21世紀はデザインの世紀だといわれています。
UFJ総研による産業経済予測によると2010年にはデザイン市場規模は12兆円、デザイナーの数で言うと80万人程度が必要であると想定できるのだそうです。
現在の市場規模が2億8000万円,デザイナーは17万人。
凡そ4倍強に拡大すると言う事になるのでしょうか?
その数字の根拠は分からないが多分、デザインという用語解釈の多様化であり、実行行為の可能性の広がりを読み込んだものだろうと思います。
いずれにしても、そんな明るい展望を持って、高度情報化社会に応えるデザイン人材の育成に取り組むのだとか、期待したいことです。
・・・・・・・
「デザイナーになる!!」
早くからそう決めて、それなりの準備をしてきた者は、余裕だろうか・・・。
しかし、何をやりたいのか、将来、何をやったらいいのか? 自分に何が出来るのか?
いろいろと考えたが分からない・・・。
そう迷いながら大学に進学した者も決して少なくはないだろう。
この季節、大学のキャンパスではそんな様々な新入生と出会うことになる。
たしかに、今はそう簡単に答えが見つかる程に分かり易く、単純な社会では無い。
多分、中学や高校で学び生きてきた来た18年間の経験の中で、自分の一生を決める重大な決断をせねばならないのだとしたら・・・。
自分がやろうとすることが分かり、納得している人の方が圧倒的に少ないはずです。
私が知る多くの大人も、迷う事も無く職業を決め、順調に働いている人など殆どといっていいほど居ないのです。
或いは迷うほどに選択肢すらなかった。目の前にあるものに決めざるを得なかったといった方がよいのかも知れません。
しかし、実はそれが人の生き方なのです。
「ほどほどに」、「楽に」、「遊び心で」と言う心の余裕を持つということも必要でしょう。
しかし・・・。一方では、与えられた環境の中で「一生懸命」、「努力する」、「頑張る」等という言葉を意識し、心がけることが必要です。
つまり、努力をしないで「夢」や自分の思いを遂げる事などは有り得ないというのも現実です。
多分、大学で学ぶ全てが初めての経験となるものでしょうが、その1つ1つに取り組み、挑戦してみる心構えが重要です。
そこから、何かが分かり、何かを感ずることになります。
「人間として生きる」こと「学ぶ」ことの実感ともなるものでしょう。

「課題」をやるが上手く出来ない、だから面白くない、と言う。
嫌いな課題を大学で強いられると言う思い、そう感じるとしたら・・・。
それは不幸なことでしょう。耐えられないことにもなります。
「嫌いだから」、「よく分からないから」、やらないということになると、ますますやらない人間になり、何も出来ないダメ人間に成ってしまうことになります。
独り考え込んでしまうことにもなるのです。
嫌いでもじっとやり続ける忍耐が大切です。必ず出来るようになり、楽しくやることになるものです。
分からない、出来ないから・・・与えられた課題に取り組む。
手で触れ体で実感し、人間としての本能と向き合い、人としての感性を研ぎ澄ましていくことにもなるからです。
手で触れることがデザインのリアリテイを明確に体に刻み付けることになるのです。
学ぶことは、必ずしもらくで楽しいことばかりではないはず、返って苦痛!そのほうが多いのかもしれません。
その苦悩、苦痛・・・。しかし、そのことを喜びや快感に変えることも、継続するという心構えしだい。
デザインは「生」の発想、人への優しいまなざしと美意識を育くむものだから・・・。

自分自身の能力の成長拡充はその挫折と克服する努力の繰り返しによって確実に得られるもの。
そのことが実感されることで喜びもまた、何にもまして大きいものになっていく事になります。
何よりも人間という生物は、自らが生きる環境の様々な仕組みに触れ、身体を通して感じ、感性を培って成長するものなのです。
「好き」になり、自らの体を通して考えたことは何よりも身につく・・・。
そして、楽しい・・・。
そこから加速度的にデザインを選び、学ぶ意味を見出していくことになるのです。

●デザインを学ぶ心がけ、実行し習慣にして欲しいこと・・・
自分の夢を実現する方法を考える
自分を知る
観察し、メモやスケッチをする習慣を持つ
好きになり、楽しくやるように心がける
その他

(March 31 2005 記)

追伸:
「愛・地球博」がはじまった。
並び群がる数千人がゲート抜けると目的のパビリオンを目指して駆ける。35年前の大阪万博の風景が重なる。
今回の特徴は環境問題に配慮することと、そこここで誕生した人類のDNAを継承する珍?新人類群・ロボットが多く競演するということだろう・・・。
ラッパを吹き、会話を楽しむ、その受付嬢も・・・。
産業ロボットに比べ、人間型ロボットはまだまだ微笑ましいオモチヤのレベル・・・。
神が数億年の年月をかけてデザインした人間に学ぶものは多いのだ!
しかし、人類の人間力、感性の衰えが顕著となるであろう時代には、人間がデザインしたロボットがその事を補って活躍するのでしょうか?

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