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コラム「創造力の根っこ」VoL.61 (01/05/2014)

「見る力」を養う                        鈴木淳平

 人生を春夏秋冬に例えればどの季節に生まれたでしょう?正解は〔冬〕です。
冬に生まれ、実りの秋で人生を全うすると中国古典は教えています。
中心が凹む臼の外側からルーレットのように渦を描き徐々に加速し吸い込まれるのに似た忙しい21世紀にこそ改めて念頭に置くべき先人の教えと感じます。

冬に生まれた種は、自分の将来を想い描き進むべき道を学習や知識を吸収しながら20歳くらいまで暗い土の中で保護されながら発芽し成長に必要な水や養分を吸い上げる〔根っこ〕を生やし将来なりたい自分探しの準備をします。
春に育つ若葉は、地表に葉を出し住む世界が太陽の光と熱の恩恵を受け見え始め、明るく見える地上の社会にデビューをはたす季節で、多くの人が就職することに呼応し40歳ころまで実力をつけながら自分探しと成長を続けます。
夏に実る果実は、自分の将来の成功や人によって異なる夢を社会の中で実績という花を咲かせ実をつけ成果を60歳ころまでの20年間に達成し夢を叶え結実させる、実りの季節で自分探しの答えを得られるようにします。
秋に収穫する成果は、自分の選んだ道に結実させた実を共に苦労してきた周りの人や社会と80歳ころまでに実を味わいその美味さと満足感を〔分かち合う〕喜びが人生だと、後悔なく生きたと、実感しその後、自分探しの旅を終えます。
どの季節(人生)にも常に「見る力」がポジティブな作用を誘引します。
せっかちな現代からは、のんびりのどかな人生論に感じる人も多そうです。
それでも、道理です。(道理とは、人が成長するあるべき道筋、正しい道です)

0歳から20歳位までは、家の躾と学校へ通う学習で可能性と将来の選択肢が広がっていると教わりますが絞込み意思決定するプロセスは教えてくれません。
20歳から40歳位までに人生目標を決め立命で叶うと解釈できる一方、就職難や貧富の差、独り立ちできない社会環境・社会問題に直面します。
40歳から60歳までは、目標に向かい枝葉、幹を成長させ花を咲かせ実を成果させ、実績を築く時期でありながら皆が成功者になれるとは限りません。
60歳から80歳で花から結実した実を、苦労を共にした周りの人、社会と分け合う喜びを〔実をもって〕実感する反面、孤立・孤独が想定されています。
どの季節にも常に「見えている」だけではネガティブな作用が連鎖します。
栄養が行き渡った食生活と飛躍的に医療が進歩したおかげで、春夏秋冬の人生哲学は60歳、20世紀末に80歳を4等分し、21世紀は100歳とすれば1季節を25年スパンと改め75歳まで働ける脆弱な社会状況と見ても良さそうです。

〔三つ子の魂百まで〕
幼い時の性質は老年まで変わらない→幼い時の教育は老年まで忘れない
幼い時期に、ピアノ、バレエ、ゴルフ、フィギアスケートなど特化した教育を受けさせ早咲きのように10代で社会にデビューする人が増えています。
英才教育
優れた知的能力をもつ子どもへの特別な教育である英才教育や、芸能面ですぐれた能力・遺伝をもつ子どもへの才能教育など、冬に種として自身で将来を描くのではなく親御さんや周りから人生目標を定められ、その道を受け入れざるを得ない子ども(本人の良し悪しは別に)がまい進する姿と、普通に躾と教育を受けた子ども本人が人生の目標や進むべき道を決めてまい進する姿とでは、実感する季節のターム(term=期間)が異なってきている現実もあります。

いずれにせよ、20歳までの冬の季節は、勉学にいそしむ努力と強い意志が個人に求められますが、一方で若気の至りゆえ怖いもの見たさの好奇心と大人たちも含めた誘惑の多さ、周囲の意見に目や耳を傾け過ぎ受動的な〔見えている目〕だけになるのは、主体性の〔見る力〕が欠けているからで、冬に限らず一生を通じ、個と集団、社会の対峙から生じる〔葛藤〕に常に翻弄されているからです。

〔見ようとする目〕をもつ人になる
多くの人が〔見えている目〕、模様眺めしているような目、常に受け身で主体性を問われるのは〔見ようとする目〕をもつことを何よりも大切と教わらないからです。
〔見ようとする目〕をもてば、見えてくるものは変わり自覚と覚醒に作用します。

生まれたてに近い年齢で英才教育、才能教育を受ける子どもも、自ら進路を意思決定する子どもも、春夏秋冬を生きる人生哲学においても、〔見ようとする目〕、〔活眼(かつがん)〕がその人の人生を大きく変えることは間違いなさそうです。
〔見ようとする目〕をもった人の目つきには光輝くものを多くの人が感じます。
流行った〔めぢから〕を漢字変換すれば眼力(がんりき)ではなく〔目力〕になり、間違いなく目つきに何かを追い求める主体性を感じさせ、それを眼力と言い、主体的には活眼でありそれを見える他人には客観的な眼力(目力:めぢから)として映るのかもしれません。

「見る力」を養うには〔見ようとする目〕を自身が意識することにほかなりません。
〔見ようとする目〕を意識すれば、心の目は拓かれ同時に心の目を見開き本当の根本の「見る力」である形而上学(けいじじょうがく)的な本質や何が問題なのかが見えてくれば本物といえるでしょう。
日芸の目をシンボライズしたのも「見る力」を裏付けています。
見えてきたものを脳が想像力をはたらかせ化学変化させ具現化、顕在化の創造力に活かすことで世の中に貢献する成果物が存在することになります。
無から有に創造力が発揮できるようにする力の根本の一つが〔見る力〕であり、〔見る力〕は、五感を通して変化する〔創造力の根っこ〕の一つです。
〔想像力の根っこ〕は同時に〔創造力の根っこ〕に成長・必然するのです。