構築など。
チームリーダー:目標・目的の十分な理解とグループ構成員の能力、性格、日程などの 
 を理解することが必要。グループの要、代表として目標達成のために最善を尽くす。
 構成員へのコミニュケーションの徹底と人間関係の構築誘導する。プレゼンテイションな 
 どを代表する。チームの意見を把握しておくことなど・・・。