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コラム創造力の根っこ」VoL.22(01/31/2011)

                                鈴木淳平

「多様性とクリエーター」

「生物の多様性」がにぎやかに報道されています。
同じく脳の中の「多様性」を語ることで脚光を浴びる21世紀でもあります。
脳の専門家が普通にテレビに出演して脳を語る時代です。
東洋哲学では当たり前のことが今さらながら話題になっています。
日本人の中には自分が欧米人だと想う人が増えているのかもしれません。

漫画やアニメーションでは「多様性」の時代を超えバランスを欠いた過当競争と、手がけていない題材は無いといわれるくらい、この多様性という言葉にリンクしたかのような環境が開花期の20世紀後半から続いています。
多様性はさらにもっと深化し、細分化しそこからまた多義にわたる根っこのように、「外伝」など含め膨らんだ世界までビジネスとして成功しています。

脳の働きによる創造性は科学を超えているといっても過言ではありません。
科学が及ばない所に漫画家の漫画家たるゆえんの果てしない好奇心と観察力と欲望がその作品に込められているからです。
読者、視聴者側からみても多様性の言葉のとおりマンガやアニメに求めるテーマは多義にわたり要求し参加意識も芽生えるようになっています。
雑誌などの連載ものでは編集部が毎週のように読者アンケートのリクエストや意見を受けいれ漫画家先生に方向性を修正させたりして人気を確実なものにしようとデジタル化時代を先取りした「双方向型コミュニケーション」をはるか前から実践してわけです。
昔で言えば学園もの、スポ根もの、ロボットもの、魔法ものなどそれでも結構多義ですがケイタイの発達と共にB.L(ボーイズ・ラヴ),G.L(ガールズ・ラヴ)、大人ガールズ、大人メンズなど細分化されすべてを知ることに意味すら感じないほど氾濫したことで確実に日本を代表する文化となりました。
秋葉原を拠点にAKB48が芸能界でもダントツの人氣をさらうなど勢いは留まることをしりません。そんなAKB48のファンに「誰が好き?」と聞けば「D.D」と答える男子もいるとか。答えは「誰でも大好き」だそうで何とも漫画的センスです。

工業デザインやその他の創造分野で脳の中の無限の可能性を引き出し、どこまで画期的にそれを具現化、顕在化できているでしょうか。
技術の限界が見え隠れしているのです。
テレビ番組のエンディングに芸能人が言う「美術さん」の「美術」担当の名前もその項目も姿を消し始めているのに氣づいているでしょうか。
かつての映画も含め大道具・小道具を主に担当していた美術関連の会社や担当は影を狭め姿すら見えなくなりつつあります。
代わってコンピューター・グラフィックスでその背景やシチュエーションに必要な造作物を補える技術革新に近い発展が総合芸術の分野を様変わりさせました。
異才能集団のそれぞれを担う専門分野が代わってきているのです。
脳の中で想い描いたものが物理的なリスク無しで、そのCGのフェイクを画面いっぱいに映し出すことができるようになって観る側には「リアル」になるからです。

ひるがえって脳の中をもう一度想い起せば漫画やアニメに代表されるように自由な発想で、想いつく限りの想像物を創造できているのです。
マンガの2次元に音と時間を加えた4次元のアニメに、過去最高興行収益を塗り替えた3D映画「アバター」を含め、任天堂や家電メーカーの一部が「裸眼」で3D映像を観れる機器まで商品化できるくらい技術による多様性の可能性を見せています。自由な発想が工学分野のデザインでも求められていることが理解できます。進化する21世紀であり時代にあったデザイン・創造が費用なのです。

進化は脳の中の多様性というべき当たり前のことで東洋哲学でもあります。
前代未聞でもあり技術革新が過去の経験法則を引き継がなくとも脳とダイレクトにリンクした五感にストレス無くIN・OUTを可能にした者は、専門家や有識者の「お墨付き」をもらわなくとも、世界中に味方がいることを知る時代なのです。
専門家や有識者といわれる人々が、評論に走るのは自身の理解を超えたところに、もう少しいえば人類の目まぐるしい技術革新による進歩に追いつけないでいることを逆説的に裏付けているのです。
創造を知識や過去の経験で判断するのはあまりにも危険な時代になりつつあります。創造の進歩を、過去に引きずり戻し遅らせるようとする動きに感じます。
それはストレスです。脳にある自由でたぐい希な発想をダイレクトに、自信を持って自分以外の社会にその価値を問うて、正しい評価を自身で実感できる時代なのだと理解し認めることが寛容だと「創造力の根っこ」が囁くことでしょう。

クリエーターを目指す人はその技術革新の波に上手く乗ってサーフィーンでもするかのように軽快な動きで自分にあったソフトやアプリケーションを選び脳に湧き出た想像を具現化、顕在化させる創造の表現活動を楽しめるのです。
工学におけるデザインも、美術におけるデザインも脳の中で起こる五感センサーからのIN情報を第六感の化学変化でシッカリとOUTさせ表現できれば、そこにはオリジナリティあふれる表現物が目に飛び込んでくるのです。技術がデザインに影
響を与えるのか、デザインが技術に影響を与えるのか、
議論の余地はありません。両方なのです。それが脳の多様性とクリーターの答えでもあり「創造力の根っこ」が求めるものです。