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清水教授のデザインコラム/連載 - 35(4/29/2005)

理解を超えて、ITは確実に人々の中に浸透している・・・

目を合わせることもない4人・・・。
記者会見を終えると、そそくさと席を立とうとする。
「すいませーん、握手をお願いしまーす」と、カメラマン・・・。
声を掛けられ求められて応じた握手、決して心を許しあったもののそれではない事がぎこちない所作に現れていた。
それぞれの立場を主張し、反目しあったここ数週間のバトル・・・。
ニュースの主役たち、カメラ目線の和解だった。
何かと物議を醸(かも)したニッポン放送の買収劇は一応のフィナーレを迎えた。
このノンフィクションのドラマにも、あの球団買収劇に見られる登場人物の心理に似たものがあり、必死の攻防があった。
ご本人たちには申し訳ないことだが、大変興味深いもの、まさにドラマを見ているようでもあったのだ。
映像はそれぞれの人物を捉え、微妙な心情を押し隠した表情や一挙手一投足が強烈なライトに浮かびあがって見せる。
そのドラマのはじめは複雑な人間社会の柵(しがらみ)、その常識のヒエラルヒーを突き崩す勢いで乗り込んだライブドアー堀江貴文氏にフオーカスされた。
受けて立つのは日枝フジテレビ会長。築き上げた出城を守る武将に似た意地を見せ、意識をみせていたのだ。
その抵抗には若い堀江氏には読み取ることが出来ないことも多くあったのだろう、と想像される。
その戸惑い、狼狽もあったのだろうが・・・。
何しろ強気だ!数千億という我々には想像し難い、金額をかけ命をかけたという勝負が掛かっているのだから・・・。
球団買収は楽天に掠め取られた感もあるが、その表情には淡々としたものがあるようにみえる。
人柄?その風貌故でもあるのだろうが・・・。
多分、それも想定内・・・?
小学生の頃、試験を5分で終え、100点を取ったという神童には人並み外れた記憶力と破天荒な生き方を身に付けたものだろう。
東大在学中にアルバイト先でインターネットに出会ったのだという。
若い感性、彼の<直感>はその未来を確信したのだという。
友人に600万円を借り、中古のパソコンを揃えたオフイスは6帖間・・・。 「ホームページ」を作成する会社を立ち上げたのだ。
その決断!じつに素早い行動だった。
そこが常人とは違うのだ・・・。
ITという人類史上に前例を見ない技術に、今までの常識、方法では通じないもの
ある事をを身をもって示していた。
起業から僅かに10年余には数千億を動かし、千数百人のスタッフを従えるCOE(経営最高責任者)になっていた。
1500人に一人?といわれるIT勝ち組に名を連ねる青年実業家である。
彼には尊敬し目指した郷土の先輩がいた。孫正義氏、ソフトバンク社長である。
我が国、IT起業家の草分けとも言える。
日本経済界の常識に挑戦し、変える道筋をつけた人物でもある。
日本ではなく・・・。アメリカに学び、大学を選んだのも計算されたものであった。アメリカ流の経営哲学を学ぶことを選んだのだ。
時代の寵児でもあった孫正義氏について当時、その先進の経営に私も注視していたことがあった。
我が国、経済界の異端者と批判されていることも知っていた。
やがて、その資産はビル・ゲイツを超えたのだという。
「確か、3日程でしたがネ・・・」と孫正義氏は謙遜してみせた。
多分、彼の目標もシリコンバレーにはじまる若きIT起業家たちだったはずだ。
パソコン1台で何かを「創り」、急激に拡大していく企業組織体でもある。
僅かに1畳ほどの空間があれば起業出来るのだから・・・。
その可能性は年齢や男女を選ばず混沌として無限大でもあるとも言える・・・。

しかし、ITの進展、生活への浸透は人間関係を分断し、何か不思議な現象を引き起こしているのではないか?そう思える出来事が余りにも多いように思う。
これまでの考えからはとても理解出来ない犯罪、人間社会の運用の異常が生み出されてもいると見えるからだ・・・。

JR尼崎線、脱線事故の大惨事にも、「90秒」に凝縮されたIT社会の危うさ、危機の連鎖を感じている・・・。
                 (April 28/2005 記)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
追伸:
刻一刻と事故の惨状が報告される・・・。百余名の人生、しかし、尊い命が絶たれ肉親の悲劇を生んだ・・・。
専門家が登場し、様々な事故原因をコメントしている。
「70キロを上限とするカーブを108キロで進入すると4倍強の遠心力が働く・・・」「カーブのきしみ音を緩和する油の塗布による滑りやすさ・・・」「カーブでの急制動による輪重バランスが崩れ・・・」「新車両の軽量・合理化構造の設計・・・」更に、「重量の異なる新、旧車両の連結バランスの崩れ・・・」等など。様々な原因、しかし、何よりもそれらの全てをバランスする職人(全ての要?となる)が居ないのが大きいという意見も聞かれる。
事故はそれらの微妙な重なり、連鎖で起きたものだろう・・・。
とは言え事実は適性と経験に乏しい青年によって引き起こされたことでもある。
これまでの数十年に渡って事故は無かったのだから・・・。
「秒」を競う厳しい運行、ミスを起こした者に対する日勤教育が問題であるともいう。
しかし、数百人の命を預かるという責務、緊張感を持続させねばならないのがその職務でもある。
それが欠如し、その困難を言うだけで自覚をすら失うことがあっては・・・。
運転のミスを咎められ、日勤教育で犯罪者扱いもされかねない屈辱である、と言うのは当たらないだろう。

人は誰でもが失敗する。
人類はまさに失敗に学びながら発展してきた歴史でもある。
失敗を真摯に反省し学ぶ、自己の適正を再確認することも肝心なのである。
失敗を恐れ、ひたすら押し隠そうとすることが取り返しの付かない致命傷にも繋がるからだ!
強い責任感なくして数百人の命を預かる立場をとるべきではない。
高いプロ意識を持って学び、自己を厳しく律することであって欲しい。
高度IT社会にある危うさは、この悲惨な事故に学ぶべきことは多い・・・。

               (April 29/2005 記)




清水教授のデザインコラム/連載 - 34(3/31/2005)

何をやったらいいか分からない。だから、取り敢えずデザインを学ぶことに・・・・

21世紀はデザインの世紀だといわれています。
UFJ総研による産業経済予測によると2010年にはデザイン市場規模は12兆円、デザイナーの数で言うと80万人程度が必要であると想定できるのだそうです。
現在の市場規模が2億8000万円,デザイナーは17万人。
凡そ4倍強に拡大すると言う事になるのでしょうか?
その数字の根拠は分からないが多分、デザインという用語解釈の多様化であり、実行行為の可能性の広がりを読み込んだものだろうと思います。
いずれにしても、そんな明るい展望を持って、高度情報化社会に応えるデザイン人材の育成に取り組むのだとか、期待したいことです。
・・・・・・・
 「デザイナーになる!!」
早くからそう決めて、それなりの準備をしてきた者は、余裕だろうか・・・。
しかし、何をやりたいのか、将来、何をやったらいいのか? 自分に何が出来るのか?
いろいろと考えたが分からない・・・。
そう迷いながら大学に進学した者も決して少なくはないだろう。
この季節、大学のキャンパスではそんな様々な新入生と出会うことになる。
たしかに、今はそう簡単に答えが見つかる程に分かり易く、単純な社会では無い。
多分、中学や高校で学び生きてきた来た18年間の経験の中で、自分の一生を決める重大な決断をせねばならないのだとしたら・・・。
自分がやろうとすることが分かり、納得している人の方が圧倒的に少ないはずです。
私が知る多くの大人も、迷う事も無く職業を決め、順調に働いている人など殆どといっていいほど居ないのです。
或いは迷うほどに選択肢すらなかった。目の前にあるものに決めざるを得なかったといった方がよいのかも知れません。
しかし、実はそれが人の生き方なのです。
「ほどほどに」、「楽に」、「遊び心で」と言う心の余裕を持つということも必要でしょう。
しかし・・・。一方では、与えられた環境の中で「一生懸命」、「努力する」、「頑張る」等という言葉を意識し、心がけることが必要です。
つまり、努力をしないで「夢」や自分の思いを遂げる事などは有り得ないというのも現実です。
多分、大学で学ぶ全てが初めての経験となるものでしょうが、その1つ1つに取り組み、挑戦してみる心構えが重要です。
そこから、何かが分かり、何かを感ずることになります。
「人間として生きる」こと「学ぶ」ことの実感ともなるものでしょう。

「課題」をやるが上手く出来ない、だから面白くない、と言う。
嫌いな課題を大学で強いられると言う思い、そう感じるとしたら・・・。
それは不幸なことでしょう。耐えられないことにもなります。
「嫌いだから」、「よく分からないから」、やらないということになると、ますますやらない人間になり、何も出来ないダメ人間に成ってしまうことになります。
独り考え込んでしまうことにもなるのです。
嫌いでもじっとやり続ける忍耐が大切です。必ず出来るようになり、楽しくやることになるものです。
分からない、出来ないから・・・与えられた課題に取り組む。
手で触れ体で実感し、人間としての本能と向き合い、人としての感性を研ぎ澄ましていくことにもなるからです。
手で触れることがデザインのリアリテイを明確に体に刻み付けることになるのです。
学ぶことは、必ずしもらくで楽しいことばかりではないはず、返って苦痛!そのほうが多いのかもしれません。
その苦悩、苦痛・・・。しかし、そのことを喜びや快感に変えることも、継続するという心構えしだい。
デザインは「生」の発想、人への優しいまなざしと美意識を育くむものだから・・・。

自分自身の能力の成長拡充はその挫折と克服する努力の繰り返しによって確実に得られるもの。
そのことが実感されることで喜びもまた、何にもまして大きいものになっていく事になります。
何よりも人間という生物は、自らが生きる環境の様々な仕組みに触れ、身体を通して感じ、感性を培って成長するものなのです。
「好き」になり、自らの体を通して考えたことは何よりも身につく・・・。
そして、楽しい・・・。
そこから加速度的にデザインを選び、学ぶ意味を見出していくことになるのです。

●デザインを学ぶ心がけ、実行し習慣にして欲しいこと・・・
  自分の夢を実現する方法を考える
  自分を知る
  観察し、メモやスケッチをする習慣を持つ   
  好きになり、楽しくやるように心がける
  その他

                    (March 31 2005 記)

追伸:
「愛・地球博」がはじまった。
並び群がる数千人がゲート抜けると目的のパビリオンを目指して駆ける。35年前の大阪万博の風景が重なる。
今回の特徴は環境問題に配慮することと、そこここで誕生した人類のDNAを継承する珍?新人類群・ロボットが多く競演するということだろう・・・。
ラッパを吹き、会話を楽しむ、その受付嬢も・・・。
産業ロボットに比べ、人間型ロボットはまだまだ微笑ましいオモチヤのレベル・・・。
神が数億年の年月をかけてデザインした人間に学ぶものは多いのだ!
しかし、人類の人間力、感性の衰えが顕著となるであろう時代には、人間がデザインしたロボットがその事を補って活躍するのでしょうか?





清水教授のデザインコラム/連載 - 33(2/28/2005)

人の住む星・地球を1秒で見ると・・・・

「あなたがお茶を飲み、空を見上げ、となりの町へと
移動している間に、森林が消失し、氷河が崩れ落ち、
大量の資源が消費されている。
この世の中のあらゆるものは、
とどまることなく変化している。
その巨大な変化を、1秒で見てみる。
1秒とはまばたき1回、まさに1瞬。
私たちにとって望ましい変化も、望ましくない
変化もある。
ミミズが食べる土の量、飢えで亡くなる人の数、
砂漠が拡大する速さ、全ての数、全ての変化が
今この瞬間のあなたへとつながっている」


駅前の書店、「あっという間に・・・」と言うキャッチコピー・・・。
黄表紙に黒オビ、素朴な本の装丁が妙に気になった。
『1秒の世界』が書名らしい・・・。
ページをめくり冒頭の1文に視線をとめた。

1秒・・・。
まさに、まばたきする、その1瞬である。
「あっ!」と言う、その1瞬にある地球の変化、つまり、1秒と言う単位で切り取った数字を示したものだ。
1秒、その瞬間に、この地球上の人口は4・2人が生まれ、1・8人が死んでいるのだという。
つまり、1秒間に2・4人が増える計算でもある。
「ふうぅーん・・・・」と、いう感覚だろうか?
1分で144人。10分で1,440人・・・・。
しかし、1時間で8,640人、1日にすると20万人余が増へていると言う計算だから・・・。
「年間にすると・・・?」
もちろん、一面的な推論にしても、この地球規模の数値には驚くばかりだ。
20世紀のはじめに16億人だった人口は1昨年(2003年)には63億人、2015年には70億人になるという。
もうかなり前になる、この地球環境に生存しうる適正人口は15億人位ではという話を聞いたことがある。
それからの年月を考えても、今はまさにひと1人が生きること自体が環境負荷、そのものでもある。
我が国を含めた先進国の少子化に対して途上国の増加は、今世紀の終わりまでも止まらないだろうとも・・・。
一方、1秒間に0・3人が餓死・・・。
つまり、4秒で1人が餓死していることになる。
1分で17人、1時間で1,000人が、1日に2万4000人、1年には864万人が餓死しているのだという。
飽食社会の中にまどろむ日本人にはなかなか実感し難い数字だろう・・・。

地球の生態系を支える天然の森林もまた、テニスコート(261m2)20面分が消えているのだとか。
たいして、緑を取り戻そうという気運はあっても、植樹はわずかに5面分に過ぎないらしい。
さらに毎秒、1,900m2、世界各地の農地や牧草地などが砂漠化している。これは年に四国と九州を合わせた面積にも相当した60,000km2の面積で、刻1刻と砂の大地に変わっているのだ。
特に中国の砂漠化は速く、毎年2,460km2のスピードで広がっている。
1秒間に78m2、畳48枚分に相当する。

グリーンランドの氷河が1,620m3溶け、毎年、510億m3.この量は日本最大の湖、琵琶湖の1,9倍に相当する。つまり海面の水位が上昇し世界各地の島や陸地が水没することになるのだ。
二酸化炭素の排出量は390,000m3、体育館32棟分地表の平均気温の上昇は0,00000000167℃上昇。
地球の平均気温は1900から2100年に5,8℃上昇し加速すると言われている。
暖かくなっていいじゃないかと、のんびりした事は言っていられない・・・。
多くの動植物の絶滅を意味しているからだ。

人体は呼吸によって1日360リットルの酸素を必要とする。その必要不可欠な酸素が減少し続けている。カリフオニア大学の研究によれば1993年から2000年まで、年平均224億トンの酸素が減少していると言う。
1秒間に140万人が呼吸する710トンの酸素が減少していると言うのだ!
主な原因は化石燃料の燃焼のために空気中の酸素が消費されていること。更に、森林伐採や海洋汚染によって、酸素の供給源が減っているからでもある。

植物の中で最も成長が早いとされる竹の子は、10ミクロン、1日に90センチ伸びる。1年では7,8メートルに成長する。
そう言えば、自宅と路を隔てて右端にあった竹林・・・。いつの間にか窓の大部分を占めて波打つ様子が見えるようになった。
桜や、紅葉、様々な樹木の領域にまでも侵触していたのだ。
春にはそここに竹の子が生える。
1秒・ミクロン単位の観察をした訳ではないが、日ごとの生長、そのエネルギーには眼を見張ったものだ!

人の住む星・地球・・・。
1秒で見る、その星の変化・・・。
興味からと危機感をもって、その幾つかを拾ってみたものだ。

その星に住む人々の欲望のきしみ、変化の悪しき連鎖・・・。
異常気象、地殻変動、食糧危機・・・。
地球上の各地にある変化に繋がる・・・。
一秒と言う単位で分かりやすく、そして、過激に!
「地球がもし100人の村だったら」そんな本があった。つい数年前のことだが地球規模の話を100人の村に置き換えてみると分かりやすい、と言うもの・・・。
地球を凝縮し、比喩して考えるこの発想は、理解し難い問題や、巨大な数字を極めて分かりやすく、身近な問題として人々に働きかける効果がある。
日常的には知ることも無い地球の変化、意識することもない1秒の世界・・・。

しかし、時には地球を考えてみよう!
ユニバーサルデザインと合わせて、エコロジー問題への対応は、21世紀のデザインとして強く意識せねばならないものだろう・・・。
                         (Feb,27 2005 記)

<メモ>
「秒」Secondは国際単位系の時間測定の基本単位。
1956年までは平均太陽日=日の86,400分の1と定義され、更に、1956年の国際度量衡委員会では1900年1月1日0時(暦表時)の地球公転の平均角速度にもとずいて算出した1太陽年=年の31,556,925,9747分の1とし、東京天文台が現示すると定義している。
また、1967年より、更に正確を期した測定標準が必要なことから電磁波の周波数を使って再定義し、現在は「1秒はセシウム133原子の基底状態における2つの超微細エネルギー準位の間の遷移に対応する放射の9,192,631,770周期の継続時間」とされている。

『1秒の世界』 山本良一(責任編集) ダイヤモンド社




清水教授のデザインコラム/連載 - 32(1/31/2005)

人体の不思議・・・・・」

 ヒトをかたちづくるものは凡そ200個の骨・・・。
それらの一つひとつを繋ぎ合わせ、人体の自在な動きを可能にする。
その仕組みを受け持つのは400個の筋肉・・・。
幾つかが協力して1つの骨を動かすのだと言う。
その構造体に支えられて様々な器官があり、個体維持のシステムが機能している・・・。

日頃、人は表面の美醜にのみ心奪われるだけ、殆んど意識することはない。
最も時には体調不良!と言うシグナルで病院のお世話になることに・・・。
現代医学は頭部の輪切りを、或いは管を通した食道や胃をその内側から見せてくれることになる。現実には見ることが出来ないブラックボックス、人体と言う小宇宙だ!
そういえば、かって「驚異の小宇宙人体」と言うNHKの特集番組に驚嘆したことがあった。
CGによる映像も然ることながら、様々な仕組みに驚かされたのだ。
一体誰が・・・。この仕組みを造り人体をデザインしたのだろうか?
その見事さ!人体の不思議さにはほとほと感動するばかりだったのだ!
・・・・・・
そんな疑問、好奇心に答えたものだろう「人体の不思議展」が、東京国際フオーラムを会場に開かれていた。
会場を埋めて結構う若い世代が多いように見えた。
人体を前に熱心にスケッチをしている若い女学生・・・。
人の眼を気にするふうも無く人体の構造や仕組みをすばやく描きうつす・・・。
厳粛な空間も意外にあっけらかんとしているのは制服姿の女高生が多いせいなのかもしれない。
触れることが出来る人体の周りにも数名が手を差し伸べ、指先でなぞる・・・。
頭部、体幹、手、足、そして、筋肉、血管、神経系の組織が全身を覆う・・・。
脳、心臓、肺、胃、生殖器などの臓器は縦横に切断して細部までもあからさまにして見せてくれる・・・。

外界の情報を捉える多くの器官が頭部を構成する。
眼は個体を安全に維持するための情報のほとんどを捉える。耳は音を捉え、鼻が臭覚を、口は食物などを食み味覚を・・・。意思を伝える音を発するのも口・・・。
眼、耳、鼻、舌、触角、つまり、餌を発見し、危険を察知する5感覚器の発達はまさに動物とも共通するもの・・・。
決して飾り物を取り付ける為にあるのではない。
・・・・・・・
私たちは「あたま」で考える。そのあたま(脳)の各部位が人体の様々な働きを分担し、手指につながる。
「へェ、そうなんだ!」と分かったのは、たまたま、この種の展覧会を見たロンドンでのこと、もう30数年?も前のことになる。
巧みな人体モデルや図示されたものでも半信半疑、ヒトの仕組みの不思議さに感心したものだった。
輪切りや体幹を縦に切られた人体のホルマリン漬けはドイツの博物館だったろうか。
ショックで正視できなかった。
勿論、ここにあるものの全ても特殊な処理(プラストミック)が施されているとはいえ人体そのもの・・・。
数十体も有るのだろうか・・・。
しかし、何か違うと感じる若い世代の明るさ!何かが違っている感性の差・・・。
・・・・・・・
とはいえ、人体の不思議は、また矛盾でもある・・・。
森羅万象の全て、そうなのだろうが・・・。
その人体も完全であるとは言え無い。
つまり、完全であればモノの発達は無かった。
人類が誕生して以来「生きる」ために様々な「モノ」が使い始められ、創り出されることになるからだ!
ヒトとしての人体が未完であったから、その欠点を補うためのモノの発展があった。
生きるための工学・技術が連鎖反応的に発達した。
鋭いつめを持ち、牙を持った動物から身を守るために、なんだかの道具や武器が必要でもあった。
ヒトはモノを創り、そして考えるための「脳」の拡大があった。
・・・・・・・・
人体の欠点を補うことで発達したモノ造り、工学技術は今、その「人体」そのものを目標として再構築することを目指している。
ヒュウマノイドロボットへの取り組みである。
やがて鉄腕アトムのように・・・。
ヒトの何気ない動き・・・・・・・立つ、座る、歩き、走る・・・。
先端工学とは言え、その動きはまだ5,6歳? その緒に付いたばかり・・・。
しかし、その成長は早いものだろう・・・。

その一方では、そのヒトが持つ不思議、思考、意識の解明に向かうことになろう。
「我思う故に、我あり」、「考える葦である」とも言われる。
喜び、悲しみ、愛する、その心・・・。

今世紀はまた、人体そのものの改造、生命科学の時代だとも言われている。
ヒトゲノムの解明はクローン人間、人工臓器、臓器移植へとつながるもの・・・。
生命の倫理までも問題にされることになるのだろう。
ヒトの「脳」による未知への好奇心は連鎖し、探求は止まることはないのだ!

              (Jan 30/2005 記)

追伸:
コラムをはじめて2回目の新年を迎えた。
一体、誰に?向けて書くの・・・。
OBも最早や、高齢年代から20代まで・・・。
世代間の意識、ギヤップも大きい時代だ!
「分かるわかる」と相槌をうってくれる者から、「なーんだ、そんなこと・・・」
或いは「何を言ってるんだろう・・・」と意図すら理解しない?ものまで・・・。
そう思い、悩み、締め切りに追われての執筆作業もどうやら32回目! 新年も、もう2月を迎えようとしている・・・。




清水教授のデザインコラム/連載 - 31(12/25/2004)

心をとらえる「ことば」、そして「文字」と「かたち」と・・・

 いまから ここから
          みつお
 体験して 初めて身につくんだなー
                みつお

日常の中にある、何気ないことば・・・。
そして、素朴な文字。
なぜか、ひとは共感し心癒されてもいる・・・。

日曜日の夕刻、「相田みつお美術館」は案の定大勢の人出だった。
覗き込み、列を成してなかなか動かない人垣・・・。
見学者の後ろから時間に追われ、慌しく眺め通りすぎる、私・・・。
しかし、それでも「なにか」を読み、感じ取ることが出来る、そんな「文字」が並ぶ空間だった。
たまたま昨夜は、その「相田みつお」を主人公とするドラマのテレビ放映があった。
偶然だが予定の講演会と合わせて「この日」と、もうかなり前から決めていた前日のことだ。休日とも重なる。
「多分、混むだろうなァ・・・、如何にもタイミングが悪い!」
しかし、その人となりをドラマ仕立てながら知ることが出来た。グットタイミングと言うべきなのだ、そう思い直して足を伸ばした。

伝統に習い文字を書く、書道・・・。
その繰り返しに飽き足らず自らの文字を、ひたすら追い求め苦悩する若い日の相田みつお・・・。
貧しさの中にも己を信じ求める姿は、私の知る多くの芸術家に共通するもの・・・。
周辺にうず高く積み重ねられた紙片は書き損じたものだろうか?何か修行僧のようにも見える相田みつおの写真だった。
額に収められた白い紙面には子供の落書きを思わせるようなかすれた我流・創作文字が踊るように・・・。
不安に揺れる心の軌跡が「ことば」を生み、「文字のかたち」を生み出した。
その短い「ことば」はあたかも禅問答か?
親しみと素朴さ・・・。
「そう、そうなんだ・・・」と、微かにうなづく見学者の顔があった。

わたしが、その文字を見たのはどこかの店、トイレの小さなカレンダーだった。
もう随分と昔のこと、どこだったのかも忘れた。
踊る文字、「ううん!」と頷かせることばが妙に印象的だった。
トイレ、好奇心?
かすかに小学校の落書きを見るような、懐かしさだったのかも知れない。
心あらわれ、清清しい気持ちになったものだ。

相田みつおの世界観から生まれた「ことば」には、独創的な文字造形、その余白があって生かされている。
人々の素直な共感はそこにもある・・・。

・・・・・・・・・・
 師走、休日、人ごみ・・・。
有楽町駅から大型液晶画面が並ぶビックカメラ店内を抜けて会場へ向かった。
話が前後してしまったが、この日、まず訪れたのは大前研一氏、堺屋太一氏による講演会・東京国際フオーラムC会場だった。
大前氏の「激変する時代をいかに生きるか」を午前11時から、そして堺屋太一氏の「知価革命 世界と日本の次なる社会」を午後2時半から、と分けて聞く予定だったのだ。
世界の動向を捉えて発信、わが国を左右するこれまでの提言にも聞くべきものがあった著名人でもある。
顔を見、声に触れる・・・。そのグローバルな知見、語り口に触れたいと考えていたからだ。
内容は勿論、人々に向けた顔、その目配りや手の所作の一つ一つにも興味があった。
話術の巧みさ、ユウモアに生(なま)の人間性を見ることも楽しいことだったのだ。
情報が錯綜する時代でも「直接自分の目で確認することが重要なんです・・・」と海外に飛び出すフットワークの軽さ・・・。
「アメリカに600回、アジア圏には数百回・・・も出掛けました」と語った大前氏。世界規模のマッキンゼー研究所に勤務、日本支社長。その後には欧米の数大学の教授を歴任し、現在はUCLA教授、経営コンサルタントとして活躍中でもある。
そう言えば、かって盛田ソニー会長、岡本太郎(画家)らと中年の「元気印」として世のお父さんに新しい時代の「生き方」の範を示した姿も記憶にあった。
その話しは数字を挙げ、事例を挙げて我が国将来の厳しさを指摘するものだった。

また経済官僚から作家に転進した堺屋氏は元経企庁長官らしく日本経済の行方、特に2007年、2025年問題にも話が及ぶが、決して悲観的ではないことを述べられていた。
これまでの氏の著書からは「団塊の世代」、「油断」、「知価革命」などの言葉がキーワードとして時代をリードし注目されたものだった。
我が国に示唆を与えたものも多く、私自身も多くを学んだ。
私には満足。充実した講演会だった。
夕刻、4時半過ぎ・・・。
急ぎ足で東京駅よりの地階、「相田みつお美術館」へと向かった。

                        (12.23/2004 記)

・・・・・・・・・・
追記:年末雑感
あなたを待てば雨が降る、
濡れて来ぬかと気にかかる、あぁ〜ビルの谷間のティールーム・・・。
(中略)
あなたと私の合言葉・・・。
有楽町で逢いましょう〜

わたしの学生時代にもそんな歌が街に流れていた。
有楽町、ほろ苦い青春・・・。
貧しいが、しかし、ちょっぴりと「夢」を持つた時代でもあった。

時は移り、豊かさは日本人の凡てを変えてしまった、のだろうか?
先日までの「冬ソナ」騒動は今もあるのだろうか?
日韓の空港を行き来する日本人。黄色い嬌声、若い?女性軍団の姿がニュース画面に・・・。
己を求め、満たされることのなかった青春の想いを、いま求めているものだろう。
その純な心はいつの時代も、幾つ?と言われようと変わることのないもの・・・。
夫婦は寄り添うもの、「人」と言う字は2人寄り添ってなると結婚式のスピーチで何度か聞いたことがある。
しかし、年を重ね相手を知り、恋愛時代には決して見せることもなかった自分の全てを知られてしまった弱み?お互いさまの幻滅?
恋も夢も、もはや現実ではもてないと言うことだろう。

それらも報道!マスメデアによるニュース情報の効果によるものが大きい。
チヤンネルを替え、時間を変えてもその報道はある。
1つのニュースは視点を変え、繰り返されて増幅されていくバーチャル時代でもある。
人々の生き方、共感、共鳴もそこに生まれる。
天災、人災・・・。騒然とし、殺伐とした世相にも拍車がかかる・・・。
プロ野球騒動に打って出たライブドアーや楽天、ソフトバンクなどIT企業、勝ち組のニュースには、人々の中流意識を吹っ飛ばす効果があった。
年収300万では夢を追う女性の結婚の条件にもならないのかも・・・。

来年こそ、いい年になるように祈ろう!
足元から「青い鳥」が逃げ出さないように・・・。

 百円玉一つぽんと投げて手を合わす おねがいごとの多いこと
                               みつお
 しあわせはいつも 自分のこころがきめる 
                      みつお