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コラム創造力の根っこ」VoL.23(03/01/2011)

                                鈴木淳平
「多様性に富むマスメディアの落とし穴」           

 紀元前、石や粘度、獣の革、パピルスなど人類と共にメディアが誕生。
15世紀、グーテンベルク発明の活字印刷で、マスメディアの〈紙媒体〉が誕生。
20世紀、第二次世界大戦前にマスメディアの〈電波媒体〉のラジオが誕生。
20世紀、第二次世界大戦後にマスメディアの〈波媒体〉のテレビが誕生。
21世紀の今年、地上デジタル放送でテレビは〈粒媒体〉に生まれ変わります。
今も混在しながら、想い思いの情報伝達がされ、まさに多様性の時代です。

メディアを創造した人類は、永遠のテーマである〈個と集団〉による葛藤に悩まされることで意思疎通をはかるコミュニケーションの道具として媒体・メディアが必要不可欠でした。人類誕生の初期段階では生活の営みも半径数十キロから、時間をかけて数百キロくらいの情報伝達メディアの創造が文明の限界でした。
人類の増加と共に同じ情報を大量に伝達することが求められ必要になったことから、印刷機から文明の発達と共にラジオ・テレビなどの“情報流通”へと進歩してきたのです。

一方通行の片側からの情報流通マスメディアだったのです。

テレビが地上デジタル放送になることでインターネットやYouTube、facebookなどに代表されるデジタル社会では当たり前な〈双方向の情報流通〉のマスメディアに様変わりする幕開けとなる今年です。
芸術を学んだ多くの人たちが社会人として多様性に富んだ社会に羽ばたき活躍するステージの一つとしてマスメディアで〈創造力の根っこ〉を活かせるようになったのもマスメディアの進歩・発達が、多様な職種を必要としたからです。

そのマスメディアに対して時代は、かなり厳しい現実を突きつけています。

テレビを例にとれば一体何チャンネルあるのでしょうか、公共放送に地上波の民放、ケーブルテレビ、衛星波のBS,CSなどそれぞれに地上波各社が参入して数百チャンネルになっています。視聴者からすれば契約料を払えば選びたい放題ですが、その半面、選局するにも多すぎ一苦労な環境になってしまいました。
 多様化する個人の個性に応じて多岐に渡った結果でもありマスメディアにとっても喜ぶべきことでもありますが、昔のように同じ番組を観て共通話題として話しがはずんだり、通じることがなくなりつつある時代にもなりました。
核家族化して生活も個人主義で人とつながる機会も減り、ケイタイでテレビも観れて、みんなで一緒に観るという行為は、減少の傾向を辿りまれになってきたことで社会問題の“無縁社会”になる容認の一つともいえます。
マスメディア側からすれば数百チャンネルある番組・コンテンツを誰かしら観てくれることになるわけです。
 数百チャンネル分のコンテンツを制作するにはそれ相応の人たちの助けが必要ですし、そうでないと番組はつくれません。
童話のような動物でも無い鳥でも無い、文科系でも理科系でも無い立場の〈創造力の根っこ〉をもった芸術系の人たちには、初期段階で職業も職場も選びたい放題のマスメディア業界に感じるはずです。

視聴者の立場をもう一度想い浮かべると、つながりも希薄な〈無縁社会〉と言われ共通話題になるほど同じテレビ番組を観てなさそうで、マスメディア側のテレビ局からすれば視聴率をかせげない環境になっていそうです。
現実はどうでしょうか?数百もあるチャンネルにそれぞれ品質の高い番組・コンテンツを投入しようにも提供料を払ってくれるスポンサーも経費節減でそう簡単には予算の都合もあり、コストを出さなくなってきているのが現状です。

各局は〈売れているタレント〉や〈お笑い〉系を起用して視聴率を稼ごうとしますが結果はどこも同じような番組創りで視聴者離れが激しくなり手詰まりになります。ならばと、YouTubeの投稿動画をアクセス数の多い順に各局が取り上げて流せば「あれっ、この前観たよ、これ」となってしまいます。
今やテレビ局はテレビ通販会社に様変わりしそうな勢いで本来のマスメディアの使命や社会的責任を果たせなくなってきた状況であることはテレビ番組を観れば明らかです。

決定的なのは、人間一人の一日は、誰にも換えなられない24時間です。
マスメディアのテレビを観る時間は長くても平均2,3時間位でしょうか。
その限られた時間を数百チャンネルで視聴者争奪戦を繰り広げれば間違いなく視聴率を語れるほどのコンテンツは限られてしまうのが自明の理なはずです。
追い討ちはスマートフォンやパソコンのデジタル・ネット社会が創り出すフレキシブルで多様性に富んだコンテンツが地球規模で広がりを魅せていることです。

マスメディアが発信源のテレビと、個人の才能が発信源のネットの差です。

これ等が地上デジタル化を目前にして数百もあるチャンネルを運営する各テレビ局の〈多様性に富むマスメディアの落とし穴〉となっているのです。
多様性あるマスメディアに想えても、錯覚で根拠の無い喜びを自ら見出していただけのことに感じてくるはずです。
番組制作に必要な〈創造力の根っこ〉から芽吹く発想やアイディアが枯渇してくることにもなっています。
芽吹くために必要な養分とは?