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コラム創造力の根っこ」VoL.25(05/02/2011)

                                鈴木淳平
印象派からMANGA派へ  

 絵画と音楽で一世を風靡した根強い人氣の19世紀末、「印象派」の時代。
「浮世絵」がヨーロッパ文化に斬新な刺激を与えたと誇らしげに印象派の美術史と音楽史を語らせた20世紀から21世紀初頭。
西洋絵画の主流から見て「浮世絵」はまさにエポックメーキングな出来事であり西洋絵画のマンネリズムからさらにデカダンへと進んでいったイメージがヨーロッパを覆いはじめていた頃、当時の画家たちの誰もが待ち望んだ斬新な構図と淡白な平坦な描法に鮮明な色使い(残存する資料では色あせたものが多いなか、最近では海外でコレクションされた作品の保存状況と分析を科学的に検証した結果かなり色鮮やかなものが多かったと判明しています)。
音楽ではドビュッシーがワーグナーの影響を受けつつ、「浮世絵」的な音楽を残し、絵画では自宅の庭にある睡蓮の池や日本風の橋などをモチーフに絵画を残した画家モネなど、「浮世絵」の影響力の大きさを今も知ることが出来ます。
印象派に影響を与えた「浮世絵」の存在がテレビなどでも散々取り上げられ日本人の美意識に対する評価が世界的に高かいことを浮き彫りにしています。

世界の若者を虜にした日本の「マンガ」、「アニメ」ブーム現象も、1世紀をへだて「浮世絵」と同様のムーブメントが20世紀末から21世紀初頭に起きています。
1世紀間隔で情報伝達からの美術史をみると19世紀から20世紀にかけてのフランスを中心にした「印象派」はパリ博覧会の展示会による情報開示でした。
20世紀から21世紀にかけては文明が進歩した分、マンガ出版からアニメーションとして世界各国のテレビで日本アニメが放送され人気を得るようになりマスメディアの情報大量発信の影響が大きくなりました。
マスメディアの技術発展と能力向上で影響力を増したおかげですが、今や個人で情報発信できるYouTubeでメディアをもてる新時代にもなりました。

YouTubeの普及が、日本発の「マンガ」や「アニメ」を「著作権保護」(権利保護)に悩まされながら一方で広く世界告知したいという権利者の思いとのジレンマを浮き彫りにしながら確実に広まるキッカケになったことは間違いありません。
いち早く世界へリアルタイムな日本のアニメやマンガを知ってもらおうと個人が配信したことで【権利保護】の問題となるまで普及した状態まで発展したのです。
YouTubeで世界配信する若きネット少年・少女たちは、生まれたときからパソコンで育ち、パソコンに対するストレスの無いデジタル・ネィティブ世代なのです。

YouTubeによって世界デビューできる芸術家・表現者は確実に増えました。
プロと素人の境目のない世界が情報化社会によってもたらされました。

「マンガ」、「アニメ」は情報処理が加速度的に向上した結果、半世紀か四半世紀後の世界の美術史や文化史で「浮世絵」と同じように回想され語られるようになるのではと期待が膨らみます。
その頃には日本が世界に影響を与えた「MANGA派」の時代だったと今を振り返り、芸術分野の世界的流れを指摘する学者が多数を占めることになるのかもしれません。
メディアとしてのYouTubeも総合芸術の在り方を大きく変えた要素の一つです。ひとりでいくつものソフトをあやつれば「異才能集団」が創り出す映画など複合アートをこなせてしまう時代なのです。YouTubeは手段ですがチャップリンやワグナーのように一人で多機能をこなせるマルチプレヤーが続々と誕生する氣配を感じ取ることも出来ます。
YouTubeは電子技術の発達でコンピューターが普及し、記録媒体として未来へ残す貴重な“グローバリゼーション化”のムーブメントとして波に乗ったツールとして、メディアとしての役目に多大な貢献をしています。

ソフトウェアとしては「MANGA」から始まったアニメーション、特撮など日本がその発信源であることは揺るぎ無いものです。実際はアメリカ文化に圧倒的な刺激を受けた戦後の若者たちが漫画ブームの火付け役となり日本の戦後復興の文化史を彩ることから始まりました。そしてテレビ放送が始まりコンテンツ不足からアメリカのアニメがお茶の間を賑わせ創造力を描きたてられた漫画家たちとテレビの努力で和製アニメへと連綿とうけつがれ60年近くたった今に至ります。

21世紀初頭より「アニメーション」と「ジャパン」を組み合わせた和製英語「ジャパニメーション」などの造語も街で聞かれましたが、礎になった「MANGA」の地位を奪うことは出来ませんでした。パリでもアメリカでも「MANGA SHOP」が基本に展開と広がりをみせています。
AKIBA(秋葉原)も世界標準語になりMANGAの情報発信源のように日本のメディアも取り上げることが珍しくなくなりました。
1世紀の歳月を経て、ハードとしてもメディアのありかたも芸術やアートの世界も様代わりしてしまったのです。
100年の時空を超え同じく世紀の変わり目に、日本のマンガやアニメのアートが世界的な影響を与えたということになりそうです。

マンガやアニメはアートでは無い?「浮世絵」はアートだったのでしょうか?

歴史が決めることかもしれませんが、とかく権威をかざす人々には新しい流れは受け入れがたくライブ状態のものを認めたがらない傾向が続いているのも前世紀の遺物と同じで進化を嫌う保守的な人々の理屈でしかないことを歴史が逆説的に証明することでしょう。
印象派からMANGA派へが楽しみな21世紀です。