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清水教授のデザインコラム/連載 -156(04/05/2016)

「難産の末に――やっと生まれた東京オリンピックのエンブレムだが・・・」

 ことのはじまりは、プロのデザイナーに限定し公募された104点の作品審査結果の発表からだった。盗作を疑い指摘するネット時代らしい様々な情報が噴出しはじめたのだ。
閉鎖的な審査・メンバー構成の持ち回り?次々によせられる作品摸倣の事例が、そのことに拍車をかけて白紙撤回されてしまった・・・。
その反省から「全員参加型」とした再公募、一般人や子供までが参加できるものに。神経質なまでに「公明正大」を謳い、公正を期すためにと各界・各分野から識者を選び、審査委員を21人体制としての募集だった。
その内容や質の問題はともかく、エンブレムのデザイン――案外、自分にも出来るかも・・・と、ひそかに考えた人も大勢いたのだろう。個人はもとより、仲間との共同制作、授業の一環として取り組ませたもの、制作者が連名で応募した自治体など・・・。簡単に見えただろうエンブレム、その制作に参加することの喜びと、独自性を持った創作の難しさの一端も体験したことだろう。さすがに、応募件数は前回の104点から1万4599点に。ただ、果たして、この中に我が国を代表するデザイナー、トップレベルの作品がどれほどあったのだろうかと考えている。また、それらが選考条件や知財審査によって、どれ程ふるい落とされたのだろうかと気になることでもあった。 エンブレム委員会委員の一人は、「それぞれが審査会場に入り、全作品を3点、1点、0点の3段階で評価した」と。「甲乙つけがたい作品ばかりで、簡単ではない、五輪は世界が注目するスポーツの祭典。世界から見てもすごい、格好いいと思える基準で選んだ」と、絞り込まれてくる過程での心境を述べられていたのだが・・・。
ところで公明正大だと言い、透明性に腐心したと言うが、しかし、その審査を未経験者が多様な可能性やデザインの良し悪しを判断し、審査することが出来るのだろうかと言う疑問だ。つまり、日常的にデザインを生業としている者のエンブレムデザイン、ユニークなアイデアや斬新で奇抜にもみえる発想などは、一見しただけでは理解し難いものだからだ。
専門家としての研ぎ澄まされた感性や経験、積み上げた知識によって次世代への可能性を読み取り、的確に評価しなければならないことだからだ。
この再公募の目的は、まさに、透明性に腐心したプロセスだったようにみえる。が、結果デザインの質を高めるものではなかったと言うことだ。単なる数の問題ではなく我が国のトップレベルのデザイナー、その作品の競合があってこそ胸を張り世界に発信し得るエンブレムを創ることが出来るからだ。
前回のコンペの反省は、「審査」の「公正」さ、仕組みの透明性が問題だった。プロとしてのデザイナーが「けしからん」と言う話ではなく、一部のデザイナーの馴れあい、審査が不透明で不可解、選ばれたエンブレムはオリジナリティ―を疑われるものであったと言うことだった。
依頼し、依頼されることの透明性と、依頼される側の姿勢が問題であったと言うことだろう。
とにかく、新競技場(―90億円)やエンブレム(―1億円)が同じように撤回されての税金を無駄遣いされたという国民の不満もある。また、今回の経緯に対する世界の眼がその成果に注目してもいるのだろう。
我が国のデザイン力を表すものとして、オリジナルデザインを生み出す体質と作品の質が世界的に厳しく問われてもいる。
そんな覚悟を持った作品審査のプロセスは、しかし、「最終作品のいずれもが我が国デザインのトップレベルなのだろうか?」と考えさせられるものだったように思う。
                            (2016/5.2記)
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メモ:
・難産の末にやっと生まれたエンブレム! 21人もの審査委員の感性的評価が一つになることは極めて難しいことだ。二転三転した結果なのだろうがA案に決まった。多分、基礎造形としての応用展開の可能性に思い至っての決着ではないだろうか。そのパターンの広がりについてはまさに生産的、求め究められている作家のようで深い・・・。また、モノトーンのみではなく、色彩的なバリエーシヨンもケースバイケースとして提案されているのだとか・・・。
A案:「『組市松紋』 野老朝雄(ところ あさお)氏―世界で愛され、江戸時代に市松模様、チェッカーデザインを日本の伝統色である藍色で粋に日本らしさを。
形の異なる四角形を、国や文化・思想などの違いを示すがそれらを超えてつながり合う「多様性と調和」のメッセージを込め、多様性を認め合いつながる世界を目指す」のだとか。世界に認知してもらう前に、まずは日本人としての私自身が学ばなければならないことでもあるのだろう。

・たった1個のエンブレムを決めることが、こんなにも費用と時間、人手を要することになるのか・・・。それを少し削って質の高い作品を集めるための賞金にしたら如何なものだろう、とも思う。「オリンピックエンブレムそのものの受賞が栄誉なことだから、金額ではない!」と言う。が、賞金百万円は登竜門としての若手・学生レベルの賞金だろう、と考えるからだ。

・日本人のデザインに対する意識の低さ、無知をさらしているような・・・。
何よりもデザインの品質であり、認識される誇りでもある「日本ブランド」に繋がるものだ。いかにも、「知財―デザイン」に対する評価が社会的に低いことが薄利多売?の安易な摸倣体質を生み出してもいるのでは。新国立競技場のデザイン監修料が13億円ということを考えても、また、様々な分野のコンペと比較しても1千万円でも高くはないし、もっと高いレベルの作品を含めた数万人の応募があったろうとも想像される。(多すぎても審査が大変だろうが、光るものが数点あれば見出すのは容易だろう。新国立競技場の応募は2点のみ・・・)

・エンブレムの実践、応用などの具現化は専門領域以外の知識では分からないこと、経験あるプロの意見に左右されてしまうはずだ。だから、「デザインに詳しい者が公明正大に審査をし、議論をつくして選ぶべきだろう」と言う意見も多いようだ。

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