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コラム創造力の根っこ」VoL.20(12/01/2010)

                      鈴木淳平(株式会社ジェダイ代表)

「発想の具現化!?」

大きな戦艦が蘇生され宇宙に飛び発ち地球を救おうとする。
宇宙で新米パイロットの入ったロボット同士が戦う。
ポケットから欲しいものを何でも取り出せる。
小型原子力で空を飛べるロボットが悪と戦う。
メカ系ロボから生態系ロボへと流れを変えさせた福音。
テレビコマーシャルやテレビ番組で大々的に映画の宣伝を繰り返すケースはかつて無かったのではと憶えるほどの冒頭の『宇宙戦艦ヤマト』。
 豪華キャストの顔ぶれは今や人気も実力もトップランナーの人たちばかりで申し分無し。前評判も上々。しかしCFを観て氣になりました。
表現者にとって大切であり重要な、<リアリティ>と<らしさ>ことです。
巨大な戦艦の主砲がプラモデルのようなスケール感で回転するシーン。
眠りから目覚めるヤマトを覆っていたものがかなぐり捨てられるように土砂などの蓄積物が割れてこぼれ落ちるそれぞれ均一的カケラに見えるシーン。
『スター・ウォーズ』(G・ルーカス監督、1977年公開)の宇宙空間ドッグファイトを髣髴とさせるバトルシーン。
『インデペンデンス・デイ』(R・エメリッヒ監督、1996年作)の巨大UFOが地球攻撃で光の粒を吸上げる映像に似た<波動砲>エネルギー充填シーン。
興行収益は洋画よりも好調な、日本映画ですが大丈夫なのでしょうか?
これが海外に輸出されるようなことがあれば同じような批評家のコメントが紙面をにぎわすことにならなければよいのですが。
マスメディアが中国、北京市郊外にある遊園地の偽者キャラクターを非難していたことを憶い出させるほどその映像にショックを受けました。
原作のアニメは当時としてはそれこそイメージを上手にふくらませてくれる映像に仕上げられ主題曲も大ヒットし何回もリバイバル放送された名作です。
ハリウッドが先か日本アニメが先か?
『攻殻機動隊』(こうかくきどうたい)は、キアヌ・リーブスの『マトリックス』に。
『あしたのジョー』は、シルベスター・スターローンの『ロッキー』に。
『ジャングル大帝レオ』は、ディズニーの『ライオン・キング』に。
中国のことを非難できない日本、日本のことを非難できないハリウッド、ハリウッドを非難できない中国とエンターテイメント業界も他の産業と同じでどうもそれぞれが影響し合いすぎて存在しているようです。
都合の良い言葉で「リスペクト」、「オマージュ」など芸術の分野ではよくあることとして済ませても経済性がどうしても絡んでくる現代においては結構厳しい評価だけでは済まされないかもしれません。
影響し合う性質上どうしても表現が似てしまうことがしばしばあるのが芸術分野でしょうか。
クラシック音楽の世界では「ロバの耳でもわかる」とブラームスが自身の交響曲第一番の初演評価を評論家に「ベートヴェンの第九だ!・・・」と非難されたときにいったとされる言葉です。
これは「芸術は模倣から」と言い切ってしまうことで免罪符を貰っているようですが、あまり誉められたことではありません。
特にロマ音楽を取材し、その特徴あるメロディを自身の楽譜出版(当時の最高のメディア)で儲け、同じベルリンの出版社からドヴォルザークをデビューさせたブラームスへの風当たりが強かったからかもしれません。
表現者に限らずそれぞれの経験を通して他人の表現物のカケラか、強烈な印象のものであれば全体が、脳には記憶され存在として残されます。
それらの影響を全く受けないでオリジナリティを発揮する、といってもどこかにその影響は<インスパイア>されて出るものです。
それが人間社会の影響しあい、混じり合いから発生する文化なのです。
「創造力の根っこ」にあるものは模倣ではなく<らしさ>やその表現者が独自に発想したかのように感じさせるオリジナリティあふれるリアリティが必要なのです。そうなれば「斬新だ」「いままで見たことも聴いたことも無い」と評価されます。言葉は悪いですが上手く「パクリ」そして「ダマス」または「ノセル」ことと同じです。
リアリティや<らしさ>の追求には科学的なアプローチも必要です。
とくにSF作品には科学的な検証を伴います。
時代劇を撮るときには「時代考証」が必要なのと同じことです。
それを無視すれば江戸時代の武士の耳にピアスの穴を見つけた時の「キョウザメ」な、反射的反応にさらされます。
夢を観てもらうことは「ダマス」、「ノセル」ことと同じだと感じるからです。
特に技術の発達によってカメラは顔の毛穴まで撮ってしまう時代です。
観衆は、オーディエンスは、すべてにおよんでコエテいます。
表現者は、よっぽど上手に具現化しないとコエタ・オーディエンスに夢を観てもらうこと、「ダマス」、「ノセル」ことはできません。
同じ人物がある時は受身の観衆になり、ある時は能動の表現者となるわけですから「トリビュート」も「オマージュ」も「リスペクト」も模倣とすれば、つまり「パクリ」とすれば表現者本人がどこまで自分に妥協しないでイメージを具現化できるか、オリジナリティあふれる<リアル>を観衆に感じてもらうことが出来るかです。
才能豊かな表現者ほど上手に化学変化・応用・「パクリ」が出来るという事です。これでは聞こえが悪いままですが、スター・ウォーズを創ったジョージ・ルーカスは黒澤明監督をリスペクトし、監督が創った「時代劇」の「時代(ジダイ)」を発音上「ジェダイ」といってスター・ウォーズのジェダイの騎士たちとして登場させたことは多くの人が知るところです。