曼荼羅の砂

映画『クンドゥン』が教えてくれる東洋哲学の極み    

1989年にノーベル平和賞を受賞したチベットのダライ・ラマ14世の、リインカネーション(輪廻転生)からインド亡命までの半生を描いた、映画『クンドゥン』(原題Kundun、監督マーティン・スコセッシ1997年製作)は、何世紀も受け継がれ、結晶化された東洋哲学の、心と魂を打つ至言が主題と感じます。

DVDの解説では、モンゴル語のダライ・ラマは、「Ocean of Wisdom」と英語に訳され日本語では「智恵の大海」とあり、モンゴルのチンギス・ハーンの子孫が名付けた名前だそうです。この映画の見所のひとつに、歴史的映像記録と言えるラマ僧たちの氣を合わせ創られた、見事な奇跡の「砂の曼荼羅(まんだら)」の映像が挿入されていて、見逃せません。

KUNDUNジャケット〈発売元:東北新社1997年製作DVDクンドゥン=法王猊下〉

かつてラフォーレ原宿の場内の無人カメラから送られてくる実況映像を、館内中継で偶然に目撃した時、衝撃が全身に走った感動の記憶がよみがえりました。映画よりも20年ほど前のことだったと憶い出します。

会場内は、我々鑑賞者の立ち入りを遮断して、ラマ僧が砂の曼荼羅を制作する間は、精神統一し集中できるように、また少しの空気の流れや振動で、積上げられた微細(びさい)な砂が崩れないようにしていました。

完成した砂の曼荼羅は、驚くほど色とりどりで美しく、ラマ僧の鍛錬された超絶技巧の成せる氣合の入った創造で、超越したアートであり、摂理でした。ラマ僧には砂の一粒ずつが拡大して見えているようで、微細な砂の角と角とが積上げられ、まるで城の石垣や、ピラミッドや、小さな山脈が連なり立体感を際立たせて、人間業(にんげんわざ)を超えた奇跡を起こしていました。完成した砂の曼陀羅を、ラマ僧は無常にも自らの手で砂をさすりながら混ぜ合わせ壊して、無に帰させました。(無に帰すシーンは映画で知りました)

曼荼羅3連

そこはかとなく、全ての人に共通な、人のサダメを感じさせてくれたのです。

この砂の曼荼羅の奇跡を、また見たいと願い、『クンドゥン』を知ることで叶い、砂の曼荼羅の映像に再会したときのシビレ感と、蘇った過去の感動の記憶とが重なり、その興奮と歓びのホトバシリが今ここにあるわけです。砂の曼荼羅を、永遠に残しておきたいと思い願っても砂で創られたゆえんは、「色即是空」で「存在があるようでもそこに実体は無い」、「すべてのものはやがて無に帰す」ことを、色とりどりの砂をならし片付けることによって美しく伝え、教えようとしていたのです。

まるで脳の中で起こる、浮かんでは消えるイメージやアイデアや空想などの現象が、人それぞれの違いはあっても、無に帰す砂の曼荼羅のようなものだと言っているようにも感じます。

曼荼羅の破壊〈無に帰すシーン 「クンドゥン」DVDより〉

映画の終わりごろダライ・ラマ14世がインド亡命時に山岳地帯のインド国境警備兵の質問に答えた至言があります。原語台詞は、                    字幕では、

What you see ?  before you The Man ,simple Monk.        「私は ただの男 仏に仕える一人の僧侶だ

I think ,I will (a) reflection , like a Moon on water !       私は月の影 水面に写る月の影

You see me, naturally big man, I see your-self.                     善を行い 自己に目覚める努力をしている者」

水面の月S

このダライ・ラマ14世の至言は、砂の曼荼羅と同じようにlike a Moon:水面に映る月の影のように、そこに実体は無く、すべてのものが、やがては無に帰し、人の世や、人の思いのうつろい、真理、摂理を理解させられる言葉です。曼荼羅の砂の一粒や、水面に反射する月の影になる光の粒も、実体は無くとも有る、氣をヴィジュアライズさせています、氣はエネルギーです。自身の元氣、自身外にある氣、氣は外にも内にもあることが分かります。自身外にある氣を、肺を通して血液で脳に取り入れ、化学変化を起こさせる氣・エネルギーとしての「元の氣」が蓄えられることが、元氣になることです。

氣・エネルギーにより、元氣になり、前向きになり個人差はあっても発展進歩に活かせ、夢や希望が浮かび発想が豊かになると、氣が付くことになります。内にも外にもある氣と仲良く付き合うことで、感動を経験し、発想からイメージが浮かび、様々な表現手段を通して創造物を世に送り出せ、周りの人々に感動がインフルエンスし共感と共鳴を呼び覚まし、双方に至福が訪れるのです。

 

ベートーヴェンの交響曲第九番<合唱付>の第四楽章、合唱で、天高く善のスパイラルを登りつめるような精神の高揚を全身で感じるのと同様に、氣・エネルギーも上昇スパイラルを登りつめてゆき、やがて循環作用で無に帰します。氣は万物に循環する完全なる摂理のメカニズムをもっているのだと想います。

クリエーターは前向きな善の氣・エネルギーを取り入れ自分だけの力とは思えない何かに導かれ、使命感をもち何かに立ち向かうことで、脳を覚醒させて表現活動で独創的な創造を世に送り出していかなければなりません。氣は人類を見守り支える、無であり、人間の尊厳を守り、決めるものなのです。

何を成さねばならないか、あるいは成さなかったかで、その後が決まるのだと、氣付くことで、すべては変わります。

氣・エネルギーは「創造力の根っこ」です。

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