モバイルデバイスの開発競争、一石を投じたiPhone-3G。
あるいはiMacやiPodなど・・・。
エポックメーキングなデザインをみせるアップルフアンは多い。
私も、iMacを初めて見たときは少なからずシヨックだった。
ヨドバシカメラの店頭? 興味深く見入る私のそばでは数名の女子学生が一際賑やかだった。
「ワァ~、カワィィ・・・!」と屈託ない・・・。
新しいユーザーの登場だった。

やや稚拙にも見えたそのデザインは、実は新しいユーザーを見据えた戦略、大胆な提案だったのだ。OA製品としてのコンピュターイメージを一掃したそのデザインは多分、決して我が国では生まれることはないものだろう。
そのデザイナー、ジョナサン・アイブにも興味をもっことになった。
AXIS誌にはそのデザイナーの特集記事が、最近のマスメデアやインターネットからは、その功績を称える母国、エリザベス女王から大英勲章 第三位を授与されたとのニュースが紹介されていた。なかでも、影響を受けた人物としてディーター・ラムスの名前をあげていたことは興味深い。
ディーター・ラムス氏には’60年代、当時の学生やデザイナーたち、若い時代の私自身も少なからず影響を受けていたからだ。

ウルム造形大学の理念とブラウン製品・・・・
極めて知的で優雅な製品スタイル、それぞれの精度の高さもさることながら、製品のすべてを貫く明瞭なデザイン・ポリシー・・・。
「利用価値に永遠の美しさを組み合わせてどんな用途の製品でも全てにユニークなブラウンスタイルをつくりあげ、競合製品とは形や機能的構成も全く異なる」と・・・。
デザインの段階では、大量生産を考えず、これが最高!と考えるものをのみ考えた結果でもあった。
ブラウンの一貫したスタイルは理性的、数理的な造型と革新による新しい機器シリーズ開発の可能性をみせるもの・・・。
製品の全ては、まるでデザインの教材のようにも見えたものだ。
バウハウスを継承するウルム造形大学のデザイン理念を実践して見せたものがブラウン、その中心にいたのがディーター・ラムス氏だったのだ。
1955年にブラウン社のデザイン部長に就任するとデザインポリシーを確立し、企業経営戦略としてのデザインを魅せるものにしている。

知的見識を捉えるブラウン・デザイン・・・・
なによりも当時、産業界中枢の空気は営利のみが目標の第一義であり、理想とするデザイン提案は、ことごとく打ち砕かれない時代でもあった。
ブラウンの事例は、なすべきデザインを示唆してくれるもの、デザイナー達に勇気を与え、企業デザインの在り方を考えさせるものだった。
そのことに触発されたデザイナーによって、製品デザインやCI計画の実行、企業近代化のデザインポリシーは実践されている。
「CIを実行すると、デザイナーの個性が発揮できない」と不評。この頃、担当デザイナーのボヤキを何度か聞くことにもなったが・・・。

ブラウン製品についての評価・・・・
ジエイ・ダブリン イリノイ工科大学教授によると、
「ブラウン製品は世界のどんな素晴らしい製品にも匹敵するよいデザインである。
一般のアメリカ人には、余りに無味乾燥だが最高の技術と、よいデザインとの結合を見分けられる見識ある人々なら惹きつけられるのである。
純粋主義のブラウンスタイルは、おそらく、これからの欧米製品に特徴的な幼稚な形態を一掃し、市場に変革をもたらすに違いない」と評価している。

「わずかに市場の5パーセント?」
そんな見識を要するデザインが、数十パーセントのユーザーに受け入れられている」と言うはなしも聞いた。
それでも当時、余りにも画一的とも見える禁欲的なデザインスタイル、競合企業の多いなかでの日本人には馴染まないのでは、と考えていた。
・・・・
マックス・ブラウン社は1921年の創業・・・・
ラジオ部品の生産販売から、自社ラジオの生産販売を行う会社だった。
創業者の後をエルウインとアルトール兄弟が継ぎ、製品デザインを近代的、合理的に単純化したものへ変えたいと考えていた。
バウハウスの思想を継承するウルム造形大学からハンス・グジュロ教授を顧問にラジオ製品シリーズから企業のスタイルを意識していた。
1955年、デザイン部長に就任したディーター・ラムスによって「よいデザイン10の原則」がまとめられ、ウルム造形大学の理念をカタチにしたブラウンスタイルを確立している。当時、イタリアのオリベッテイ社とは比較され、現在のアップル社にはジョナサン・アイブによってよいデザインのDNAが引き継がれていくことになるのだろう。
・・・・
GOODDESIGN EXPO 2008(於:東京ビックサイト)・・・・
本年度もまた「よいデザインとは何か?」を見、考えさせられる場にもなった。
会場をうめる製品、まだまだ我が国産業界の良質なモノづくりの「いま」を垣間見ることができ、また、その対象領域の広がりにも考えさせられた。
いずれにしても、それらのデザインの中にバウハウスのカタチや理念、イギリス、ドイツ、アメリカ、イタリア、そして北欧諸国などの「よいデザイン」のDNAを読み取ることが出来た。
よいデザインのDNA吸収の系譜はまた、今日の我が国の「よりよいデザイン」に確りと生きているということになる。
・・・・
「何でもあり!」と錯覚しがちな世代、混沌とした時代でもある。
しかし、デザインを学ぶものにとっては、一度は確りとそれらよいデザインの系譜をたどり
「カタチ」や「理念」を見つめなおしてみることが必要だろう。

(31 Aug./2008 記)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・   -メモ

「よいデザイン10の原則」:ディーター・ラムス
1 Good design is innovative.
よいデザインは革新的である。
2 Good design makes aproduct useful.
よいデザインは、製品を有用にする。
3 Good design is aesthetic.
よいデザインは、美的である。
4 Good design makers a product understandable.
よいデザインは、製品を分かりやすくする。
5 Good design is unobtrusive
よいデザインは、押し付けがましくない。
6 Good design is honest.
よいデザインは、誠実である。
7 Good design has longevity.
よいデザインは、恒久的である。
8 Good design is consequent down to the last detail.
よいデザインは、あらゆる細部まで一貫している
9 Good design is environmentally friendoiy.
よいデザインは、環境に優しい。
10 Good design isas little design as possible.
よいデザインは、出来るだけ少ない。

これらはまた、バウハウスの理念に通じるもの・・・。
ミース・フアンデル・ローエのless is more(より単純に)に代表されるバウハウス・デザイン哲学の究極はウルム造形大学に継承され、その理念を基にブラウン・スタイルは生み出されたともいわれる。
また、ディーター・ラムスはless but better、アルバー・アーアルトはless and moreと主張する・・・。

・我が国にも多大な影響を与えたジェイ、ダブリンJay・Doblin イリノイ工科大学教授によって編集された「ONE HUNDRED GREAT PRODUCT DESIGNS」(邦訳グレートデザイン物語 丸善 岡田朋二 他訳)にも選定されている「1957年のブラウンKM3 調理器」の評。
イリノイ工科大学・インステチュートオブデザインは、また、バウハウスを継承するものとして1937年アメリカに亡命したモホリー:ナギによって設立されたニュー・バウハウスを併合したもの。

・通産省工芸試験所の海外意匠専門家招聘による講習会の開催、1956-1970の14年間に14回開催。ジェイ・ダブリン教授も4回目に招聘されており、多くのデザイナー研究者へ影響を与えた。そのデザイン用具、スケッチ・パステル表現などにも驚き、デザインのアプローチを「これが先進国のデザインなんだと感激!」と、多くのデザイン関係者が・・・。触発されて留学を志すものも多い。
当時の学生達は「工芸ニュース」誌のそれらのレポートを頼りにデザインの発想や手法を学び、自分なりに試みていた。

・本学へのバウハウスとの関わりは1930-1932年バウハウス・デッソウで学んだ山脇巌教授がその基礎システムをカリキュラムに取り入れた頃に遡る。
当時の学生にはバウハウスを語り、グロピュスやクレー、カンジンスキー、モンドリアン、マックス・ビルなどに傾倒し、口角泡を飛ばして議論する学生も・・・。

・公開講演会
そのブラウンの最盛期、ディーター・ラムス氏、アーサ・プーロス教授(シラキューズ大学)のお二人を招請し、公開講演会を開催し大変盛況だった。
しかし、講師の招聘、内・外部へ向けた交渉・広報作業、大講堂会場の準備、会の司会にも忙しく、お手伝いいただいた岡田朋二非常勤講師(故)には大変なご迷惑をお掛けした。
お陰で、肝心な講演内容の記憶は定かではない・・・。

・私にはブラウンの卓上扇・シロッコ・ファンのコンパクトでユニークな造形が、特に興味引かれた。
私が初めて渡欧した1965年、立ち寄ったモスクワのデパートの電機製品売り場・・・。
その入場を制限された市民の行列に優先して旅行者は入ることが出来たが・・・。
数えるほどの品数の中に、そのシロッコフアンも並べられていた。
が、それらは粗悪なコピー製品だった。
この共産主義社会にも魅力的な製品だったのだろうか?
まだまだ東西冷戦、ソ連は「鉄のカーテン」を張り巡らしていた頃の話だ。
目的地の一つだったウルム造形大学訪問・・・。
洗練されたアトリエの中に置かれていた作品にも眼を見開かされる思いだった。
この経験が、ことさらにブラウン製品、シロッコフアンの印象をいまも強いものにしている。(シエバーは数機種使っていた)
・・・・
・そのブラウン社は、いまグローバル経済、その戦略の渦中にあり、ジレット・ジヤパーンに吸収され商品アイテムも縮小している。
・バウハウスの理念を基にマックス・ビルによってウルムの地に創設されたウルム造形大学(1953-1968)も、市当局からの財政支援を打ち切られ解体へと追い込まれた。
わずかに15年、バウハウスと同じ運命を辿ることになったのは不思議な巡りあわせでもある。
・数年前? どこの、何の会合だっただろう・・・?
人ごみの中で熱心に話しこんでいるディータ・ラムス氏を見かけた。
「ICSID(国際デザイン評議会)の会長に立候補してるようで、まだまだ元気すよ・・・」と傍にいた知人が話してくれた。

・・参考文献・・

・デザインの原点
ブラウン社における造型の思想とその背景
日本能率協会 向井周太郎(本学大学院客員教授) 他

・ONE HUNDRED GREAT PRODUCT DESIGNS(邦訳:グレートデザイン物語)
Jay・Doblin(ジェイ・ダブリン) 丸善
岡田朋二(元本学非常勤講師 故) 他 翻訳

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