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コラム「創造力の根っこ」VoL.43(11/01/2012)

『おばけ屋敷』の復活・ゲーム時代−〔自発〕4             鈴木淳平

 ゲームデザインから商品企画、量産(生産)、おもちゃ売り場で自分の作った商品を持ってお客様に説明をしながら商品を買ってもらう経験は、次につながる企画の種・ソース・ヒントを得ることにつながります。
何を企画すれば売れるか答えは売り場(消費者)が教えてくれます。
「売れる商品(企画)は会社の机の上に無く、売り場に有る」を実感させます。

『ドラキュラゲーム』、『JALパック世界一周旅行ゲーム』を春休みが終わり全国のデパートのおもちゃ売り場やおもちゃ専門店で客足がまばらになった4月中旬(1980年)に全国同時発売されました。

「助勤できますか?」
聞き慣れないJOKIN(じょきん)という言葉を最初に耳にしたのは、卒業制作真只中の12月(1976年)初旬辺りでした。採用内定していたバンダイから朝、電話が自宅にあり寝不足も手伝ってか、聞き取りにくく感じた「じょきん…」、クリスマス間近なので百貨店でおもちゃを売る手伝いできますか?助勤できますか?という問い合わせに、勿論、怖いものしらずの学生の身分、今は真似してほしくない「卒業制作で時間が取れません」とお断りをしたのを憶い出します。
『ドラキュラゲーム』を助勤で売る
1980年、GW(ゴールデン・ウィーク)に上野松坂屋(デパート)のおもちゃ売り場に立ち、『ドラキュラゲーム』を手に持って、お客様にアピールしながら一枚でも多く売ることを目標にした助勤でした。
自分で作ったゲームなのでセールストークは、何が面白いか、楽しいのか、子ども連れのお客様に説得力ある説明をしながら子どもが欲しがる目線を、財布を持つ親御さんに向ければ、ほぼ期待した結果が得られます。
(買うのを決めるのは子どもで、お金は大人が払うのがおもちゃ業界の常です)
功を奏し松坂屋に入荷した2ダース(24枚)を完売し、達成感と充実感を味わい立ち続けだった疲労を忘れさせるほど熱心に助勤した結果でした。
『ドラキュラゲーム』は男の子に人氣があり売れました、『JALパック世界一周旅行ゲーム』は女の子が買い、その比率は2:1の割合だったと記憶します。

助勤は入社年数の若い新人ほど年間を通して、貴重な休み(当時、週休は日曜だけです)や連休に売り場に立って助勤する慣わしでした。
役職者は売り場に立たず最寄りの売り場を数軒巡回するのが役目です。
部門の違う宣伝部長に柱の陰から『ドラキュラゲーム』を熱心に売る姿を見られていたのが印象に残りました。
GW明けの商品売れ行き動向会議では、『ドラキュラゲーム』が松坂屋に限らず各地で売れた報告がされ追加生産の決定とテレビ宣伝の話がもちあがり実行されました。熱心に売る姿を見てくれた結果なのかと驚き、どこで誰に見られているか分からない恐ろしさと、やるべきことをやれば報われることを学びました。
テレビ宣伝の理由は「売れる物をさらに多く売る」
GWの実績がテレビ宣伝を決定し、夏休み(盆休み)により多く売る策として『ドラキュラゲーム』をメインにCF(コマーシャル・フィルム)制作され、おまけで『JALパック世界一周旅行ゲーム』がブラサガリました。
夏場に売れた数の3倍が、クリスマス・年末・正月に売れる数とされていました。
企画で判断せず市場に出して売れ行きを判断し、「売れる物をさらに多く売る」は、リスク回避でき今思えば賢い宣伝販促の格言と感じます。

夏休みの電話質問攻め、苦情係のような電話応対の日々
『ドラキュラゲーム』を買って遊んでいる子どもや親御さんから毎日のように会社に電話がかかり一日の仕事のほとんどを『ドラキュラゲーム』のルール説明と遊び方を電話口で汗をかきながら説明に苦慮していた日々が続き、特に子どもたちの夏休みは、ひっきりなしでした。
社内でゲームルールを説明出来る人がいない不思議を経験しながら、会社で一番電話のかかってくる〔苦情係〕のような人として有名になっていました。

『ドラキュラゲーム』が売れた理由
前述の1980年というバブル時代に突入し、作れば売れると言われた時代と、遊んでアンケート回答してきた10歳前後の子どもたちが圧倒的に多く、1世代平均200万人(現在20歳以下の1世代あたりの出生数は約120万人前後)、4世代約800万人の団塊ジュニアのおかげだったとする分析になります。
 作り手としては、商品内容に目を向けがちですが冷静に市場分析をすることが、次の商品作りに役立つのは言うまでもありません。
あえて言ば、このボードゲームのカテゴリーで新規性として今までの偶然性に頼るサイコロ・ルーレットのゲーム進行から、自分の意思でゲーム進行できるカードゲームにしたことが子どもたちを惹きつけた要因だと感じます。
RPG(ロール・プレイング・ゲーム)が米国で時を同じくして流行りはじめていたことも付け加えておきたいと思います。
反省点
『ドラキュラゲーム』を商品化し発売できたのは偶然の産物でビギナーズ・ラックでしたが、連日の電話応対はゲーム完成度を問われた最大の反省点でした。
単純ルールで面白いゲームを創れればと、ゲームの本質を悟らされました。

子どもたちと電話応対しながら想像力の根っこが刺激され始めていました。
アンケート集計で子どもたちのダイレクトな声が、おばけ屋敷に集約されつつあったからです。
(『おばけ屋敷ゲーム』商品化につづく)