稚拙な子供の落書きか? 困惑させられる絵だが、十代の頃のピカソは、美術教師でもある父に写実的なデッサンや油絵を習っていた。子供ながらもその観察力やデッサン力の非凡さに驚いた父親が自ら描くことをやめ、画材などの全てを息子に譲り渡してしまったのだという。その頃には、美術史上最大の画家でもあるベラスケスに憧れ、その技法に多くを学んでいたのだろう。確かに、画集にあるピカソ作品の成熟した表現力には驚かされるばかり。が、そこに止まらず、それからが常人とは違う天才の特異な個性を発揮することになる。1900年、19歳になったピカソはパリのモンマルトルにいた。数か月後にはそこここの美術館を訪れてはさまざまな画家たちの研究をし、また、旺盛な制作活動を続けていた。(メモ欄のオークション、『花籠を持つ少女は』このころの作品・・・)
26歳になったピカソは、数か月間をアトリエに閉じこもると100枚以上もの習作を重ねた末に1枚の絵を完成させた。初めてこの絵を見た友人たちはみな困惑していた。ピカソの顔をまじまじと見ながら「ふざけるなっ!」と呟くと絶句。悲鳴を上げる者までもいたのだという。その絵『アビニヨンの娘たち』も、その衝撃が徐々に薄れると、やがて、見直されるようになっていた。見た瞬間に自分が変わり、自分自身の扉が開く!絵は何一つ変わっていないのに自分が変わり不思議な感覚は感動ともなって魅了する。それが、絵画史に革命をもたらす「キュビスム」の起点となったものだ。
ピカソの親友でライバルでもあるマティスは、その絵を見たとき、余りにも悪ふざけが過ぎると思っていた。しかし、それが自分の絵からの着想だったと知ると好意的になっていったのだと。また、ジョルジュ・ブラックも誰よりもこの絵を嫌っていたらしい。が、後に誰よりもキュビスムに興味を持ち、同志として活動を共にしている。
後には、今世紀最大の巨匠とも言われるようになるピカソ、常識では考えられないことを言い、描いては人々を驚かせる。その衝撃と困惑は次第に次代を感じさせるものとして人々に受け入れられるようにも。しかし、まだまだ圧倒的な古典・写実主義の美意識が大勢を占めマネやモネ、ルノワール、セザンヌ、ゴッホなどが画家として自立できると言う時代ではなかった。批難はあっても評価する者などは一握りにすぎないのだろう。
とはいえ、時代は常に変化・革新を期待しているもの。人が存在する空間への関心は強く、1905年からはアインシュタインの「相対性理論」、「ものが縮む」「空間が曲がる」など、「瞬間」と「持続」、「時間と空間」、「4次元」などの話題も十分に刺激的であり、多くの芸術家を魅了していた。この時代に発明された「キネマとグラフ」の1コマ1コマの動き――異なる時間の経過、動き、変化、視線、動線など・・・。それらを1枚のキャンバスに表現する?というアイデアが。天才の常識は本能的に感じ取る力、未知の可能性を拓く力でもあるのだろう。
クリエイティブな人物の代名詞ともいわれるピカソの原動力は「愛」だと言う。彼の人生には愛人との幾つかのスキャンダルにもまみれ、天才の特異な狂気にも気付かされるのだ。精神の解放ということだろうが囚われない生き方は我儘で、余りにも自己中心的でもあった。ピカソに魅了され悲劇的な末路をたどった女性たちとの生活には矛盾する日々でもあったのだ。しかし、それは芸術を思う圧倒的な情熱が天才の発想力の狂気を見ることにもなる。その才能は、伝統的絵画の手法を否定しつつ、また、次なる可能性に取り掛からねばならないというジレンマにもエロスのうつうつとした感情の起伏をそのままキャンバスに向けたのだ。そう思うと理解し難い作品の、そんな人物像に答えがあると言うことになる。とにかく、稚拙でわかり難い! 決して美しいとも思えないし、むしろ醜く、不気味ですらある!「まるで、子供の落書き」と、思わせる技法の作品でもあるのだ。それはピカソの「日記」であると言い、生涯をかけて創り上げた作品でもある。見る者に衝撃を与えるが、考えさせ、覚醒させるものでもあるというピカソ作品の評価は高い。                                            (2018/7・5記)         
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メモ:
●「芸術家は、嘘の中にある真実を人に納得させる技量を身につけなければならない。目に見える世界だけが、真実であるとはいえない。絵は平面で二次元。しかし、人は芸術作品を見て感動し、奥行きを感じ、光や風を感じるもの。それらを感じさせる技量が芸術家には必要だと。既成概念に囚われず自由な心で描く。もし、芸術という嘘がなければ、世界は味気ないものになるから」「ようやく子供のような絵が描けるようになった。ここまで来るのにずいぶん時間がかかったものだ」と、ピカソ・・・。
●パブロ・ピカソ(1881-1973)は、作風がめまぐるしく変化し、人類史上で最も「多作」な芸術家でもある。13,500点余の油絵とデッサン、100,000点の版画、34,000点の挿絵、300点の彫刻など、生涯作品の合計は147,800点にも及ぶギネス世界記録も。絵を始めた8歳から92歳まで毎年1,760点。これは一日に4~5作品という驚異的なペース、当分は破られることがないのではとも言われている。<ひらめいた>瞬間に描き止めた「メモ的作品」も? 何しろ、「ピカソが唾を吐きかけた紙片や小切手のサインすらもアートだ」と、いうエピソードもピカソらしい・・・。
オークションにおいて、ピカソ作品が信じられないほどの高価格で取引されており、いささか異常と。作品の多さは話題性の多さであり、オークションが注目され、注目されることで「ピカソ作品を一点でも持ちたい」と、人々の願望にもなっているのだとか。
●ピカソが10代の女性裸体を描いた作品が先日、ニューヨークのオークションで1億1500万ドル=約125億円で落札された。1905年に描かれた、この『花かごを持つ少女』はピカソ「ばら色の時代」の作品。米国の作家で美術収集家のガートルード・スタインがピカソから30ドルで購入(作品は余り気に入らなかったようだが)し所有していたもの。その後、ロックフェラー家側に渡ったのは`68年、当時、680万ドルで譲渡されたものだという。
:日本では「泣く女」(大作『ゲルニカ』1937年の習作の1部にある)が日本では最高額の10億円で落札されている。

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