移り気な国らしいことだが・・・。
あまり見ることもなくなった、あの「IT革命」と言うセンセイショナルな文字・・・。
そのことが話題になり始める数年前のこと。
「紙はなくなる・・・」
「IT社会ではペーパーレスになる」とその道の研究者、技術者が口を揃える。
「デスク1枚に膨大な量の情報が記録されるのです」
「百科辞典数十冊が1枚のデスクに収まるのですよ・・・」
「まだまだ、おぼろげなIT革命のカタチ、伯仲した議論が活発だった」
「そうなると教師が要らなくなるのでは・・・」等と言う意見も飛び出して、妙に同情されたりもしたものだった。
学者、大学教師、官僚、企業・ベンチヤー技術者を集めての「産官学IT研究会」での事だ。
そう言えば、僅かに文庫本1冊にも満たないサイズで30数冊の辞書、参考書が収められている電子辞書にはほとほと感心もし、大変重宝もしている。

しかし、今もペーパーレスではない。
数千年、使われ続けられてきた「紙」が、そう簡単には無くなるまい。
私自身、大学でも自宅でも机の上と言わず、その下にも紙が積み上がっている。
「発明」「アイデア」と言うものは人が気付かないことの発見であり、組み合わせでもある。
本や資料、アイデアスケッチですら一体何が必要で、何が不必要かは直ぐには決め付けられない。
たしかに、ストックされている資料、アイデアスケッチ類が他の問題にも役に立つたと言う経験がある。
テーマに置き換えたヒントにもなつていることも多いのだ。
逆に、参考資料などを捨てて仕舞い、後で後悔したということも度々。
そんな経験が重なると、ますます何時かは役に立つのではと積み上げていくことにもなる・・・。

誰もいないアトリエを覗くと、床に返却された作品が無残に踏みつけられ、テーブルに放り出されたものを見ることがある。
見捨てられてられた作品?
苦労して完成させた作品であるだろうに・・・。
その作品、自らの貴重な情報源となるもの、大切にして欲しいね!

発想はまず質より量を・・・
「まず、『質より量を生み出す努力を!』、独創、差異化はそこから生まれる・・・」授業のたびにそう繰り返している。
しかし、「はじめの思い込み」、それが答えとなり、全ての課題・問題解決が終わるようだ。
答えの1つ、或いは少ない量のアプローチからは独自性の高いものは生まれ難い。

デザインを学ぶものにとって、好奇心をもって観察することが極めて重要なことと言える。
カタチや色をもって最終表現の手段とするデザインは「観察する心」を持ち、表面的な事象に止まらない「観察」を心掛けるべきだろう。
生活の中での人々の営み、物の在り方を自ら触知することが必要だろう。
よく見る人、よく聞く人は良く考える人であると言われるが・・・。

しかし、「フウ~ン・・・」と言う気乗りしない反応、「あ、これね、知ってます・・・」と予め受け入れることを拒否するような態度が意外に多い。

「で、この授業は何を勉強するのですか?」と言う質問には腰が砕ける。
案の定大部分の学生は「それがなんの役に立つの、と言う反応・・・」
それより、プレゼンを要求されている次の授業が気になってという素振り・・・。
そんな彼らの顔を伺ながら「これ、この部分が試験に出るよ!」と呟く。
見渡すと急に目付きが変わったように見える。手が動き、メモを取る様子が感じられるからだ。
彼らは「試験」と言う単語には反応するのだ!

豊かさと情報が錯綜する時代の人々には養老孟司の言う「バカの壁」がある。
学ぶ明確な目的意識は希薄・・・。試験をそれなりの努力でやり過すことが生き方なのだ。

ところで先日、「なぜ『形』ではなく、『カタチ』と書くのですか?」との質問を受けた。
「形」は外見に現れたモノの姿。人の感覚、つまり視覚・触覚で捉えられるものを意味する。電子辞書の広辞苑はそう解説する。
しかし「カタチ」は引くことが出来ない。
形が視・触覚的で捉えられるものに対して、「カタチ」は視・触覚によって形として捉えられないコトを意味し、そのカタチ化を意味するカタカナ用語でもある。
既にある意味、その意味概念のみに囚われない新しい可能性を意図するものとして使ってもいる。
ちなみに、感謝のカタチとしてお歳暮、お中元という「生活のカタチ」もある。
・・・・・・・
観察する力は日々の新しい発見を生み、想像と創造する力を育む。
多くの情報と資料、その行間にある意味とその裏側にある本質を見極める、そんなプロとしての目が研ぎ澄まされる。
カタチを情報として「読める人」と「読めない人」の差も大きいのだ。

前回のコラム、実は、小さなクリップにもそんな情報が凝縮していることを見通し、感じ取ってもらえただろうか?
人類にとっての4大発明の1つと言われる紙、様々に使われて来た歴史の過程が想像される。
ペーパーの語源とも言われるパピルスの時代から丸めて保持し、紐でくくることもあった。
勿論、さらに紙を重ね、束ねて書類を分類する必要から「ゼムクリップ」が生み出される動機になったのは容易に想像出来ることだろう。
数千年の人類史「より良く生きる」ための「より良いものづくり」。
そのことが連綿と続き、今日に連なることになる。
「好奇心」と「感動」は人の豊かな感性と優れたデザイナーを育むのだ!
はかり知れない自然の、素晴らしいデザインに感動しよう!
人類史、人々の営みの中で生みだされたモノ、そのデザインに畏敬の念を持って接しよう!!
季節の日差しは、その「カタチ」をはっきりと浮かび上がらせてくれるはずだから・・・。

(30・May ’04 記)

 

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