朝もやの中、生駒山がわずかな稜線を見せる・・・。
その左手の奥が京都だろうか?昨日おとずれた八幡市も、その辺りだったような・・・。
あの、エジソンが探し求めたと言う「竹」があった。我が国で初めて「飛行機」を考案した「二宮忠八の記念展示館」や「飛行神社」がある、由緒ある町だった。
二宮忠八は烏を観察し、玉虫に習った「飛行機」を発明していた。ライト兄弟が飛行する数年前のことである・・・。しかし、周辺の理解を得られることもなく、『ライト兄弟が飛行に成功』の新聞を見て失意のうちに研究を断念した、といわれている人物でもある。
手前が梅田スカイビルや大阪駅周辺のビル群が林立する。大阪城もそのビルの影にみえた。
眼下に目を落すと地表をコンクリートの立方体が覆う・・・。その中に丸い大阪ドームもあった。
そこから更に180度眼を転じると大阪湾。ユニバーサルスタジオもその辺りらしい・・・。
その向こうには淡路島や和歌山もおぼろに望むことができた。
そんな街も、また夜の表情は異次元の空間にもなった。
街並みを縁取る灯りやネオンサインの彩りは昼間のそれとは異なる光のパースペクテーブな広がりと地平の起伏を顕わにしてみせる。
ビル群の黒い重なりが、赤色光の明滅を一際鮮やかにみせる。
その、またたきをジーッと見つめているとインベーダーのように徐々に迫ってくるようにみえ、慌てて目をそらす・・・。うねりながら伸びる光は大動脈。ガラスの向こうを音も無く流れる光は途切れることもなく地平の闇にに吸い込まれていくのだ。
そんな暗闇の大都市は常々、なぜか私に宇宙基地を連想させる。そんなフアンタジックな世界でもあるのだ・・・。
ホテルの最上階。200メートル余の高さはあるのだろうか、そこからは360度の大阪の全ての表情を眺めることが出来た。
もう数え切れないほどに歩き回った街。だが、こうして高いところから「鳥の目」をもって眺めてみると、まだまだ、ほんの少し歩いたに過ぎない、と思い知らされたものでもあった。
 *
たびの折々にはよく高い建物を見つけては屋上から街並みを眺めたものだった。
勿論、訪ねる方角、その周辺に当りを付けると言うこともあるのだが・・・。
当時は東洋一の高さ?だといわれた梅田スカイビル。建築家原広司の提案する空中庭園ではパリの新凱旋門を思い出させる何かを感じた。
デフアンスの新凱旋門。その立方体は、デザイン教育の基礎造形?
その数百倍ものスケール、まさに壮大な造形物でもあった。
そこからは遥かな直線上にに凱旋門やシャンゼリーゼを望むことが出来た。
ナポレオンによって計画されたパリ。都市は整然とした美しい石積みの街でもあった。
その都市の塊形は数百年後の今も変わることの無い佇まいを見せている。
今地表を埋めてて広がるこの地、ビル群の乱立を俯瞰するとき、明らかに違う都市の表情を読み取ることが出来る。
 *
地表を蟻のように、虫のように歩き回るだけでは見ることが出来ないが、鳥のように高いところから眺めてみると街の全体が分るものだ。
なによりも広く、より多くを見たという満足感も得られる。
そんな余禄もあるものだ・・・。

「鳥の目」、「虫の目」の発想・・・・

 ところで、大空を悠然と飛ぶ鳥たち・・・。
特に鷲や鷹は飛びながら数百メートル、数千メートルもの先の虫や魚を見つけるのだと言う。動物の中でも特に優れた視性能を持っている。
その目で捉えた像は更に濃く鮮明にする構造を持ち視力は8。人の5~6倍だとも言われている。
そして、草叢を棲家とする虫の目は余り効率の良い構造ではない。
光を感じる黒い筒を蜂の巣のように集めた複眼は60~90センチに足りない視力。比較的視力がいいミツバチですら人の100分の1でしかないと言われている。

大空を高く飛び、地上を広く俯瞰する、そんな鳥の視点・・・。
また、草叢を生活圏とする虫のように足下の、或いは、周辺を精細な視点をもって観察する・・・。
そのいずれもが、デザイナー、発想者にとっては極めて重要な事なのである。
たしかに日常性の中にどっぷりと浸かった生活からは新たな発想は生まれ難いものだ。
時には「鳥」になり、「虫」になって街へ出る・・・。 そんな「たび」が必要なのだ。
そこから、これまでには見えなかった<何か>が、必ず見える!
そう信じる「強い心」も必要なのだが・・・。
(2003/4・25 記)

追記 1:「鳥の目」、「虫の目」の観察と発想とは・・・・

 観察し、発想する時のキーワード(学生諸君のために少し詳しく説明する・・・)
鳥のように広く俯瞰する視点を持ち、虫のように足下を深く観察する。そんな視点を持って思考し発想することが重要なのである・・・。
マクロな視点やミクロな視点とも同義。望遠鏡の視点と顕微鏡の視点また、プラスの視点、マイナスの視点。全体の視点、部分の視点。大人の視点、幼児の視点。強者の視点、弱者の視点。非日常的視点、日常的視点など・・・。
木を見て森を見ず・・・。虹を見るためにその中に入ると水滴だった・・・。等、発想が極端に偏向すると間違いを犯しやすいと言う戒めでもある・・・。
一極に偏向しない視点をもって発想するが、一極を徹底して考え、発想することもデザインでは、時として必要であることにも注意したい。
(2003/4・26 記)

追記 2:この稿を書こうと思ったのは17年の時間をかけて開発された「六本木ヒルズ」の話題が出始めた頃。その最上・52階からの展望を映像をとうして見た時である。
アメリカがイラクを攻撃した、その日。私は大阪の超高層ホテルの最上・51階で朝食をとり41階に宿泊していた。
その非日常的な風景が私の目に重なっていたからでもある。
「鳥の目、虫の目」を意識したたびにしたい、と考えたものでもあった。
この稿を丁度終えた、翌朝・・・。
読売新聞(4月27日)に『鷹と蟻の目で追う』と言う大見出しが目にとまった。事件を追う鑑識課員のはなしだった。
遺体を検死し、指紋や足跡を採集し、現場の状況を精緻な図面に記録する・・・。そんな彼らに必要なのは、「鷹の目と蟻の目」だという。
「鷹の目」で全体を見回し、犯人の行動を推し量り、「蟻の目」で地べたをはって「髪の毛一本まで見つけ出すのだ」と言う・・・。
この連休には『六本木ヒルズ』の混雑が予想される。海外への旅を思い止まらずを得なかった人たちにも格好のタイミングでの開業である・・・。私はほとぼりが冷めるまで我慢、待つことに・・・。
東京駅前の『丸ビル』も、開業の数ヵ月後のことだった。
(2003/4・27 記)

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