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コラム創造力の根っこ」VoL.9(12/29/2009)

                      鈴木淳平(株式会社ジェダイ代表)

第六感の「融合情報処理」から創造力に必要な「独創性」は生まれます。 

 人は生まれるとき人間としてフォーマットされています。
人生の道筋を定めるテンプレートはありません。
いつの時代にも世襲制はありますが、それに頼らず、生きる力の源である頭、心、魂を活用して自身で生きていかなければ人生とは言えません。
人生とは?の問に、ある人は「独創性ある創造」そのものだと答えそうです。
独創性ある創造は、「個性」を表す自分”流”、”的”、”風”など人それぞれの「創造力の根っこ」である脳を、第六感の想像力で活性化させることだと想います。
本人の努力とセンスが個体としての独創性・オリジナリティを高め、歩むべき道を照らし年輪を重ねていくことが人生です。
独創性は重要な役割を果たす第六感の「融合情報処理」による個体差の個性によってつくられるのは普遍的常識です。

 外部からの刺激情報は同じでも五感そのものの感度と脳の中の電子レベルでのエネルギー作用による認識と記憶処理に個体である個人差があります。
それぞれの脳によって感じ方の違いと記憶がそれをもの語っています。努力次第で感じ方も記憶量も進化し、独創性を増すのが人の脳のはずです。
「ケイタイ」を第六感と思う世代にとっても、刺激情報は五感を通して第六感によって頭の中でピンとはじけるように閃(ひらめ)き、何かのヒントになります。閃いたヒントなどを融合情報処理と名付けます。
第六感のインスピレーション・直感が発揮されイマジネーションの力で、融合情報処理された「夢」や、イメージ・映像が脳の中に浮かび上がります。
夢・イメージは「アイディア」「ビジョン」として個体差による表現物の共通言語化・ビジュアライズされる前で、世に産声をあげる前段階です。
融合情報処理された夢・イメージは、まだ頭の中にしかありません。

 人に自分の頭の中にある融合情報処理された情報を伝えようとするとき、「考える」「考えている」「考えときます」は都合の良い言葉です。しかし会話の中で「考える」と言葉表現する頭の中では、融合情報処理されたイメージ・映像などは浮かび上がっていても、その情報に妥当な言葉の表現方法を選んでいる最中か、検索中か、まだ理解できなく相手が伝えようとしている融合情報処理されたイメージ・映像が共有できていない、浮かんでいない段階のことか、普段、人はこの状態を、その場しのぎ的に「考える」と言っていると感じます。
融合情報処理された夢・イメージ・映像を互いに認識・共有するのは、たやすくはなく、条件反射でとっさに「考える」と言葉で表現してしまうのでしょう。

 脳は表面に直角な所が無く、それと同じで「直角思考」の理路整然としたとは言えない「考える」などの理屈では語れない化学変化を起こす場所なのです。
人によっては相手の言いたいことを相手が言葉にする前に感覚で、勘でその内容を第六感によって認識することができます。
これは相手の脳に自分の脳をシンクロさせる、波動を同調させる能力が自然に備わっている人か、訓練で身につけた人のことだと想います。
このような人が周りに沢山、あるいは数人いれば個人の融合情報処理である夢・イメージを共有して異才能集団による共同作業の「息の合った」表現物が生まれることになります。
相手への理解を求めるため共通言語化するにあたり第六感によって、他人や相手に、わかりやすくする工夫や、共鳴してもらえるようにしたり、理解を得ようと説得力をもたせたり、キメ細かい心遣いなどをイメージします。
ピンと閃いて融合情報処理によって「これなら理解してもらえる」「これなら分かるだろう」と人間としてのフォーマットである「人間の尊厳と、人間に対する敬意」のプログラムが作動し表現物が生まれる瞬間です。
そして人と人とが分かり合える情報をお互いに共有できるようになります。
人が人間と漢字で書かれる理由がここにあります。
感動や連帯感が自然発生し、波動が共鳴し、独りではない温かみを感じ、感激と至福のひと時を味わえる表現物が生まれていきます。

 融合情報処理をする第六感の解明を科学者や大脳生理学者たちは理論的に解明しようとアプローチしています、縦割り的な専門学会とは別に広く異業種交流のようなスタイルでヒントをつかみ、真実に迫れると常々感じています。
「志せば」得たい情報、欲しい情報は向こうから飛び込んでくるものです。
科学的手法で仮説をたてるよりも、第六感の能力を伸ばす方が、第六感を解明できるかもしれないという、逆説が成り立つと想うのが第六感でしょうか。

 創造を受け入れる側のその他大勢と、創造する側の個人や異才能集団とに分けず、時には創造する側に、時には創造を受け入れる側のその他大勢に、同一人物が場面、場面によって立場を変えることで人間の創造する“こと”や“もの”が、融合情報処理が無数に起こるのです。
多くの人が融合情報処理された成果物を共有し多くの人間に支持され語り継がれるからこそ表現物が時代を超え生き続けます。
そうでなければ過去の偉大な芸術家や創造者、クリエーターたちの“独創性”あふれる個性的な作品、表現物が人類史、文化史に残るはずが無いからです。

しかし自然や宇宙の法則には人間の理解を超えた真実があります。
それを受け入れられる謙虚な人間として第六感を養い続けることが求められます。