カタ、カタ、カタ・・・・。カタカタカタ-!微かに聞こえた音が徐々に大きくなる。と、ゆっさ、ゆうっさと建物が揺れはじめた。
「アレェ~、チョッとながいぞ・・・!」と腰を浮かせ、パソコンを押さえながら周辺を見回していた。東京での揺れもこれまでに経験がない烈しさだったのだ。
地面が動き、建物や電柱が左右に大きく揺れていたのだとも聞いた。竹藪に逃げ込んでいた女性が口々に恐怖の光景を目にし顔をひきつらせていたのだ。
しかし、その時は震源地となる三陸沖がこれほどの大災害になっているとは思いもよらなかった。11日の午後2時46分、三陸沖を震源としたマグニチュード(M)9.0の極めて強い地震が起き、宮城県北部などの複数地点では震度7の烈震が観測されていた。1854年(安政)の大地震を上回る過去におきた最大規模の地震に誘発された津波によって災害は私たちの想像を絶する規模のものになっていた。
緊迫する報道映像が画面に映し出されると思わず目を凝らした。
テレビ画面を漁港のものだろう無数の青いコンテナが流れ、白い数十台の小型ワゴン車が防波堤を超えて流れこんでいたのだ。
そこにあったはずの商店や民家、建造物などが2戸、3戸と塊になってゆっくりと流されている・・・。
町や村が跡形もなくなり、荒涼とした広がりはまるで瓦礫を敷きつめたようにもみえた。想定をはるかに超える突然の大地震、そして津波は周辺の風景を一変させてしまっていた。瞠目させ、呆然自失の大変化だったのだ!
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あの日からからもう49日が経ったのだろうか? 連日の新聞やテレビなどの報道は東日本一帯のニュースで埋められ、福島原発問題が関心の比重を占めるものになり、国際的な問題にもなっていた。競って近代化をはかる中で原発の重要性と恐怖感は世界に共通する問題となるものだったからだろうが・・・。
各地で49日の法要が執り行われ、学童60余名が並べられた遺影をまえに大人として考え足りなかったことを詫びることしかないのだろう。心から冥福を祈りたいと・・・。
温かく心の安らぎを得る自然の、また冷酷非情さにも言葉を失う。人間が営々とつくりあげたものの未熟さを思い知らされてもいる。日本人の思い上がりを諌めるものとなるだろう試練は、しかし、余りにも大きく痛ましい・・・。
宿命として、私たち日本人に与えられたのはこの脆弱な複合プレートの上にある島国。繰り返される自然災害への対応はいま、熱い反省の中で緊急になされねばならないことだろう。
今朝の新聞には「東日本大震災を境に、日本の長い戦後は終わり、いまや「災後」の時代に入ったのだと。戦後は高度成長、安定成長の明るい時代だったのに対し、人口と経済が縮むダウンサイジングの社会となるが、日本としてのグランドデザインをを示し夢を描くことが大切なのだという。
その際には電力に依存しないスローライフなライフスタイルや防災なども現地主義、現場主義で議論したいのだともいう『震災復興構想会議』、その下部組織だという『検討部会』」のあり方が報告されていた。期待したい。

安全安心をつくる心と構想力を!
 耐震、耐津波の基準値づくりが大きく引き上げられ、安全、安心の「まち」づりくりがなされるのだろう。
生きる人間にとってイメージする力は必須の能力でもある。わが国造りの技術力は、いまの試練に耐えるものとして強い意志の持続こそが世界の視線に応える「先進国日本」としての再評価を確かなものにするはずだ。

「安全・安心」をとらえる「まち」づくりの発想、常識という「想定」を突き抜ける自在で奔放なアイデアと技術的革新力を駆使した「デザイン力」こそが次代の理想郷を東日本に創ることを期待している。
自然災害を宿命ずけられている我が国の「生き方」の独自性、「幸せ」の存続が次世代の指標にもなるものだろう。
よりよい生き方を求め、安住と安定を求めて営々と努力して来た歴史は、しかし、人間社会における安定・安住の状態に到達したということはない。人間にとっての「健全」を保つものは、常に「問題」を突きつけられる状態にあり、注意深くあり、謙虚であることだと考えている。

この千年に1度ともいわれる大震災には「想定外」というキーワードが折々に言われている。が、しっかりと想定を確かなものにしてもらいたい。

(2011/4・30記)
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メモ:
・弔意を表す心→自粛→消費の停滞→日本経済の疲弊→企業活動の縮小→人員の削減→失業者の増加→不況感の蔓延(まんえん)→日本社会が窮乏し疲弊していく。

・災害・事故経験の記憶ー火災、原子力発電施設の破壊、放射線物質の飛散、計画停電などという想定をはるかに超える負を連鎖するものに。成熟社会では、往々に体験をもたない口先族の慢心・気のゆるみ、思考停止があったのではとの反省の弁も聞かれたのだが・・・。

・綿密に練り上げられたコンセプトの形ー日本人の感性
私たち日本人は、森羅万象の存在や動きに注意深く触れながら生きてきた存在であり、観察し、もの事を見抜く力や洞察力など、脳に連動して考えることでもある。つまり、いわゆる五感を働かせ、空気感を見ることも含めた全身で見る、手に取り触れる。あたまで考えるだけでは分からない皮膚感覚の情報経験が生体に組み込まれて初めて発想が確かなものになっていくものなのだろう。

・モノコトは「心」でみないとよく見えないもの・・・
我が国のしかし、その変化の早さは実は自らが考え、構想して創るという過程をもたないもの。
「創る心」を持たないままの極めて短絡なものであったのでは・・・。

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