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清水教授のデザインコラム/連載 - 45(2/27/2006)

企業が求める人材は「デザイン力」と「社会人基礎力」・・・・

基礎学力・・・
専門・デザイン力・・・
そして、社会人基礎力・・・
・・・・・・・
人との接触の中で仕事をする能力として基礎学力や専門知識に加え、考え抜く力やコミュニケーション力、協調性、規律性、積極性などの「社会人基礎力」が職場で重要だと言われる一方、若者のそうした能力の低下が指摘されている・・・。
先日の読売新聞にそんな内容の特集記事を目にした。
これまでは大人になる段階で「自然に」身につくと考えられ、その育成は半ば「常識」レベルのこと見られていた。しかし、いまは日本社会の中でこうした能力を育てる仕組みが相対的に低下しており、明確な定義を与えて「意識的に育成すべきであろう・・・」と強調している。
ベネッセコーポレーションの調査でも大学生の「意欲」「説得力」「協調性」といった「社会的強み」が、1997年から2005年の間に全般的に低下してきていることを指摘する。
この「社会人基礎力」は「学力」と相関関係があり、企業は採用にあたって数値化しやすい「学力」のみによって評価すればよかった。
しかし、最近はその相関関係は低下しており、企業も「社会人基礎力」を独立した要素として重視しているのだという。
経済産業省は「社会人基礎力」についてトヨタ、ソニー、日立などの企業、大学、自治体、経済団体、労働組合など各界代表委員によってその定義、育成や評価、活用のあり方を探る「社会人基礎力に関する研究会」を開いているという。 

欧米でも近年、「社会人基礎力」を意味する「ソフトスキル」が重視されているのだとか・・・。
これは先進国に共通する問題なのだ!

経済産業省/研究会による中間報告は「社会人基礎力」の内容と枠組みを発表している。
○前に踏み出す力(action)
 ・一歩前に踏み出し、失敗しても粘り強く取り組む力
 ・主体性=物事に進んで取り組む力
 ・働きかけ力=他人に働きかけ巻き込む力
 ・実行力=目的を設定し確実に行動する力
○考え抜く力(thinking)
 ・疑問を持ち、考え抜く力
 ・課題発見力=現状分析し目的や課題を明らかにする力
 ・計画力=課題解決のプロセスを明らかにし準備する力
 ・想像力=新しい価値を生み出す力
○チームで働く力(teamwork)
 ・多様な人と共に目標に向けて協力する力
 ・発信力=自分の意見を分かりやすく伝える力
 ・傾聴力=相手の意見を丁寧に聞く力
 ・柔軟性=意見の違いや立場の違いを理解する力
 ・状況把握力=自分と周囲との関係を理解する力
 ・規律性=社会のルールや人との約束を守る力
 ・ストレスコントロール力=ストレス発生源への対応力
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これほどに項目を挙げたわけではないが、しかし、内容はそのまま「軽井沢セミナー」の目標であり、日常的な「デザイン演習」に求めたものであるといえる。(特に軽井沢セミナー小史としたコラム10〜14に記述)
言葉を代えれば「デザイン演習」を通して「社会人基礎力」を学んでいたのだと言える・・・。
特集記事に眼を止めたのも丁度、今年度、受託研究の事を考えていたときだったのだ・・・。

その産学連携のプロジェクト、今年もデザイン力、スキルの修得と同時にソフトスキル=社会人基礎力についても更に意識した学ぶ場にしたいと考えている。
ID生諸君はそれらの内容を演習に求め、目標として1つ1つを大切に学んで欲しいと思っている。プログラムされた演習に全力で取り組んでもらいたいものである。
その効果は、学ぶ者自身の意欲、自覚次第でもある。
自らの為すべき努力を怠り外に目を向け、何かを求める事ではなく、目の前の演習に確りと取り組んで欲しいと考えている。
自ずとデザイン力と社会人基礎力が身につくことになるはずだ!

「青い鳥」を求めてさ迷うだけでは、得るものは無い・・・。
・・・・・・・
人間の成長過程で脳は様々な情報を吸収し、咀嚼しつつ豊かな心をつくりあげる。
幼児の喧嘩やいじめ、傷つき傷つけ返す、その小さな応酬が人間を成長させる。
良いこと、悪いことも・・・。バランスの取れた情報が必要なのだ。
自分の心すら分からない人間が増加しつつあるいま、社会人基礎力が低下するのは当然のことだろう。

(February 28/2006 記)




清水教授のデザインコラム/連載 - 44(1/31/2006)

「ゲームオーバー」

 タクシーが走り出すとすぐに「ホリエモンが捕まりましたよ・・・」と話しかけてきた。
株式取締法違反? 時代のカリスマが逮捕されたのだ!
「これでまた景気が悪くなるんでしょうかね・・・」と振り帰り気味に・・・。
バブル崩壊後の長い長い不況のトンネルには皆んなが辟易していた・・・。
やっと抜け出せるかと言う期待・・・。
かってのバブル時代を彷彿とさせる動きだと経済界の様々な指標や政府の発表にも注視していた。
ホリエモンやヒルズ族、あるいは数千万、数十億円を稼ぎ出したという主婦やフリーターに触発され、一攫千金(いっかくせんきん)を夢見た個人投資家がマウスを手に急増していた。一石二鳥(いっせきにちょう)、実利的に市場経済の勉強が出来るのだと学生たちも参戦したマネーゲームは日本経済を押し上げるばかりだった。
風声鶴唳(ふうせいかくれい)、強制捜査というショッキングな情報に狼狽した個人投資家が売りに売りを呼ぶアクセスで東証の受容量をはるかに超へて暴落、政治経済界にホリエモンショックを引き起こしていた。
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堀江貴文という名前、ライブドアーという社名、今は知らぬ者もいないが・・・。
球団買収に名乗りを上げたTシャツ姿の若者。そのことがマスコミに登場するはじめだったろうか?私も興味を持ってコラム:28「何か?が変わるとき」('04/9月27日)に取り上げていた。
「若者の合理主義、独善的な生き方には不遜と見られかねない社会的風土があって、計画はスムースに運ばないだろう」と見ていた。
しかし、その後も経済界のルールや大人社会の常識をも意に解せずの行動には旧社会のしがらみにとらわれない若者として多くのマスコミは好意的に映像の主役とし、時代の寵児として祭り挙げていた。
若者は思うがままに生き、行動のすべてにマスコミが群がっていた。
資産は膨れ上がり、まさに人生ゲームやテレビゲーム感覚だったのだろう・・・。
IT・勝ち組のおごり・・・。深く善悪を考えることすら無かったと言うことだろう。

多感な時代にバブル経済の極みを知り、破綻を目にした堀江青年には、その後の生き方を左右する多くの教訓を得ていた。
怒られながら成長するという経験、さして汗することも無くベンチャー企業を立ち上げる。その虚業性・・・。
そのバーチャルリアリテイに多くの不確実な問題が潜んでもいた。
PCモニターや携帯のメール、音声をとうして余りにも大きい決断がなされる。しかし、その自覚がほとんど無かった。
「駄目なら駄目!と言ってくれよ・・・」
「それが悪いなんて書いてないじゃん・・・」という若者。
若者の独善的なゲーム論理?そのグレーゾーンの生き方は犯罪として解釈されるものだったのだ!。
TIME誌にはGAME OVERの文字があった。 
(31 January / 2006 記)

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追伸:雑誌の表紙に見覚えのある顔が・・・。
その眼差しには鋭い光があった。
POPULAR SCIENCE誌の最新号 特集:超未来予測・THINK FUTUREに登場したホリエモンだった。
「理想的な未来を創造しません。未来は分からないほうが本当は楽しいはずです。
まあ、あんまり未来を予測することに私はモチベーシヨンが沸きませんね。
今見えているテクノロジーから想像される未来は、現在の哲学とか倫理とか宗教とかが意味をなさない世界になることは、分かりきっていますから、ある意味ナンセンスな気がします。それよりも、何も考えずに明日何が起こるのかドキドキわくわくしている方が幸せですね」
幾つかの質問のあとに「10年先に堀江さんが描く理想的な未来は?」という問いに答えたもの・・・。
「2005年を騒がせたライブドアー社長堀江貴文氏。日本の未来、世界の未来を彼がどう感じ取っているのかを率直に質問した。そして、2006年はわれわれをどう驚かしてくれるのか?」という前文には今日を予感させるものは無い。
人間にとっては明日のこと、まして、未来を予測することは難しい・・・。

宇宙旅行の商業化を夢見たホリエモン・・・。
宇宙船に乗り込み、満足げに微笑んでいた映像が印象的だった。
いま、彼の独房は宇宙船になぞらえているのだろうか?
早過ぎたという行動、その生き方を心静かに振り返って欲しいと思っている。
若者に、その時間は十分ある・・・。
2006年、まさにわれわれを驚かせてくれる事件であった。




清水教授のデザインコラム/連載 - 43(12/30/2005)

「いま、宇宙旅行中です・・・・」

2005年もあと数日を残すだけ、今年は本当にいろんなことがあった。
旱魃や豪雨、寒波や熱波、地震、津波などのあらゆる自然災害が猛威を振るう・・・。頻発するテロや殺戮の報復・・・。1人の判断ミスがとんでもない大惨事を引き起こした。
良識を失った1級建築士が人々の不信感を募らせ社会不安を引き起こし、家族の安全が脅かされてもいた。まさに異常、前例の無いことの連続だった。
これまでに増え続けた人口は出生率1・26と過去最低を記録し早くも人口減の分岐の年に・・・。
長引く不況、閉塞感への不満は政治体質の改革を唱える政治家に託す一票となり、奔流となって永田町を変えることになるのだろう。
何かと話題に上るヒルズ族、IT企業社長は次世代のビジネスを予感してか、宇宙旅行ツアーを手の届くものにしたいと目論んでいるようだ。
数日間の宇宙滞在、数十億とも言われる費用・・・。
人間を包む最小限スペース?三角錘状のカプセルに詰め込まれることを想像するだけでも息苦しい・・・。
閉所恐怖症にとってはとても耐えられないことなのだ!
しかし、何といってもIT業界、セレブ?との格差をいやという程に見せ付けられた年にもなった。
フッと顔を上げ時計を見ると、秒針が音も無く時を刻み続けていた。
・・・・・・・・
その針が1つのメモリを通過する瞬間に、地球は太陽系の軌道上を秒速29・8キロという猛烈なスピードで飛んでいるのだという。 
その速さは実に音速の88倍だとか・・・。
広大な宇宙空間を自転しながら高速で飛び続ける地球、それが、<宇宙船地球号>なのだ! いま、私は漆黒の宇宙空間を飛行している、と言う事になる。
日頃は考えることも無いが、時にそう考えると不思議な気持ちになり、楽しくもなる・・・。
わざわざ小さな宇宙船で飛び出し、<宇宙船地球号>の姿を眺めて帰ってくるのに数十億円をかけなくてもいいじゃないか!
人間は理屈をつけて自分を納得させることが出来るもの・・・。
「しあわせ」か「ふしあわせか」は自分の心が決めるものなのだ!
目先のことにくよくよせずに自らの幸せを感じ、この宇宙の旅を精一杯、楽しみたいものだ!
気宇壮大!そんな宇宙のロマンを感じながら・・・。
・・・・・・・
この地球を宇宙船に擬えたのはあのフラー・ドームの提唱者バックミンスタ・フラーだったろうか・・・。地球資源は無限にあるものと思い、経済活動は永遠に成長拡大するものと考えられていた時代だった。'70年にローマクラブは「成長の限界」を唱え、「人類の危機回避」を探り、'72年には「国連人間環境会議」においては「かけがえのない地球・宇宙船地球号」がスローガンになっていたと記憶している。
'69年、我が国の経済白書には「豊かさへの挑戦」がスローガンになり、翌'70年に「国際万国博覧会」が大阪で開かれた。GNPが急拡大し経済発展はバブルへと向かう勢いであった。
'73年に第1次石油ショック、'79年には第2次石油ショックが相次いで世界経済を襲い省エネ運動の高まりを促すものになった。
・・・・・・・・
石油や天然資源の有限性が俄かにクローズアップされ、デザイン分野でも強い関心事にもなっていった。
当時、参加していた「産官学研究会・ゴミニテイ」(ゴミ+コミュニテイー)のテーマとして「カンコロジー」(カン+エコロジー)を唱え、カン(缶)の回収・資源化、ゴミ収集と資源化問題が話し合われていた。
各地の清掃局の「清掃課」がゴミを処理することであったのに対して、「資源回収課」へと名称を変更したのも、その頃からだった。
その研究会の中から今日のデザインキーワードとなった「エコ・デザイン」が生まれ、障害者の行動圏の拡大を図る研究から今日の「ユニバーサルデザイン」に繋がったと考えている。
いずれにしてもこの「宇宙船地球号」の限られた資源を有効に使うことはデザイン条件としても重要なものである。
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「もったいない!」という日本語がその「心」を意味するものとして世界に広がっている。
いま、<宇宙船地球号>は65億の地球人を乗せて時空間の中を飛行中、まもなく2006年へと突入することになる。
心新たにまた、宇宙の旅を楽しみたいと思っている・・・。 
(Dec.29/ユ05 記)




清水教授のデザインコラム/連載 - 42(11/30/2005)

「四季・樹々の彩り・・・・・・」


この言葉が、私は好きだ

この文字を眺めていると
地の底から沸き起こってきた 
生命の原基が
脈々とした成長の法則に従い 
天空をめざして伸びていき
たくましく壮重な巨幹のいただきに
むらむらと樹冠を放射してみせる
大地の混沌から脱皮し
自然律の秩序を構図した 
壮大な緑の形象が浮かびあがる
その重ねられた年輪には
夏と冬との積層のうちに
森の樹々たちの
森の鳥や虫たちの
森をめぐる人間たちの
生きてきた時間が
ひとつひとつ刻み込まれている
樹は
風のなかに孤立した自然物ではなく
人間の足あととの営みが
太陽の光と大気とともに 
吸収され同化され
大地の上の造形と化した 
永い永い地球の歴史の
記念碑なのである
樹木科学と樹木美学との
国境のうえにたって
私は樹木を仰ぎみる

この言葉のある限り
樹について私は語り続けたい

(樹/足立輝一著 講談社現代新書より)

・・・・・・・・

ナチュラリスト足田輝一の著書、「樹」の冒頭の一文である。
その一節、一節に私は心惹かれていた。
人は樹に触れ、眺めることで癒されている・・・。
とくに、我が国の四季折々の変化には感動させられるものだ。
この風土が日本人の伝統的な情緒、繊細な美意識を育くんだともいわれる・・・。
・・・・・・・
ところで、緑という言葉は人の生きる健康な生活基盤をイメージするもの、環境問題の切実な要求となっているものでもある。
その緑とは当然、森の緑。樹々の、木の葉や草花の緑でもある。
夏にはほぼ近似の色調を見せている一群の樹々も、秋にはそれぞれ樹種の個性を見せて、一変させてしまう。
こんもりとして見えた森、緑の塊に黄色から、赤色、褐色とをちりばめて徐々に季節の色彩風景を描き出してみせる・・・。
空を覆って舞う蝶?一瞬、驚いてハンドルを取られそうになった。
目を凝らすと、上空高く枝葉を広げた樹々の梢から突風に吹き上げられた褐色の木の葉だった。
川越街道から所沢キャンパスへと向かうインターチエンジを運転中のことだ!
・・・・・・・・
葉を散らした冬にはそれらの樹形を構成する繊細な小枝を見ることが出来る。
樹がそれぞれ特有の形を持っているのは、樹種によって形態形成の法則を持っているからだといわれている。
また、「人が樹という存在に美的な感覚を覚えるのは樹の姿の法則性にある。
それは生命現象の特色でもあり混沌という未分化の存在でありながら、その生成の過程においては、自然の規律に従い、秩序ある発生と成長を示すところに美が顕現するからだ」と足立輝一は記述している。
しかし、それでも、それらの全てが2つと無い独自の樹形を持っているように見える。
近似的であり、秩序あるものとされてもそれらの 個々のすべてが独自の形と彩を持っていることに、私は心惹かれてもいる。
自然の、それは人工的に生産されたものとは対極のものであり、その複雑で多様な存在故に心癒されてもいるのだ!
・・・・・・・・
そして春、生命の季節!樹々は新緑に彩られることになる・・・。

(11・30/2005 記)
・・・・・・・・・・・・

追伸

樹々の彩り、四季の変化に心惹かれる・・・。
黄色、紅色、褐色に彩られた風景を描くことに、私は躊躇していた・・・。
余りにも鮮やかな色、光に透かしてみた、その透明な彩りをキャンバスに表現することは出来ないと思ったからだ・・・。
今年、敢えてその紅葉の風景を挑戦してみた、・・・。





清水教授のデザインコラム/連載 - 41(10/30/2005)

「'05グッドデザイン大賞」は、
         我が国のハイテクを支える職人の「技」に決まった。

グッドデザイン大賞?注射器の針?
「ギヤー」と泣き叫ぶ声・・・。注射器を見たとたんに泣き出す乳幼児。
注射が嫌い、怖いという子供、それほどに注射嫌いは多い。
あんな針を体に刺し込まれるのだから恐怖心が沸くのは当たり前、その幼児体験は大人になっても代わることは無いし、何より痛い!

しかし、夏の夜に何か熱中しているときにふっと気がつくと蚊が腕にとまり、飛び立てないほどに血を吸っていることがある。
刺されているのに気がつかない、そんな経験は多いはずだ・・・。
蚊の吸血行動は詳細に観ると、人の皮膚に刺す前に感覚を麻痺させる唾液を注入するなど巧みな仕組みになっているのだとか・・・。
その刺す部位は下顎?その直径がどのくらいかは知らないが、その「刺す」ことの連想からついでに言えば治療用の「はり」、0・16ミリ位なのだと聞いている・・・。

次世代、ナノテクノロジーではそんな「蚊」に倣う注射針を創ることを考えていると言う。
皮膚を刺す部分の先端が細くなると、人の痛みを感ずる神経網に触れずその効果を上げることが出来る。
針は毛細管ほどに分割され7〜8ミリ角の面状に配置し皮膚に張り付ける、そんな注射シールが開発されるからだ。
やがて注射は「痛い」という連想、恐怖心から人々は開放されることになる・・・。
・・・・・・・・・・・・
ところで、今回のグットデザイン大賞を得た「インシュリン注射針」はそんな「夢」、「痛くない針を作りたい」、「限りなく細いものにしたい」という技術目標に応える次世代ナノテクノロジーへの大きな1歩となるものだろう。
ただ、望んでも夢の実現、要求にこたえる加工技術は無かった。
医療機器メーカの「テルモ」はそのことを敢えて企画し、日本中の数百社にその加工、可能性を打診して回ったが皆が出来ないという返事だった。
企画から数年後にやっと岡野工業にその話しが回ってきた。
「俺のところへこなければ永久に出来なかったのでは・・・」、「他人に出来ないからこそ、挑戦するんだ!」と言う。
理論物理学の教授には「理論的に不可能」とまで言われた「テーマ」に敢えて挑むことになった。
忍耐・・・。そして、試行錯誤の末に0.2ミリ(注入口0.06ミリ)の極細の針の加工に成功した。
「糖尿病の患者さんは、インシュリン注射を1日に3、4回も打つそうで・・・。同じ品質で値段も安いものが1日に何万本かが生産出来なければ、出来たとはいえません。そのために2〜3年かかりました」
まさに職人気質、チャレンジ精神旺盛な岡野雅行の挑戦があって「痛くない注射針」は完成することになったのだ!

「デザイン・・・・」、「グットデザイン?そりやーなんだい・・・・」と屈託ない受賞者。
「デザイン大賞?当り前でしょう!」、「俺が目指すのはもっと上、ノーベル賞なんだから・・・」と豪快に笑う・・・。
この岡野雅行、家族を除けば社員3名の金型・プレス加工業・岡野工業の社長。しかし、ただ者ではなかった。
スーパー職人、その名は私も以前から知っていた。
何度か彼の番組みを見たことがあり、ビデオ録画にもしていた。
我が国のハイテク技術を支える男とも評されているからだ。
「先端産業は決して大企業だけのものではなく、その要となる高度技術を支える下町の下請け零細企業によるところが大きいのです・・・」という、その時のナレーションがいまも強く私の耳に残っている。
「人がやらないからやる!」、「人がやれないからやる!」、長い試行錯誤のプロセス、人に出来ない「ものづくり」を楽しんでもいるようだった。
それらの経験に裏付けられた「直観力」が、不可能を可能にする優れた職人の「技」を培ってもいる。さらに言えば、デザイナーが失いつつある日本人の「鋭い感性」、そして「手先の器用さ」がある。

(Oct.30/ヤ05 記)

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追伸:
審査会場にそれがあったことを見落としていた。
東京ビックサイト・Gマーク審査会場のGDP展にはデザイン学科として参加していることもあって2日間程、製品が並ぶ会場をつぶさに見ていたはずなのに・・・。
そこに「注射針」があったことは気付かなかった。
Gマーク、Gマーク大賞に相当するのかは些か疑問。選定の条件が違うのでは、という気もしないではない。
しかし、いまやデザインは「人の住む世界・人工物の全て」に拡大している現実を見据えてのことであろうと考えている。
ただ、誇り高い職人・岡野雅行はデザイナーと言われる事を決して喜ばないのだろうが・・・。

余談だが・・・。優れた「職人技」が団塊世代の定年によって失われようとしている。
様々な企業においても、その高品質を支えた職人の「技」継承が大問題なのだ!