「早いね~、もう3月だョ~」、最近会う人毎の挨拶だ!
年末からこの3月に掛けては特に早く感じる。
ところで、随分と久しぶりに井の頭公園を歩いた。
運動不足気味の私たちを気遣ってか姪が誘ってくれたのだ。
「奥多摩へハイキングに行きましょう・・・」と言う電話だった。
「ェエ~ツ、奥多摩~!それより、井の頭公園の近くに一寸気取ったフランス料理の店があるのだけど・・・」
「そこでお昼を食べて、公園でも歩いたら・・・」と逆提案。
なんとか、手近かなところで済ませたいと言う作戦だったのだ。
・・・・・・・
公園への坂道から見る木々の梢は微かに黄み、春を感じさせていた。
陽射しのある池沿いの道に若者たちの店が立ち並ぶ。
広げた敷物の上にはアクセサリーや可愛らしい額の絵が売られていた。
束ねられた花は恋人への贈り物?小さい花びらが可愛らしい・・・。
そこ、ここに独り、或いは数人のグループがそれらしくギターを弾き、歌を唄っている。
練習?或いはストリートパフオーマンス?だろうか。
大きい剣玉で人垣を作っている若者もいた。

季節の移ろう陽だまりの中で夢を膨らませ飛び出して来たのだ。
若者が「夢」を目標に変えて、追う姿でもあるのだろうか。
画家や歌手、タレントを目指してる?
暦ではちょうど「啓蟄の日」、土曜の昼下がりだった。
「何か・・・」を求めて独り上京、大都会の厳しい現実を背に今晩の糧を求める・・・。
そんな若者もいるに違いない。
小犬を引いた若い女性たちの散歩姿も多い。
子犬同士が尾を振り鼻を突き合わせて相手を探り合う間、ご主人は嬉しそうに立ち話しに興じる。
それにしても、コートにハイヒールのフオーマルウエアーが目に付く。彼女らの流行の散歩スタイル?

そんな騒めきを縫って歩いているうちに丁度半周し対岸へでた。
日陰が多く、木立の風が冷たい。
その先に5~6人の人垣。歩を緩めながら覗き込んでいる人も。
その中に立っているのは中学生?或いは小学生かも知れない。
どうやら、その人達に話し掛けている。「何色がいいですか?」と、はにかみながら・・・。
「うーん、それじゃー赤・・・」と、1人のお年寄りが答える。
少年はそれらしく左手を突き出すとその握りしめた手から赤い布切れを引っ張り出していた。「あ、手品かァ~」
まだ、あどけない顔付きの少年は赤い布切れをパァーッと広げた。
ぱらぱらと拍手がおこった。
「赤い布を出すだけでは面白くないでしょう。今度はこの布を消してしまいま~す」と口上を述べる。先程の様に左手を突き出し袖口をまくり上げると、その手の中に赤い布地を押し込んでいった。
その布地が手の中に押し込まれたその瞬間、両の手をパッと広げた。
「アアッ・・・」と目の前でその手元を見ていた妻が本当に驚いていた。手品向きのリアクション、いい客だ!
よく見るネタだが、その少年は見事にやってのけたのだ。
それが最後の手品だったらしく、少年はペコリと頭を下げると「有難うございました」と古びたカバンを閉め、拍手をする客に挨拶をした。
可愛らしい芸人だ!見物客の何人かが足下にある缶に気付いてお金を入れた。
都会的で利発そうなその少年が大道芸人??
・・・・・・・
そうだ!と気付いたのは翌日のことだった。
そういえば・・・。
外人数学者が巧みな大道芸を見せていたのを思い出したのだ。
数学と大道芸、一見無関係とも見えるが・・・。
多分、そんな数学者を尊敬し見習っているのだろうと考え納得したものだった。
幼いが自分への試練?物怖じしないための訓練だったのかも・・・。
「そのための大道芸、多分、ネ!」

I→T→Π→?
私自身、そんな数学者の登場に驚いたのはもう20数年?も前のことだったが大道芸人と数学者・・・。
数学者が大道芸人!?余りにもミスマッチなこと。
当時の日本人には常識として、そう見えたものだったのだ。
そういえば・・・。池原止志夫東工大教授とは非常勤をしていた武蔵野美大で毎週のようにお会いし、話をさせて頂いていた。
神戸に生まれ、高校からアメリカに留学された先生は、名門マサチューセッツ工科大学(MIT)で学ばれていた。「サイバネテックス」を提唱した、あの天才数学者ノバート・ウイナーのもとで研究員として勤務もされウイナーの著作「人間機械論」などの翻訳。当時のMIT日本人会会長もされていた。
その話しにも色々と驚かされていたのだ。

ウイナーは14才でハーバード大学大学院に入学、18才で博士号を得たと言う天才。
そのごMITの教授になり生物と機械の通信制御システムを研究「Cybernetics」として発表している。その知覚と脳、筋肉のメカニズム、「情報の伝達と制御研究」は今日のコンピュータ・IT社会を誘導する基となるものだ。
「14才で大学院?」「18才で博士号?・・・」驚きですねーと私。
「しかし、彼らは実にタフなんですネー、よくパーテイが有り、明け方までも大騒ぎをする。しかし、酔いつぶれてしまう日本人留学生に対して、彼らはそれからでも確りと予習をしていたんですョ~」と・・・。
「彼らの専門は1つではなく2つ以上が常識なんですョ~、その何れもがトップレベルの・・・」とも。
それが「数学と医学、或いはピアノやバイオリンの演奏、テニスや絵画・・・。それらも専門と同じく一流なんですね」と言うのだ・・・。
確かに、幾つかの専門領域を繋いで「Cybernetics」は生まれたものだ。
またMITのキャンパス計画。「その時代を代表する建築家の作品が点在し、キャンパスはまるで博物館のようですよ~」と得意げでもあった。
そんな話をにこやかに、熱心に話された先生の面影を懐かしく思い出した。
・・・・・・・
我が国もI型からT型、そしてπ型へとその能力や専門性の複合、拡大が言われて久しい。
しかし・・・。そのためには幼時からの明確な目的意識と複眼的発想力を持たせる教育が必要だろう。出来れば申し分ないのだが・・・。
多くの識者、関係者が口を揃えた「ゆとり教育の試み」は早くも失敗だった、とも言い切る。教育効果を上げるためにまた、強制教育に戻ると言う意見にも些かうんざりする。
その何れかでは無く、その何れもが必要なことだからだ!
その複眼的・バランス感覚。自らが「生きる確かな目的意識」の中の・・・。
(March・26/’04 記)

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