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清水教授のデザインコラム/連載 - 131(06/01/2014)

自分流に、「何かを発見したい!」と・・・・

 その絵が気になり始めたのはもうかなり前のこと・・・。
強烈な絵だった!「これ富士山・・・? まるでパッチワークのようでは・・・」
画家の名前も知らなかった。
兎に角、特定、不特定の相手がいて正確に理解してもらえるように描くことを強いられ、学んでもきたデザインとは目指すところが対極と思えるもの。しかし、だからこそ私には気になる絵ではあったのだ。その画家が片岡球子さん・・・。   
女子美術を卒業し院展に入選したのは、昭和5年、25歳の時。入選作「枇杷の木」は、日本画らしい写実的なもので、果実の質感や葉の葉脈までも細密に描かれ、対象に迫るものがあったと言われている。現在のダイナミックなスタイルからは想像し難い静かな画風だったと。しかし、彼女の「自分流」への試みは、当時の院展の優美さ洗練された表現の日本画壇には認められることはなかった。試練は秋の院展の落選にはじまる・・・。5年も続くと、「落選の神様」と陰口されることも。技量や繊細さも、まだまだ足りないものがあったのだろうとも想像もされることだが・・・。「知人と眼が会うのを避け、死にたいとすら思ったことも・・・」と、述懐する。
苦悶しながらも自分のスタイルを貫こうとする彼女を救ったのは、師と仰ぐ小林古径だった。「今のあなたの絵はゲテモノ!しかし、ゲテモノと本物とは紙一重の差、あなたはそのゲテモノを捨ててはいけません。自分の主義主張を変えず、自分の絵にゲロが出るほど描き続けなさい。そのうちに嫌になっても来るでしょう。が、その時からあなたの絵は変わり、はっと気づく発見があるでしょう」と。
そのアドバイスを信じてがむしゃらに「自分流」を求め、挑戦を続ける。
昭和27年の院展、最高賞と言われる「大観賞」を受賞。初入選から22年が過ぎていた。喜びを噛みしめていた時、その大観からその後の人生を方向付ける言葉をもらう。
師は近くの皿を手にとり、指ではじいて音を聞かせると、「この音が描けるようにならねば一流の絵描きとは言えない、『賞』など、たいしたことではないんだよ!」と。

片岡球子さんがその後のテーマ「富士山」に出合うことになったのは、60歳を過ぎてから。当代の巨匠・横山大観のモチーフでもある「富士山」。
「なんとか描けるんでは、と取り組んだモチーフ・・・。しかし、すぐにその厳しさ難しさがわかった!」と語っている。
「富士山の顔を描くんだけど、それ『ボク』ではないよって、すぐに否定される・・・。
だから、また描くことになるんです」と、富士山と対峙する。
また、「絵の具を指につけて、描いていくわけです。そうすると、迫力が出るんですよね。じかに富士山に触れているような感じがするんですね。私はそう思ってんの・・・」と。富士を前に見据える山中で、マジックペンによる大胆で荒々しいデッサンも魅力的だ。「受け入れられなくてもよい、描きたいものを描きたいように描く」と。
「何かを発見したい」「描く方法であれ、人物の捉え方、内容の深さなど何でもよい・・・」と求め続ける。まるでパッチワークのような、あのスタイル・・・。「強烈で大胆な造形や色彩、そして技法の「球子流」だったのだ。
昭和57年には日本芸術院会員、平成元年には文化勲章を受章している。
その「自分流」を求める波乱の生涯(103歳)。貫く意欲的な創作活動は、私の領域に囚われず示唆されること、学ぶべきことは多い。
(2014/1・3記)
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メモ:
美しく壮麗な山々の姿には心洗われるものがある。とくに富士山は古くから日本の多くの絵師や画家、巨匠と言われる人たちによっても挑み描き続けられてもきた山・・・。その姿は崇高であり、日本人の精神性の象徴として捉えられて数千、数万とも言われる富士の絵を見ることになる。だからこそ私如きが描くことを躊躇させたモチーフだったのだが・・・。世界文化遺産に登録されたという切っ掛けもあったが、あの強烈な絵に触発されて恐る恐るだが「自分流」を求めて描いてみたい、と思わせてくれたと言うのが動機としては本音だろう。
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景色や事物をありのままに写し描く、いわゆる写実絵のスタイルはルネッサンス以降に確立している。 しかし、時を経るにしたがって、そのスタイルは大きく変わる。伝統的な理論や技法を習得しながらも自らの表現は定型を否定すること、或は次なる表現の可能性に挑戦する・・・。それらが相互に影響しあうことになるとキュビズムや表現主義、印象派、フオービズムを生み、さらに、 ダダイズムや超現実主義、幾何学的抽象、抒情的抽象などというそれぞれの理論と美意識を引き継ぐグループになり、様々に分化した表現主義を作り出しているのだといえる。我が国においても、幕末から明治期にかけての西洋諸国の異質の情報は、憧れともなって画家の感性を触発し続けてもいる。